2004年 12月号
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■ field どたばたセッションの現場から
■ キーラン・クランのブズーキ
■ field 洲崎一彦
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「このピックガードいいねえ」 と、キーラン・クランが言った。
何の話かって? ぬわんと! 私のブズーキをアルタンのキーラン・クラン が見ているのだ。
前回に呼応させて、随分わざとらしい題名と書き出しですいません。
この日、滋賀県栗東市のさきらホールで開かれたケルティック・クリスマス の最終日。fieldアイ研がケルクリ・アフターイベントのホールロビーコンサ ートの演奏依頼を受けたのはまだ10月の事だったか・・・。うまくすると、ア ルタンやハウゴー&ホイロップとセッションができるかもしれない!という話 にフラフラと飛びついたわけだ。
結論を先に言うと、わがfieldアイ研の面々はまんまとアルタン、ハウホイ とのセッションを実現してしまったのだ。それも、観衆の前で。
1ヶ月も経たない間に、ドーナル・ラニーとセッションをし、アルタンとセ ッションをするなんていうアイルランド音楽のアマチュア・サークルが!世界 中どこにあるか?!(まあ、本人達はすっかり忘れていると思うけど、ドーナ ルはfieldアイ研の名誉部員、アルタンのマレードは名誉顧問なんやけどね)
おじさんは声を大にして叫びたい! ええい!アイ研の若い連中よ! こん な事が当たり前とは思うなよ!
今回のイベントは、実は私個人的にはまた特別な意義と興味とがあったのだ。 まず、これが、fieldアイ研がサークル単位で受けた最初の正式な演奏依頼だ ったという、アイ研誕生から4年半にして記念すべき出来事だった事である。 これは、何度も実体崩壊がウワサされたアイ研がやっと社会的に実体を持った と思える象徴的な事件と言えるだろう。
もうひとつは、ホール側から突然依頼されたアイリッシュ・ダンスの伴奏で ある。これまで、アイ研はちゃんとしたダンスの伴奏を一度もやった事がなか った。アイルランドにはケイリーバンドというダンスバンドが数多く存在する ことは知ってはいたが、なかなかそっちの方向に目を向ける機会が無かったの だ。そういう事もあって、最初は「経験が無いから」とお断りするつもりでい たのだが、ちゃんとした返事をする前に色々なケイリーバンドが収録されてい るCDを取り寄せて聴いてみた。確かに自分たちが普段やっている演奏と全然ノ リが違う。おまけに、ピアノとドラムが入っている。
ちょっと待てよ。今、アイ研にはアイリッシュ・チューンのピアノ伴奏に興 味を持っている奴がいるし、私自身、昨年、fieldスタジオを作ってから細々 とドラムの練習をしているんじゃないか。これは、今こそ挑戦すべき時ではな いのか?
折しも、ドーナルが field を訪れた頃だった。
「ピアノとドラムを入れた、ケイリーバンドを作ろうと考えているんだけど、 何に注意すればいいか教えて欲しい」
という私の質問に、彼は
「ピアノはルートをしっかり弾く。ドラムはマーチングが基本だけど、ハイ ハットでしっかり裏拍を刻み、スネアはブラシを使うのがやかましくなくてい いかもしれない。ジグはあまり跳ねないように。」
などと懇切丁寧に教えてくれたのだ。
この時に、もう、私は一瞬で決心してしまったのだった。fieldアイ研ケイ リーバンドを作ってしまえ!って。自分たちだけでもいい。ドーナル・ラニー、 プロデュースって勝手に胸に秘めて、「fieldアイ研C-Band」の始動。
それからというもの、一部のメンバー達には、過酷とも思える練習を課した。 でも、みんな本当によく耐えてくれたと思う。
そして、本番。当日のリハーサルで初めてダンスの人達と合わせる。ドキド キした。ついついダンスを見てしまう。でも、見過ぎるとこっちの音が一瞬遅 れてしまう。あかんあかん!皆それぞれ、目の前に繰り広げられるダンスに目 を奪われてどぎまぎしていた。リハが終わって、リーダーの海さんがダンス陣 からの意見を取りまとめて来る。
「ホーンパイプはもっとテンポ早く」 「リールはもう少しゆっくり」 「ポルカはもっとゆっくり」
7人のC-Bandのメンバーはステージの都合で中央のダンス舞台の両脇に4人、 3人に別れて陣取る事になる。その間5m以上はある。モニタースピーカーだけ が頼りだ。皆こんな環境での演奏はあまり経験無いだろうし、大丈夫だろうか ・・・。
不安の中の本番だったが、結果、大きなミスもなく、皆なんとか本番を乗り 切ったのだった。演奏直後は控え室でぶっ倒れる奴もいたし、皆、散り散りに 雲散霧消するかの如く散って行ったのがいかにもアイ研的!?
気が付くと、ロビーの特設ステージにはさっきまで脇でサイン会をしていた アルタンの面々とハウホイの2人が楽器を手に上って来て、大セッションが始 まろうとしていた。いつの間にかC-Bandの連中も全員ステージに集結。私もこ の時初めて緊張の糸が切れて我に返った思いがした。早く自分のブズーキを持 って来なくては!
アルタンのブズーキ奏者、キーラン・クランはステージ上で楽器を抱えて椅 子に座っていた。私も勝手に椅子を持って来て彼の横に陣取った。
「横で楽器を弾いてもいいか?」 と彼にたずねた。
彼は4年前に field に来た時の事を覚えていて
「俺がサインしたブズーキじゃないのか?」 と、私のブズーキをのぞきこんで、サウンドホールのあたりを触った。
「このピックガードいいねえ」って。
真横で接する彼のブズーキプレイは、ドーナル・ラニーのそれとは全く違っ たスタイルだった。細かく動くリフがコードの間隔を埋めて行く感じ。そのリ フ自体は角の立ったドニゴール・フィドル風のノリのまま動き、ギターのコー ドチェンジの間をなめらかに埋めていく。うん、確かにこれや! アルタンの サウンドや! ジーン・・・
舞台中央で、功刀がチューンを引っ張り、振り返るとマレードが次のチュー ンをつなげて行く。昔、功刀がアルタンのチューンを必死でコピーして一緒に 苦労して合わせた風景がよみがえる。そう言えば、4年前に field にアルタン がやって来た時は、彼はまだ沖縄在住で、その現場にはいなかったのだ。一瞬 の興奮の後にはえも言われぬ安らかな気分に襲われた。ガンガンにうねるリー ルの嵐のまっただ中で、一瞬、気が遠くなった。ヘタすりゃ、あのまま気を失 ってたのかもしれない。
意義と、興味と、緊張と、興奮と、弛緩!
何という! ビックリ箱をひっくり返したような1日だった事か!
2004年 ケルティック・クリスマス最終日は、fieldアイ研にとって本当に長い長い1 日だった。 C-Bandの話題に終始してしまったが、その他のfieldアイ研のバンド達もす ごいパワーだった。みんなの力が集結して、この日、fieldアイ研は結成以来 初めてしっかりとした実体を持つことができたんだと痛感した次第。
昨年ルナサの完コピで話題をかっさらった MINE。元クラックの2人が結成 した Butter Dogs。今や超有名人となった功刀丈弘。皆、本当に心からお疲れ さまと言いたい。
<すざき・かずひこ:Irish pub field のおやじ・いやあもう・・とにかく・ ・ベリベリタイアド・・・でございますわ・・・・>
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2004年 11月
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■ field どたばたセッションの現場から
■ ドーナル・ラニーのブズーキ
■ field 洲崎一彦
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「この弦はもっと太い方がいい」 と、ドーナル・ラニーが言った。
何の話かって? ぬわんと! 私のブズーキをドーナル・ラニーが見てくれ ているのだ。このおっさんは本当にドーナルなのか?と疑ってもおかしくない ような突然の状況だ。
「今度、私のブズーキを見せるよ」 と、ドーナル・ラニーが言った。
こんな、ギター少年同士の会話みたいなやりとり。ほんまかいな?である。
ギター少年同士のこんな会話は往々にして挨拶代わりであり、本当に自分の ギターを見せ合う次の機会が実際にやってくることは滅多に無い。
しかし、後日、ドーナルは自分のブズーキを抱えて本当にやって来た。
「よ!」
と目の前に差し出されたドーナルのブズーキは、もちろん左用だけ ど、確かに4コースの弦が太い。1コースも心持ち私のより太いかな。ボディ は思ったより小さく、ネックも私のより1フレット分短いくて指板の幅が狭い。 つまり全体の印象は、予想以上にコンパクトな本体にごっつい弦が張ってある という感じ。前にマイケル・ホルムズ(ダービッシュ)のブズーキを見せても らった時は弦もゴツかったが、テールピースが鋳物のような金属製で楽器本体 も戦車のようにゴツかった。ドーナルの楽器はそれとはまた全然印象が違う。
弾いてみて、びっくり! そのコンパクトなボディからは想像もつかないよ うなアタック音。弦を弾いてからボディが鳴るまでの時間がまさに瞬時。こう いうのをクイックな楽器というんだろうか? 強烈なアタックとそれに続く余 韻のバランスが何となだらかな事か。結果的に、これよりボディも大きく弦長 も長い私のブズーキは最終的音量 でも完全に圧倒されていた。
ちょうど、field の3Fスタジオにて功刀君の教室をやってたので、生徒もろ ともパブに招く。
「今日のレッスンは、ドーナル・ラニーとのセッション! それでええやん?!」
と、私は半ばむりやりその日の功刀教室を打ち切らせてしまった。
おまけに、同じく、3Fの A studio で練習中だった field アイ研のアイリ ッシュ・バンドの連中にも練習を中止させて
「お前ら! 黙ってこのまま楽器持って早よう2階におりるんじゃ!」 と無理矢理エレベーターに押し込む。
いいセッションだった。突然の展開だけに、皆、緊張するよりも、現実感の 無さにボーっとしている感じ。ポピュラーなチューンが回されると、ドーナル のブズーキも徐々にガッツンガッツンうねり始めた。突然、功刀君と冨野君が 2人で目配せしたかと思うと、彼らはボシー・バンドの〈Martin Wyne's/ Longford Spinster〉のセットを始めた。ドーナルはニヤっと笑ったかと思う と、もの凄いビートでブズーキをかき鳴らす。ここで、
「ああ、ボシーのCDと一緒や〜」 って感動したい所なのだが、
「うわ! CDより凄い!」 が現実。
こういうの何て言ったらいいのか。生ドーナルの、CD以上のブズーキ・プレ イと一緒にボシーのチューンを演るなんて! あんまりあってはならん事態な のと違うか?
しかし、もっとあってはならん事をやらかしてしまった男がいた。アイ研名 物男、海さんである。ふっと演奏に間が空いた時を見計らっていたように彼の 黒スザート笛がピロピロピロ〜とメロディを奏でた。ドーナルは一瞬マジで驚 きの表情を見せた。そして、更に真剣な目つきになり、膝のブズーキを抱え直 してバッキバキのビートを弾き出した。場内一同この2人の空気に圧倒されて、 誰も何の音も出すことが出来ない。ただ、固まって、もう少しで息が止まるん じゃないかという緊張感で聴き入るしかない!
海さんは、ドーナルのオリジナル曲である〈Tolka Polka〉を演ったのだっ た。エンディングとともに大歓声があがる。鳥肌もんを越えていた。泣きそう やった……。 海さんの恐ろしいところは、はたして彼はこの曲がドーナル作であることを 知っていたかどうか?という疑問を皆に抱かせる所であったが・・・・・。
セッション中、私はドーナルの真向かいで自分のブズーキを抱えて、ドーナ ルの音を注意深く聴く事に専念していた。
とにかく恐るべきビート感である。20歳の頃にジャズバーで生まれて初めて 黒人ジャズ・ドラマーを目の当たりにした時の驚愕と似ている。なんじゃ? この躍動は!?ってやつ。
日頃、アイ研の若い奴らに
「リールは、裏拍を強調するんやで〜」 なんて呑気に言ってる自分が恥ずかしくなる。
この自由自在のビート感があって、現在のアイリッシュ・ミュージックがあ るんやということが痛いほどわかった。まさに、この目の前にいるおっさんが、 あのボシー・バンドを作った人なのだ! 実はこの日のドーナルのブズーキは日本のとあるメーカーに特注したものだ ということだった。ぬあんと!
<洲崎一彦:Irish pub field のおやじ・ちなみに 、本人が覚えているかど うか怪しいけれど、ドーナル氏のfieldアイ研会員番号は106番なのであった!>
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2004年10月
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■ field どたばたセッションの現場から
■ アイリッシュ音楽に苦しむ人たち その2
■field 洲崎一彦
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前回、前々回と、ちょっと脱線気味だったので、今回は7月号の続きを書き たいと思う。7月号では、わがfieldアイルランド音楽研究会の若い世代が苦 しみながらも頑張っているぞ、という事を書いた。そして、若い2つの新しい バンドが誕生し、これに期待を寄せるという所で筆を置いた。7月初旬の話だ った。この2つのバンドはそれからどうなったのか?
現在10月の時点で言うと、実は、両バンド共にもはや原型をとどめていない。 片方は恐らく完全に消滅した模様だ。非常に残念に思う。
バンド活動というものもなかなか難しい。音楽をやるのだと言っても、複数 の人間が一緒に遊ぶという基本構造は子供の頃の缶蹴り仲間と何ら変わること はない。音楽をやるのだ!とどんなに意気込んでみても、だから特別 という事 などは全くない。私たち音楽をやる者は往々にしてこの当たり前の構造を忘れ る、あるいは、わざと目をそむけようとする傾向がある。
彼らのバンドもこの当たり前の構造の上に存在した。そして、この事実を自 覚していなかった。何故バンドを組むのか、という目的が個々に自覚されてい ないバンドはまさに缶 蹴り仲間そのもののメカニズムに陥る。塾へ行く子は缶蹴りには加わらない。暇なガキどもが缶 蹴りでもしようか、と仕方がないから 集まる。別に家に帰ってTVゲームをしてももいいし、嫌いな子がいるグループ だったらそれはむしろ積極的に加わらないか、加わっても何らか理由を見つけ て早々に帰ろうとするだろう。
確かに、セッションとバンドの音楽演奏に取り組む姿勢と意義はその方法論 からして全く違う。だからこそ、日常的にセッションをする環境を持っていた としても、バンド活動をすることには大きな意味がある。その意味を、集まっ たメンバー達ひとりひとりがどのように意識するのか、という要素が欠落すれ ば、この集まりはただの缶 蹴りグループになってしまう。
少々、比喩がくどくなったが、私は、せっかくバンドの理想に燃えてセッシ ョンの枠から飛び出した若いエネルギーが、本来の目的に向かう事なく浪費さ れて行く有様を目の当たりにして、非常に切ない思いに駆られるのだ。
最近、特に思う。アイルランド音楽は何ら特別なものではない。大きく、音 楽としての常識内で捉えないとけっこうとんでもない勘違いを起こす。
また、昨年からfieldはパブの上階に一般開放の練習スタジオを開設した。 そこには、ジャンルを問わないアマチュアバンド達が集まって来る。彼らを見 ていて思うのは、何故こんなに、わがアイ研の連中と雰囲気が違うのだろう? ということなのだ。同じ音楽に取り組むのに、こんなにも違う空気!
ひとつには、ロック系のバンドは練習ひとつするのにも、何らかのお金を払 って練習スタジオを借りなければならない事だ。メンバーひとりひとりが具体 的にお金という負担を負う。また、彼らの話を聞いていると、ライブひとつす るのにも、ライブハウスのノルマチケットを負担せねばならないという。各自 の楽器も結構高価だ。つまり、バンドをやる事に各場面 で相当の負担が強いら れるわけだ。メンバーのひとりひとりがその負担を覚悟しなければバンドに参 加できない。結局、彼らにとってバンド活動はそんなにお手軽な楽しみではな いのだ。肝が座っているとでも言おうか。
それに引き替え、アイ研に代表されるアイリッシュ音楽の連中を取り巻く環 境はどうだ? 楽器を弾く場所はセッションとして常に無料で提供されている。 バンドを組んだとしても、晴れていれば公園で充分練習ができる。昨今のパブ 音楽や、民族音楽系イベントの誘いがあれば、ヘタをすると負担どころか出演 料を貰ってライブができる。最低限約1000円也の笛を購入すれば道具は他に必 要ない。
同じ音楽をやる上で、この環境の差はどうなのだ!
このようなぬるま湯の中で、どん欲に音楽を追究せよ、と言う方が酷なのか?
あるいは、このお手軽な雰囲気の中で皆がそこそこに楽しめればそれで良し とすべきなのか? 私は今、この大きな迷いの中にある。
<洲崎一彦:Irish pub field のおやじ・日常の音楽ジャンルが脱線すれば するほどアイリッシュが恋しくなるっす!(後輩語)>
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2004年 9月
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■ field どたばたセッションの現場から
■ 対談・功刀丈弘 1st CD その2
■ field 洲崎一彦
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今回は、前回に引き続き、この7月に葉加瀬太郎氏のプロデュースでCDデビ ューを果たした功刀丈弘(くぬぎたけひろ)君との対談(?)を掲載する。私 と彼とはこの14〜15年間一緒にアイリッシュ音楽をやってきた腐れ縁引きずり まくりの悪相棒なので、2人で喋ってても埒があかないと考え、司会役の女性 をたてて無理矢理に対談形式をセッティングした。さて、前回に引き続き、如 何なる事に相成りまするやら・・・。
功:功刀丈弘 洲:洲崎一彦 --:阪口久美子(司会)
--:CD作るって話の時に、当初、葉加瀬さんが「癒し系」で行くとおっしゃっ て、功刀さんは相当悩んだというお話でしたね。
功:まあな。
洲:何が、まあな、や。ええカッコして。かなり落ち込んどったがな。
功:そら、CD作るっていう話は2年前から出てて、オレが作るんなら当然アイ リッシュのつもりやから、まあそれなりに、こんなんしょうか、あんなんしよ うか、とか具体的に考えてたからなあ。
--:それが突然「癒し系」って言われたんですね。
功:うん。そもそも「癒し系」って何やねん。というわけで、レンタル CD 屋 に通ったり。オリジナルも作れと言うんで、ちょうどfieldにスタジオが出来 た頃やったから、録音機材やらコンピューターやらを使わせてもろて色々試し たり。
洲:一時はスタジオにこもりっぱなしやった。
功:んで、結局オチは何やったと思う?
--:?
功:普通にアコースティック編成でやるアイリッシュを葉加瀬が勝手に「癒し 系」と呼んでただけやってん。
洲:なんや? そんなんかー。ワシ今初めてきいたがな。
功:それで、関西で今まで一緒にやったことのある、アイリッシュ・ミュージ シャンの皆さんに大至急声をかけた。
--:そういえば、洲崎さんは何故レコーディングに参加されてないんですか?
洲:何故って・・、誘われへんかった・・・。
--:ずっとお2人一緒に Old field(デュオのユニット)をやっていらっしゃ いますよね?
洲:そう。こいつは、そういう冷血な男なんじゃ。
功:あははは! ちゃいますて! すーさんとはバンドやから。Old field に は Old field の音があるというか、まあ、そういうことや。
洲:また、うまいこと言うてからに。
功:実を言うと、葉加瀬からのCD話が出るずーっと前に Old field でレコー ディングしようという話をすーさんとしてたのよ。だから、その構想というの はまだ現在進行中なわけで、そこに突然割って入った今回のCDはオレのソロア ルバムという事になるので、あえて、すーさんは呼びたくなかった。
--:でも、1曲ぐらいはいつもの Old field サウンドが聴きたかったって思 った人もいたんじゃないかな。
洲:ふん! 頼まれても誰が行ってやったか!!
--:まあまあ、洲崎さんも落ち着いてください。
功:でも、すーさん呼んだら、いろいろ文句言うやろからなあ。
洲:ワタシは何も言いません。
功:押さえたスタジオの時間内では絶対終わらんかったと思うわ。やっぱり呼 ばんで正解やった。
洲:オーイ、オーイ
--:あ、抱きつくのやめてください、洲崎さん。
洲:は。
--:じゃあ、次は Old field のCDなんですね?
功:いや、一応、次は来年に今回の2枚目を作る事になってる。
--:へえ〜。1枚目が出たばっかりなのに、もう、構想が固まってるんですか?
功:もう少しモロなアイリッシュ色を濃くしたいけど、それ以上は秘密。
洲:鬼いー! 人でなしー!
--:まあまあ、洲崎さんも興奮しないで。
洲:えーねん。ワシもうトシやし。ヘタやし。
功:このおっさんスネたら止まれへんで。しゃあないなー。
--:洲崎さんもー、今日は功刀さんのCDがテーマなんですから。ね。
洲:うー!
--:これを私、まとめるんですかあ? あ、また!やめてください! 何で功 刀さんまで! ちょっと! テープまだ回ってますよ。 まあ、お2人はこ んなにも好きな事が言い合えるほど仲がいいんだなーって・・・だめだめ、2 人とも! 雰囲気暗いですよ。 何か言ってくださいよー。功刀さん、洲崎さ んに何か優しい言葉とか・・。
注:だいぶ飲んでました。
<すざき・かずひこ:Irish pub field のおやじ・対談って難しいっす。失 礼しました〜>
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2004年 8月
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■ field どたばたセッションの現場から
■ 対談・功刀丈弘 1st CD その1
■field 洲崎一彦
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多分に私事になるが、この14〜15年間一緒にアイリッシュ音楽をやってきた 功刀丈弘(くぬぎたけひろ)君が、先日、葉加瀬太郎氏のプロデュースでCDデ ビューを果 たした。このCDはもしかしたらアイリッシュ音楽を中心主題とする 日本人ミュージシャンの日本で初めてのメジャーCDである可能性がある。私は レコーディングには参加していないが、かつては誰にも見向きもされなかった アイリッシュ音楽を、ああでもないこうでもいないと言いながら一緒にやって きた相棒がこんな所まで来たんだと思うと、正直言って人ごとではなく、興奮 を押さえ切れないものがある。
今回は、この快挙も元はといえば「fieldどたばたセッション」が生み出し たものだと解釈して、無理矢理この場で取り上げようと考えたのだが、何せ、 私自身このCDをおよそ客観的に評価することなど出来ない。アレンジがどうで あれ、選曲がどうであれ、クヌギ節のフィドルが聞こえて来るだけで涙もんな のだ。だから、CD評なんてとても出来ない。そこで、大嶋さんの助言もあり、 対談という形を考えた。
とはいえ、今更、この男と2人で何を対談するのか!? 2人でしゃべって てもまず音楽の話など出て来るわけがない。普段の会話をそのまま活字にした ら、それこそ2人とも人間性を疑われることにもなりかねない。
それで、知り合いのフリーエディター、阪口久美子さんに司会役をお願いし て、そういう対談風の場をセッティングした。これで、少しはシャンとするだ ろうと期待したが、さて、どうなる事やら・・・。
功:功刀丈弘 洲:洲崎一彦 --:阪口久美子
--:じゃあ、私が色々と質問する形で初めていいですか?
功:え? もうテープ回ってるの?
洲:止めよか? 止めよか? テープ回したらコイツわざとアカン事言うで。
功:そやな。そやな。
--:功刀さん! 東京でラジオの収録とかして来られたんでしょ? その時は 我慢して真面目におしゃべりされたんでしょ?
功:まあな。
洲:そうそう、今日はワシらがちゃんと真面目にしゃべる為に彼女にわざわざ 来てもろたんやから。
--:じゃあ質問しますね? 今回のCDが出ることになったきっかけを教えてく ださい。
功:2月ごろに葉加瀬に突然「出すぞ」と言われた。
洲:面白ない答えやな。
功:詳しく言えば長くなるんやー。
--:長くてもいいですから。
功:うーん、あれは、今から20数年前の事やった。
洲:葉加瀬さんとの出会いから語る必要ないやろ!
功:うーん、そしたら・・2年前かなあ。葉加瀬がたまたまアイリッシュ音楽 に興味を持った時にネットで色々検索してたらオレの名前が出て来たらしい。 葉加瀬とオレは高校時代の同級生やから、向こうも「なんでコイツの名前が出 て来るねん!」ということになって、いきなり電話かかって来た。「休暇で地 方にこもるから、お前俺にアイリッシュ教えに来てくれ」言うてね。それで再 会がてら教えに行ったりしてる内に、その年の葉加瀬の情熱大陸ツアーの前座 に出ろということになったり、葉加瀬につきあって題名のない音楽会に引っぱ り出されたりした。
--:それで、2年後に突然CDなんですか?
功:CDの話はもう2年前から出るには出てたんやけどね。音楽業界という所に は色んな人が仕事してるわけで、葉加瀬が出す言うてもスっと出るもんやない 言うことやろね。
洲:まあ、いろいろ悩んどったのはワシもずっと見てた。
--:そうそう、対談なんですから洲崎さんももっと話に入ってくださいよ。
洲:そうは言うても・・突っ込みぐらいしかできんで。
--:洲崎さんは今回のCDを聴いてどんな感想でしたか?
洲:え? ・・・まず、見て笑うた。ほんで、聴いて泣いた。
--:笑うって?ジャケット写真ですか?
洲:うん。この忙しいのに人を笑かしに来たんか?!って感じやろ?
--:普通はこれは笑わないでしょう? でも、内容には泣くほど感動した?
洲:内容というか・・、クヌギ節のフィドルが鳴ってる! おお! 鳴ってる でえ〜という感じやね。
功:この人はたぶん内容とか全然ちゃんと聴いてないよ。
洲:聴いてないな。
--:話が終わってしまうじゃないですか。
洲:それにしても、あのジャケットは自主制作では恥ずかしくて絶対作れん。
--:洲崎さんジャケットばかりにこだわってますね。そもそもお2人でアイリッ シュ音楽をやり始めたきっかけは何だったんですか?
功:まだオレが学生やった頃に、fieldがカフェやった時代、オレが常連で、 すーさんが突然「東欧音楽一緒にやらんか」と誘って来た。
--:アイルランドじゃなかった?
洲:そうやね。初めはハンガリーとかやったね。それで何曲かやってみたら難 しくて難しくて、まず歌役の女の子、続いてベースの奴が逃げて行った。
功:それで、2人になってもたんや。
洲:ハンガリーは難しいから、もうちょっと親しみやすいのからやろうぜ!と か言うて、お互い音源を探したわけや。その頃のCD屋は民族音楽はまだ大雑把 な地域分けしかされてなかったから、ワシらが探すのは「ヨーロッパ」って書 いてあるコーナー。今から思うとヨーロッパでひとくくりは乱暴やで。
功:それで、オレがジャケ買いしたCDが凄く良くて、すーさんに聴かせた。そ れがアイリッシュ・フィドルのケヴィン・バークていう人の《アップクローズ》 というCD。
洲:ワシもほぼジャケ買いでお気に入りのCDを見つけてクヌギに聴かせた。こ れはドロレス・ケーン&ジョン・フォークナーの《フェアウェル・トゥ・エリ ン》。これも偶然アイリッシュやった。
功:それと、fieldで引いてた有線のチャンネルに「民族音楽・英国」という チャンネルがあって、そっからランダムに録音したテープがあったな。
洲:そっからもコピーした。誰の何ていう曲かもわからん曲ばっかり。
功:後で分かったんやけど、それも全部偶然アイリッシュやったんや。
洲:そうそう、まさにその曲をね、今回のCDの1曲目でコイツが弾いてるのよ。 涙出たね。
--:へえ〜、感激したでしょうね。それで、どんどんお2人はアイルランド音 楽にはまって行ったというわけですか?
功:オレがある時期沖縄に数年間行ってたから、その間は年末にこっちへ帰っ て来て、fieldのパーティーで演奏するだけのペースやったけどね。
洲:コイツが沖縄に行く前やけどね。ちょうどパトリック・ストリートという グループのCD聴いてて、この音は何やろ?ということになった。ギターではな いし、ハープでもないし、マンドリンでもないなあ、って。で、クヌギが、こ れは復弦の音がするからきっと12弦ギターや! 絶対そうや!って言うから、 ワシ頑張ってオベーションの12弦ギター買うたんよ。よっしゃ、あの曲ができ るって信じてたからね。ものすごい高音のフレットにカポ付けて、ものすごい 変な運指で12弦ギター弾いてたんよ。
功:実は、本当はブズーキという楽器やってんけどな。12弦ギターいうのは大 はずれ。
洲:そう、クヌギにウソ教えられて30万からする楽器買わされたんや。それか ら後に、クヌギが沖縄にいる頃、ある時期に頻繁にFaxとか手紙が来るように なって。
功:そのころはまだメールとか出来んかったし。
洲:ついに見つけた! あれはブズーキという楽器やったあ! いうて、どっ かで調べた資料とか通販のカタログみたいなんコピーして送ってくる。こっち は、もうその手には乗るか! って感じで初めは受け流してた。
功:すーさんが全然興味示さんから、こうなったら!という気持ちでオレが自 分でその通販ブズーキを買った。買ってみると、まさにコレ!って感じで、そ いつで適当にコードを弾いたのにフィドルを重ねて録音したテープをすーさん に送った。
洲:そのテープ聴いて、うわ! やられた! ちゅー衝撃やったね。前に送ら れて来たカタログのコピーを引っぱり出して、その中で一番安いブズーキを即 注文した。それでも10万した。でも、このブズーキ事件でワシらまた新しいノ リが出て来た感じでね。
功:その年の年末にオレが京都に帰る時に、アイリッシュのバンドを編成して 正月に開けてくれるライブハウスでライブしてみようやないの!っていう風に 一気に盛り上がった。
洲:これを引き受けてくれたライブハウスが京都のネガポジという所で、この 時の5人編成のバンドの名前が、ライブのために適当に付けた「fieldアイル ランド音楽研究会」いう名前やったんよ。
--:なんだか、功刀さんのCDのお話じゃなくてお2人の思い出話になって来て ますね。たぶん、この対談に興味を持っていただける読者の方は、CDの選曲や アレンジの裏話っぽい話題を期待されてると思うんですけど。
功:裏話いうてもな。すごいスムーズに仕事すすんだから。
洲:それは、ウソや。葉加瀬さんに「癒し系」で行くって宣言されて、めちゃ めちゃ落ち込んで悩んでたん知っとるで。癒し系のCDをレンタルしまくって聴 き倒した末に、こんなんできんわ〜、言うてぼやいてた。
功:まあな。
--:あ、そういうお話いいですね。是非聞かせてください。
というわけで、今回は会話の録音を聴きながら原稿を書くという慣れない作 業で、非常にとりとめのない事になってしまった。仕方がないので、続きは次 号に・・・・、ということでお許しあれ。
<洲崎一彦:Irish pub field のおやじ・いやあ、まったくダメダメな対談 ですね。失礼しました〜>
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2004年7月
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■ field どたばたセッションの現場から
■ アイリッシュ音楽に苦しむ人たち
■ field 洲崎一彦
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わがfieldアイ研は「fieldアイルランド音楽研究会」という、いわば街のサー クルだ。パブの field とイコールで語られる事が多いが、パブの経営的な部 分と自分の趣味の部分が変な風に融合してしまうと趣味が趣味で無くなる!と いう危機感によって、店でのセッション開始から約1年後、店をアイリッシュ・ パブに模様替えしてから約5ヶ月後に店とは独立して発足させたのだ。
決まり 事が極めてゆる〜いサークルという事もあって、今では確実に幽霊部員の方が 多い。運営も決してシステマティックに行われているわけではない。それでも、 いつも何かしら老若男女が適当にワイワイ遊んでいる。そんな集まりだ。
アイ研の第一世代の連中は、すでに街のサークルのワクに収まりきらない活 動を展開している者もいるし(くぬぎ君のエーベックスから7/21ソロCDデビュー という華々しい例もあるし〜)、すでにアイリッシュ音楽から遠ざかった者も いる。そして、もう一歩突き抜けられない第二世代以降の連中が苦しんでいる。 苦しみながら消えて行った者もいる。しかし、いまだ苦しみ続けている奴らも いる。
今回は、このアイ研第二世代以降の連中に代表される、「アイリッシュ音楽 に苦しむ人たち」にスポットを当ててみようと思う。
まず彼らは、当然の事として派手な活動を展開する第一世代の先輩たちに憧 れを持つ。ある者は彼らに直接楽器の操作を習い、あるものはセッションの場 でその技術を盗む。しかし、アイルランド音楽の多くは、その旋律を自分があ る程度慣れた楽器で奏でる事が実はそれほど困難なものではないのだ。つまり、 割とすぐに演奏出来た気分になることができる。これがまたアイルランド音楽 のいいところでもあるのだが、さらに追求したい人間にはこれが弊害になる場 合もある。
そして、次に彼らが目指すのは、曲を増やすこと、つまり、どれだけの曲を 覚えるか(初めに楽譜ありき、でない人が多いから「暗譜」という表現は適切 ではない)、という方向に努力する。まあ、アイルランド伝統音楽の曲数たる や俗に何千曲とも言われているわけだから、この努力も決してすぐにゴールが 見えるものではない。しかし、普段の演奏場所であるセッションの場では、あ る程度ポピュラーな曲でしか複数人との合奏が楽しめないとあっては、このポ ピュラー・チューンを押さえてしまえば、あとはこの努力は文字通 り孤独の戦 いとなる。
さて、では、この先どうすればいいのか? これが、第二世代を代表する苦 悩の始まりなのだ。
そういう連中と時々熱く話をする機会もある。彼らは言う
「そろそろ、本格的にバンドを組みたいんです!」
それは、それで非常に良い傾向だ。セッションとバンド活動ではしばしば音 楽的に全く正反対の効用を示すからだ。
「でも、ギターやブズーキという伴奏者が今圧倒的に不足してるじゃないです か? 結局、伴奏者の数しかバンドは出来ないんでしょうね」
うーん。うなってしまうよな。こういう先入観なんやね。遠くボシーバンド を始祖とする、アルタン、ダービッシュ、ルナサといった一定の形(確かにア イ研第一世代の連中もこの形を追った)の何という絶大な影響力なのか!
すでに、2年前、fieldアイ研ぶちょー氏は、本人がギタリストであるにも かかわらず、 「アイリッシュ・チューンにギターの伴奏は必ずしも必要ない!」 と豪語していたのだぞ。君らはあの時のぶちょーの大演説を少しも聞いていな かったのか?!
アイリッシュ音楽の深さはまさにこのあたりにあるのだと思う。メロディー はすぐに追えるようになる。じゃあ、次は何をするの?という部分である。確 かに、セッションというものの弊害もここにある。メロディーさえ追えれば、 セッションは滞り無く進行し、めでたく終了する。どんどん次のチューンが始 まり、どんどん流れて行く。それはそれは楽しい場所だ。でも、楽しい楽しい で、どんどん流れて行ってしまう。特に field のような、誰でも入れるオー プンセッションではこの傾向が強くなる。
だったら、バンドやろーぜ! という短絡はどうなんだろうか? バンドと いう形で音楽を追究する事は極めて有効だ。だが、そこで、バンドをやる目的 は?そのバンドのテーマは?という要素があまりに欠落しているのではないの か?
「ギターがいなけりゃバンドができない」
では、逆にバンドをやる意味がないと言っても過言ではない。
ヒントはこうだ。
<アイリッシュ・チューンは、多くの民族音楽と同様かそれ以上に、メロディー にリズムのキレがあらかじめ含まれているという点で特殊な音楽である>
<われわれが演奏する多くのアイリッシュ・チューンは、基本的にダンスミュー ジックである>
それでは、ぶちょー氏(ギター)や私(ブズーキ)のような伴奏楽器を持ち 場とする者はアイリッシュ音楽においては存在意味が無いのか?
いや、そうではない。メロディーがしっかりとしたリズムのキレを奏でてく れさえすれば、われわれ伴奏楽器はチューン1曲1曲の中に無限のポリリズム を発見することができるという希有な楽しみを享受できるのだ。
この事は、プランクシティからボシーバンドに端を発したそれ以降のすべて の彼の活動の中で、ドーナル・ラニーが終始われわれに投げかけてくれた音楽 的至宝だと私は確信している。
そんな、fieldアイ研第二世代に、最近時期を前後して2つの若いバンドが 誕生した。ひとつは、フルート、フィドル、ギター、ピアノという編成。もう ひとつは、ホイッスル、フルート、フィドルという編成だ。どちらのバンドも、 微妙に先輩達の模倣を目標とする形ではない。
この2つのバンドがそろいもそろって、7月最終週の水曜日と土曜日にfield でライブをすることになった。さて、どんな演奏を楽しませてくれるのか、私 の期待は密かに大きく膨らむのである。
<洲崎一彦:Irish pub field のおやじ・今年の祇園祭宵山は店のベランダ にウッドデッキをしつらえて野外セッションやりました。これが思った以上に 楽しかった・・・年甲斐もなく・・>
編集部注 上記二つのバンドとは marble と 海んDay です。情報篇をご覧ください。
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2004年6月
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■ field どたばたセッションの現場から
■演奏者の人格は音に出るか!? その2
■ field 洲崎一彦
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前々回、私がここに書いた「演奏者の人格は音に出るか?」という問題提起 に対して、私の私的掲示板(fieldアイ研ホームページ内、管理人「す」のペー ジ設置掲示板)は色々な人の意見でひと時の活況を呈した。こういう反響は初 めてだったので一瞬驚いたが、色々な意見に接する事ができてなかなか面 白い 展開だった。
一回お休みをいただいて間があいたので、前々回の話を簡単にまとめると、 発端は、とあるダブリン在住の日本人女性が、パブ・セッションに通いながら 得た、実感としての
「演奏者の人格は音に出る」だから「セッションは人格を磨く場でもある」
という意見だった。
これは彼女の生の実感なのだから、本来ならばことさらこれを論評したり議 論する必要はない。ここには、彼女がそう感じたという事実があるだけだから だ。
しかし、この事実をヒントに、私が過去に経験してきた、セッションを含め た音楽の存在する色々な場面を思い出してみた時、「果たしてそうか?」とい う疑問が湧いて来ると共に、ダブリンでの彼女の体験事実はちょっと横に置い ておいて、一般的にこの問題ってどうなの?という問題提起をしてみたのだっ た。
ところで、「良い人格」も「良い音楽」も「絶対価値」ではない。まったく 同じ条件の場面に出くわしても、人によって感じ方が違う可能性が高い不確実 な主観的「価値」である。まずこれを大前提とすれば、この問題を普遍原則と して議論する余地はない。
論理的には、
「良い人格の人が良い音楽を演奏することもあれば悪い音楽を演奏することも ある。悪い人格の人が良い音楽を演奏することもあれば悪い音楽を演奏するこ ともある」
としか言いようがない。
しかし、ここで少し視点を変えてみようと思う。それは「音楽の社会性」と いう問題である。あるいは「音楽の社会的位置」と言い換えても良い。
アイルランド伝統音楽に限らず、全ての伝統音楽は悠久の歴史を越えて現在 にまで継承されている。その時代時代に「音楽の社会的位置」は目まぐるしく 変化をしたはずだ。中には時代の変化に翻弄され消えていったものも少なくは 無いだろう。このような荒波を乗り越えて現在までたどり着いているものが、 今われわれが伝統音楽と認識しているものだ。
そういう意味で音楽の柔軟な社会適応性という特性も無視できない。労働歌 や宗教歌、哀歌はひとつの生活必需品だったと考える事ができる。吟遊詩歌は 遠方の出来事の情報伝達の役割を担う情報ツールと考える事もできる。当然の 事として商品としての社会性を獲得する音楽は近代の資本主義経済社会の出現 を待たなければならないが、あるいは特にその時代の労働または生産活動に耐 えられない身障者等の生活救済装置として機能した場面もあったかもしれない。
音楽に社会性を問うのは、このように音楽の持つ柔軟性がその時代時代の社 会の特性を如実に反映させるからである。
しかし、ここでこのような社会史学的な講釈をたれるつもりは全くないのだ。 30歳台半ば以上の人なら皆実体験しているひとつの例を示せば余計な説明は無 用だと思う。たったひとつの発明品が「音楽の社会的位 置」を大きく変革した 例。それはソニーのウォークマンである。
ウォークマンの発明は、それまでの家具調ステレオセットが鎮座していた応 接間から地下鉄の中へとリスニングルームを移動させ、衣食住の「食」と「住」 の間に、音楽をより個人的な生活用品として割り込ませる事に成功した。ここ に、それまでは一部趣味の人のモノであった音楽の、「一般 生活用品」として の社会的価値が萌芽したと言える。昭和40年代にはスポーツ選手がウォームアッ プの時にイヤホーンで音楽を聴いている姿など誰も想像が出来なかったのだか ら。
つまり、音楽はより一般的かつ個人的な生活用品としての社会的価値を身に つけたものの、一方で個人の音楽に対する社会的価値の感じ方は広範囲に拡散 し多様化した。
従って、個人個人の、社会的存在である「音楽」に対する態度は、寒暖をし のぐだけの衣服か、自己主張の手段としての衣服か、と同様な差異の開きを見 せる。
「良い音楽」と言う場合の「良い」が主観的価値であること以上に、「音楽」 そのものが主観的価値の対象になるこの二重螺旋の如く構造は慎重に観察する 必要があるのではないか。
音楽の社会性に注目する時、個人の音楽に対する社会的価値の感じ方は、そ の個人に流入する社会情報の質に大きく左右される。結局、これは情報の多様 化という現在の社会を投影しているし、ひと昔前のように「思想信条」による 価値観の差異は今や幻想でしかない。
そこで、音楽を鑑賞する立場と演奏する立場を、音楽に対する社会的価値の 感じ方のパターンに沿って区分けして、その心理構造と他者に与える好悪の印 象を観察分析してみたいと思う。
a)音楽の社会的価値を比較的大きなモノと捉える人が、素晴らしい音楽の演 奏に接した時に、その演奏家の人間自身を素晴らしいと感じるのは、好みの顔 の異性が「いい人」に思えるのと同じメカニズムであり、極めて自然な心理だ。 だが、一度でも「美人」に手ひどい目に遭った男は往々にして必要以上に「美 人」に対して警戒心と猜疑心を抱くようになる。最初に印象が良かったものに 期待を裏切られる心理は反動が極端で当然なのだ。
つまり、素晴らしい演奏を体験させてくれた演奏者に実際に接した時に、普 段は気にも留めないであろう些細な人間性の短所が必要以上にクローズアップ する傾向があるということである。
b)では、音楽の社会的価値を比較的小さなモノと捉える人が、素晴らしい音 楽の演奏に接した時に何を思うか? 恐らく何も思わない。か、真に新しい感 動を発見する。か、だが、後者の場合は自動的にa)のパターンに移行するの で、この場合はおおむね無反応としておいて差し支えない。こういう人にとっ ては正に今ここで進めている話は全く不毛だろう。
c)次に、音楽の社会的価値を比較的大きなモノと捉える人が音楽を演奏する 立場に立ったとしよう。彼はうまく演奏できれば自信と達成感を得るが、うま く演奏できなかった時には大きく傷付くのだ。そして、うまく演奏できる機会 が多いほど得られる自尊心は増大し、その自信と達成感が慢心を生む可能性が ある。また、うまく演奏できる機会が少ないと劣等感が増し、うまく演奏でき る機会が多い人に対して嫉妬心を向ける可能性がある。
つまり、ここでは度を超した慢心も、度を超した劣等感も、好ましくない人 間性の印象を他者に対して与える可能性が極めて高いという要素が指摘できる。
d)では、音楽の社会的価値を比較的小さなモノと捉える人が音楽を演奏する 立場に立った時はどうか? いや待て、こんな場合が現実にあり得るのか? 価値が大きくないと思っている事をあえてする人がいるのか?
現実にこういう場合は大いにあるのだ。 実際に、この例こそが「音楽の社 会性」という問題の深さを端的に物語るのである。
「音楽が上手に演奏できると、カッコイイ」 これである。
この人にとって重要な社会的価値は「カッコイイ」ことであっ て「音楽」ではない。例えば、音楽の「社会性」が変化して「音楽がカッコワ ルイ」価値に変化すればこの人にとってはもう「音楽」などどうでもいいモノ になる。
つまり、彼の観察範囲内で社会的価値が高いと予想される「音楽」に関わる ことによって、自己の人間としての社会性を獲得しようとする指向性である。 人間は群れの動物だから「社会性」への指向性は一種の本能だと考えても良い。 故に、このような指向性を「不純」だと言って批判するべきではない。
が、このような人の問題点は、「音楽」に関わる手段以外に、自己の人間と しての社会性を獲得する術を持たない場合が多いという所にある。つまり、彼 は社会的本能として「音楽」に固執せざるを得ない。
そのような固執は、見かけ上c)のメカニズムに沿ってその言動が現れる可 能性が高い。つまり、その人の価値観の本質から離れた地点での固執に端を発 する「慢心と劣等感」が発現する可能性が高いということである。
c)の場合 と違うのは、音楽がうまく演奏できたかどうかの判断が自覚にあるのではなく て他者からの評価に全面的に依存するという点である。つまり、このパターン の人の「慢心と劣等感」が度を超す時には必ず彼自身の情緒が不安定にならざ るを得ない。こうなった時に彼が周りの人間にどのように人間性を評価される かは言うまでもなく最悪なものとなるだろう。
つまり、まとめると、
「優れた音楽を演奏する人は、優れた人格の持ち主では無いと見なされる可 能性が高い」
という事になる。客観的事実はどうであれ、そういう印象を他者に与える機 会が圧倒的に多いということだ。
自己の人間としての社会性の獲得の基本は何か? 社会的価値の高いモノと の親和性を高める事は他者への印象づけの部分では即効性があるがいかにも間 接的手段だ。社会性の獲得は本質的に本人の自覚、つまり自己への説得力に由 来するべきである。他者の評価は必ずしも100%の自覚を保証するものではない。 従って、個人の社会性獲得の基本は人間関係の能動的構築にあるのであって、 本来的に流動する他者との動的な関係を作る事にしかその入り口は存在しない。
アイリッシュ音楽のパブ・セッションはただの演奏会ではないし、ただの練 習会でもない。毎回取り巻く状況が変化するので、毎回まったく違った様相を 見せるという特徴を示す。では、こういったメカニズムは何に由来するのか?
つまり、アイリッシュ・セッションを形作る多くの部分は、音楽そのものの 要素にも増してむしろその場その場の人間関係から成っているからだと言える のではないか。
ただし、アイルランドの音楽観光地のパブや、世界中のアイリッシュ・パブ でもはや普通に行われているらしい、「パブの風景としてのセッションの再現」 はこれには当てはまらない。こちらは、はっきりと「パブの商品としてのセッ ション」であり、パブがこの商品のための仕入れ(演奏料)にお金をかけるの は当然なのだから。(注:現在の資本主義社会システムでは商業活動は人間関 係の構築作業を極端に合理化する道具として機能し、個人の獲得する社会性は 「関係性」ではなく「お金を担保とした契約」という結果論で数量化すること ができる)
ここでの言うセッションは演奏者の自発的なセッションの場作りを伴うもの である必要がある。たまたま、飲み客からチップやギネスをおごってもらう事 があっても、それは人間関係構築の一環として現れる、あくまで商業活動とは 直結しない人間の集まりを核とするセッションのことだ。
つまり、セッションの本質が人間関係である限り、上記c)の場合の、「慢 心と劣等感」の度合いを制御する装置がどこにも無いという問題が大きく緩和 される。人間関係をその本質とするセッションそれ自体が「慢心と劣等感」の 度合いを制御する装置として作用する事が大いに期待できそうだからである。
ここまで考えてみて、ようやく、ダブリン在住の彼女の話がにわかに光を帯 びて来る感じがするのだが・・・。
<すざき・かずひこ:Irish pub field のおやじ・恒例アイ研琵琶湖合宿中楽 器を一度もケースから出さずに風邪で寝ていたおっさんは私です・・・>
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2004年4月
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■ field どたばたセッションの現場から
■ 演奏者の人格は音に出るか!?
■ field 洲崎一彦
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先日、ダブリン在住のLさんが一時帰国した。彼女はもう足かけ4年間ダブリ ンでちゃんと仕事をしながらセッション通いを続ける正統派fieldアイ研部員 だ。というわけで、彼女が帰国のたびに寄ってくれる時はダブリンの生のセッ ションの様子などが聞けて非常に興味深い。
もう、明日ダブリンに戻るという夜も彼女はパーティーの帰りか何かで、既 にええ調子のほろ酔い加減でフラリと寄ってくれた。そして、ビールを注文し てこれをチビチビ飲みながら、彼女の名物であるマシンガントークを絶好調に 炸裂させた。
アイリッシュ・ミュージックは演奏者の人格が音に出てしまう。だから、ど んなに小手先で巧く演奏する人でも人格が認められないと一人前のミュージシャ ンとは見なしてもらえない。セッションというのは楽器の技術もさることなが ら、そういう人格を磨く場所としても機能している。 というのが彼女のいつもの持論なわけだが、今夜はほろ酔い調子のせいか、 この御講話もいつにも増してくどい!(ゴメン) 私もついイタズラ心が湧い てきて、ここはひとつ反論してやろうと思った。
「じゃあ、ダブリンではいい音を出す人はみんな人格者なんかい?」
彼女は一瞬言葉につまりながらも、さすがのマシンガンに弾切れは無縁。
「そうよ。いい音を出す人は絶対に人間の根本がちゃんとしてるのよ」
「え〜!? ホンマ? 絶対?」
「一見嫌な奴でも、本当はちゃんとした人間なんだと私は信じますから」
「じゃあ、結局は、いい音さえ出せば、どんな人間でもまずはとりあえず認 めるんや?」
「私はまだ人格者じゃないから信じると言うしかないけど、ちゃんとした人 はちゃんと見抜いているものよ!」
「ふーん・・・」
とまあ、酒の席でのこんな風な他愛のない会話が延々続いた。
さて、ここで、お題です。
<演奏者の人格は音に出るのか?>
これはアイリッシュ音楽に限らない、色んな音楽の場面で時折耳にする伝説 の法則ですね。実際、音楽とはそういうものであって欲しい。いや、芸術表現 というものはそういうものであって欲しい。もちろん私にもそういうほのかな 夢がある希望がある。
でも、 「本当にそうか?」 と、誰かに人差し指を胸に突きつけられたら、やはり、答には躊躇する。
私も過去に色々なジャンルのミュージシャンを、アマチュアはもちろん、プ ロの人々、そして一部の大物ミュージシャンと言われる人々・・・を見てきた。 決して多くの数ではないかもしれないけれど、私の体験から言えるのは 「いい音を出すけれど、嫌な奴」 は確かにいた。
逆に、 「音はひどいけど、いい奴」 というのもたくさん見た。
さてさて、このあたりの事は、「伝説」として深くは触れてはならない問題 なのか?! でも、誰かがちゃんと正面から話題にしてもいいのではないか?
ここで、すぐに結論を出す性急さは必要ないけれども、ちょっとじっくり考 えてみたい問題ではあるのだ。そして、こういう問題提議をわざわざここに書 いたのは、アイリッシュ音楽を例にとった時に、やはりあの独特の「セッショ ン」というものの存在がこの問題に対して大きく関わるのではないかと直感し たからなのだ。
何故かというと、セッションはただの演奏会でもないし、ただの練習でもな い。毎回取り巻く状況が変化するので、毎回まったく違った様相を見せるもの。 では、こういったメカニズムは何に由来するのか?つまり、アイリッシュ・セッ ションを形作る多くの部分は、音楽そのものの要素にも増してむしろその場そ の場の人間関係から成っていると言えるからではあるまいか。
とまあ、こんな事を考えたのだけど、皆さんはいかが思われますか?
とて もデリケートな話題になりかねないので、今回はこのくらいで筆を止めること にします。一応、来月に続く、ということで、今月はさようなら、ごきげんよ う。
<洲崎一彦:Irish pub field のおやじ・最近、どうも、イメージしている より階段の一段の高さが高くで困る>
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2004年3月
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■ field どたばたセッションの現場から
■ラスティックって知ってる?
■ field 洲崎一彦
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もうだいぶ夜もふけた時間だった。カウンターに目つきの悪い2人の若者が 座った。ちょっと場違いな雰囲気を漂わせながら肩を揺らせている。いかにも 怪しい。背後の椅子席にいる白人男性も身構えたように見えた。彼らはしきり に肩を揺らせて上着を脱いだ。2人とも同時に脱いだ。すると、上着の下には 目にも鮮やかなグリーンのセーター。シャムロックの柄まであしらったグリー ンのセーターが出現した。よく見ると2人はいかにも若い。揃いのグリーン・ セーターに身を固め、初めて訪れたアイリッシュ・パブのカウンターに陣取っ て上着を脱ぐ! それそのものが彼らの勝負であったに違いない。気合いが入っ ていたはずだ。当初から彼らの登場を気にとめていた店のスタッフも客も皆こ こで「おっ?」と思ったはずだ。まずは彼らの1勝。
自然に誰からともなく彼らを囲んで会話が始まる。きくと、この2人は現在 修行中のDJだという。そして、DJの世界では今アイリッシュが大注目されてい るというのだ。それで、彼らは生のアイリッシュ・ミュージックの演奏を聴い てみようと我が field に一大決意でやってきたというわけだった。
話をすればするほど、興味深い。彼らの親しんでいるアイリッシュ・ミュー ジックは、ポーグスに端を発すると思われるパンク系のものだ。これらは、す でに非常にポピュラーになっていて、なんでも、「ラスティック」というジャ ンル名で呼ばれているとか。さらに、彼らはダブリナーズ系のパブソングにも 心ひかれ、やはり、ちゃんとしたトラッドも知っとかんとのう!と鼻息が荒い。 従来のマニアさんの鼻息とは明らかに種類が違う。文化系に対して体育会系、 いや、武闘派と言った方が当を得ているかもしれない種類の鼻息なのだ。
まあ、おじさん的に言ってしまうと、彼らは子供達なのだが、この子供達の 鼻息にわれわれは簡単に圧倒されてしまった。
そんな、「ラスティック」なん てワシら知らんぞ知らんぞ・・・。
と、非常に心細くなってしまったのだ。あ るいは、なかなか思うように若いエネルギーを取り込めないでいる我がアイリッ シュ・セッションの日々の焦りを刺激されたのかもしれない。どんな形ででも、 こういう怪しい子供達を虜にしているアイリッシュ・ミュージックがあったん だ!という発見。先月のキーラ3兄弟にもチラリと垣間見られた危なさ。いに しえのロケンローラー達にも通じる不良の空気。このパワー感には断然興味が 湧く!
そこで、1ヶ月後に控えた、field St.Patricks Party に彼らを誘うことに した。君らの言うそのアイリッシュ・DJ をウチのパーティーでやってみない か? もちろん最初に1勝をかました彼らがこれを断るわけが無かった。これ で、五分と五分。ええノリや。
field の恒例セント・パトリックス・パーティ St.Patricks Party は例年 風変わりな趣向で賛否両論の論争を巻き起こしてきた。それだけに、逆に今年 はどうしようか?とネタ不足に頭を痛めていたのも事実。彼らの起用が吉と出 るか凶と出るか?
いやむしろ、凶と出たら出たで、われわれのセント・パト リックス・パーティに相応しいものとなるだろう。私はプラス・マイナス入り 交じった期待感で時を過ごした。
折しも、field アイ研を中心とする生演奏部隊は、いつになく、早々と複数 のユニットを編成してリハーサルに余念がなかった。面白い事に、純粋なアイ リッシュは何故か少々敬遠される傾向にあり、東欧ジプシーやクレズマー、ス ウェディッシュなどの北欧もん、果てはオランダの古楽系の音楽やチック・コ リアまで引っぱり出す混沌としたプログラムが目白押し。そして、全プログラ ムの中間地点に配置されたアイリッシュ・DJが、どんな空気を作り出すのか? 「もっていく」のか「すべる」のか?
機材搬入からセッティングにしても従来の field パーティーには無かった 異様。ステージから離れた独立したスペースに2つのターンテーブルが並んだ DJブースが出現していた。そして、背後にはストロボ・ライト。頭上には乱反 射回転式カラーライト。ブースまわりにたむろする彼らと数人の彼らの仲間達。 異様。まさに異様。
しかし、フタを開けてみると、異様だったのは、むしろチック・コリアの方 だった(笑)。彼らのDJは想像以上にマトモ!
初めは、なあんや、ただ交互にレコードかけてるだけか?と思っていたが、 これが全部レコードの音源か?と驚くほど多彩でユニーク。アイリッシュもの オンリーというわけではない微妙な選曲。時に織り交ぜられるスカのリズム。
「スカにアイリッシュが微妙にはまるんですよ」 なんて能書きたれないでも分かるよ。結局2拍のアフタービートになってしま えば、リールも自由自在や!
とまあ、こんな合間に聞き覚えのあるポピュラーなチューン(題名覚えてな い)をバンジョーでかき鳴らしたヤツが淡々と流れる。これがいつも聞き慣れ ているものとは全然違う雰囲気に聞こえるのだ。明らかに聞こえ方が違う。
彼らの柔軟な感覚はただただノリの面白さ、選曲チェンジのタイミング、そ のつながりの違和感によってもたらされる次の曲のノリを操作する事・・・と、 まあ、こういうポイントにあるんやな。そして、場内は、かつてのfield パー ティーが一度も経験したことのないような、いかにもパーティー気分に満ちあ ふれているではないか。この空気の支配力は凄いぞ。
軽い。そういうことや。生楽器演奏の重みが無い分、人々の受け止め方もずっ と軽い。軽いからこそ出て来ることのできる空気がある。これは、つまり、従 来アイリッシュ音楽に対して一般 に持たれていた 「敷居が高い」 というイメージを一気に粉砕するものだ。
終わってみれば、充分に楽しんでいた自分に気づく。場内のほとんどの人が 同じような感覚だったと思う。この世界、実は全然特別なものではないらしい。 行く所に行けば普通に繰り広げられているものなんだという。ただ、単にアイ リッシュ音楽ファンを自認するわれわれが知らなかったというだけのものだ。
一瞬、あんなに自由で画期的だと信じていたアイリッシュ・セッションが、 どうしようもなく古くてカビ臭いものに思えたヒトコマだった。
2勝1敗で、完敗。
<すざき・かずひこ:Irish pub field のおやじ・くどいようだが、足腰に 来ている。流行のウオーキングもなかなかおっくう。それで、思い立ってドラ ムスの練習を始めた。確かに足に来る! けど、持病の○○が・・・・>
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2004年2月
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■ field どたばたセッションの現場から
■ ないわ〜、ローナン!
■ field 洲崎一彦
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さて、前回は2003年を振り返っての話題だったので、今回が2004年新年仕切 直しの初めての原稿となる。私は京都の field というパブでアイリッシュ・ セッションを主催する視点から、あるときはパブのおやじとして、またあると きはセッションに参加するミュージシャンとして、折々の雑感をにここに書き 連ねて来たわけだが、近年の、世間での(世間でというか、日本でというか、 私のまわりでというか、)アイリッシュ音楽の存在位置が少しずつ、でも確実 に変化して来ているように 感じる。
アイリッシュ音楽は一時のブーム的な活況こそ影を潜めたものの、そのファ ンは確実に増えこそはすれ決して減ってはいないように思う。それも、旧来の マニアックな空気感が薄れ、アイリッシュ音楽のすそ野は少しずつ多様化して いるようだ。以前ここで紹介した「ルナサ完コピ」バンドの出現もその現れだ と思う。
そこで、今回は2月の初めに京都で行われたキーラ3兄弟のライブとその後 のセッションについての模様を報告をしよう。
キーラは元々アイリッシュ音楽の異端などと呼ばれていたが、新作の《ルナ・ パーク》を聴く限りは、むしろアイリッシュを知らない一般の音楽ファンには 取っつき易い音楽だという印象だった。
でも、これとて、クラブで演るかな?というのが正直な思い。そう、彼らの 京都のライブ会場はクラブ・メトロというクラブ。ここは、いわゆる何でもや りますよ的な会場ではなくて、当世ありがちなライブハウスとは一線を画して 独自の存在感を出している京都クラブ・シーンの総本山的な場所だ。私達ディ スコ世代(それもサタディナイト・フィーバーよ!)にはちょっと想像がつか ないサブカル基地のような存在感すら漂わせている。それだけに何かやってく れそう!
もし、普通にたらーっとダンス・チューンをやったとしてもクラブ・ メトロでやれば聞こえ方も違うだろう。と、期待を膨らませて会場に向かった。
で、結果はどうだったか!? いやあ見事に中途半端! 半端さが半端じゃ ない!
前半の途中あたりから「これってカッコエエのかもしれん・・」と思っ た(思わされてた?)のは、クラブ・メトロという会場のせいか?
ローナンのボーカルというか語りというか・・は何語や!?
あれは言葉か? ただ吠えてるのか!?
ロッサの弾くヤマハ(?)のギターの安っぽい音は何 や!?
カラムのスカスカのアイリッシュ・フルートの音色は!? 何か難し い意味があるのか? いや、あるんや! きっと、ある! だって、ローナン が裸足なんやから!
アイリッシュ・チューン? ああ、そういえばそんな感じの曲もあったな〜。 それより、バウロンしばき上げながらノリノリでわめいているローナンの横で、 突然まったく関係無いリズムでグワシャ!とギターをカッティングするロッサ や、おいおいマイクに音乗って無いがな! え? かすかに聞こえる? とい うぐらい突然マイクから離れてフルートを吹き始めるカラムや、とにかく、ス テージを見ているこちらの気が散る気が散る!
でも、これも、意味あるんや で、きっと。とまあ、こんな感じのパフォーマンス。残ったのは何とも言えな い中途半端な刺激感。でも、これって、いわゆる新しい快感なのかもしれな い・・・。
こんな奴らが、この後、fieldに来て打上パーティーだと? セッションや るで!とfieldアイ研の面 々にも声をかけたが、本当にセッションなんてやる んだろうか? と、一抹の不安を抱きつつ、先にfieldに帰って彼らを待った。
皆それぞれにとりあえず一杯やって、席に落ち着き始めた頃合いを見計らい、 K君とT君が楽器を取り出して音を出し始めた。他のアイ研連中も集まって来 て、いつものセッション風景が出現した。 お?という顔をして、ロッサが傍らに置いてあったfield備品のブズーキ (ドーナルやアンディ他のサインだらけのやつ。あ〜!これは楽器としては最 悪のコンディションなのに・・・)を手にとってチューニングをしている。ロー ナンがT君のタンバリンをヒザに置いてリズムを取り始めた。あ、こいつら一 緒に遊んでくれるつもりんや!・・・カラムは向こうで女の子としゃべってい るけど・・。
私は、この時は店のおやじとして、耳はセッション席あたりに釘付けになり ながらも、何かとウロウロしなければならなかったのだが、少し落ち着いた頃、 自分のブズーキを持ってセッションの輪に入る。ちょうどローナンの隣が空い ていたので、そこに座る。もう、すでにK君が早いリールを始めていて、T君 が小気味よいバウロンを響かせていたが、私はせっかくローナンの横に陣取っ たのだからと、ちょっとしたイタズラ心がムクムクと湧いて来た。さっきのス テージで、あんなリズムぶっ壊しギターを真横でぶちかまされても平然とノリ ノリでバウロン叩いてたローナンの横に今自分が居るんやもん!
と思うや否や!私は、T君には悪いが、彼のバウロンのビートを全く無視し たブズーキをかましていた!
一瞬場の空気が変わった。何故?ローナンが猛 然とヒザに置いたタンバリンを叩き倒し始めたからだ。
それからは、ブズーキ とタンバリンのブレイク・リズムの応酬となり、よくもまあK君が平然と高速 リールをキープしてくれたものだ!と思えるほどのきわどい音楽が発生した。
もはや、アイリッシュもクソもなかった。K君のリールが何曲変わったのか? 何周回ったのか?全く覚えていないのだが、ともかくもK君が一連の高速リー ルを終焉させて、ともかくも1曲終わった。
気が付くと、ローナンがこっちを見て歯抜けの顔でニヤーと笑いかけたかと 思うと、私のヒザをポンポン叩いて来る。ほう?アンタも面白かったの か・・・。
実は 私は自分でも驚くほど演奏しながら興奮し、それがまた自分をあおる、 というような感覚に溺れてボーっとしてたものの、久しく感じる事の無かった 音のぶつかり合いを殊のほか楽しんでしまっていたのだった。
いいなあ。ローナンみたいな奴が近くにいたら、面白そう! fieldアイ研 もさらに過激な音楽サークルに生まれ変わるよ、きっと〜、などと夢想しつつ 〜、
私も笑いかけながら 「僕らのサークルの部員バッジをあげるよ」 と、ローナンにfieldアイ研107番のバッジを、極めて親しみを込めて進呈した のだった。
<洲崎一彦:Irish pub field のおやじ・体力の減退も歳を自覚させられる 一因だが、いつかはいいのを・・なんて思ってたら気が付いたら死んでるなー なんて強迫観念に駆られてケータイを最新型に買い代えてしまった衝動という のもどうでしょう?>
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2004年1月
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■ field どたばたセッションの現場から
■ 永野海人君に敬意を表して
■ field 洲崎一彦
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2003年の、私のアイリッシュ・ベスト体験! これはこの『クランコラ』の 年頭の恒例お題なのではあるが、実は私はこの「お題」がちょっと苦手である。 いつもの事ながら、あれもこれもと迷ってしまう。こういうものに一等賞を付 けるには一種の気合いと勇気が要る。私の場合、性格的なものだろうが、気合 いを込めると、つい、度を超す。つまり、こういう公開されている場での発言 という基準では、いわゆる、つい、暴言を吐いてしまう傾向がある。そうやっ て考えていると、ますます迷う・・・。
一般的にこういうのは、その年に観たコンサートだとか、新たに聴いたCDだ とか、そういう汎用情報につながるものでないと意味無いとは思うのだが、今 回はあえて極私的な一件を選ぶ事にした。多くの方々には恐らくどうでも良い 情報であろう、fieldアイルランド音楽研究会というサークルの話題である。
このサークルは、2000年01月に field がパブに変身して数ヶ月後に誕生し た。当時セッションに集る人々の中で中心的役割を担っていた2つのバンドが あった。ひとつは私が所属していた「fieldアイルランド音楽研究会」。もう ひとつが、『クランコラ』誌上に毎月謎めいたつぶやきを寄稿しているイクシ マ氏が所属していた「バトル・スティックス」である。
ちょっと脇道にそれるが、この両バンドのメンバーをあらためてここに列挙 するだけでも今では割とインパクトがあるかもしれない。
・「fieldアイルランド音楽研究会」 洲崎一彦guitar, bouzouki、クヌギ丈弘 fiddle,bouzouki、 金子鉄心whistle、川辺ゆかvocal、森美和子flute、 鵜飼恭子accordion、山元綾乃vocal, accordion, concertina、 加藤和哉bodhran
・「バトル・スティックス」 生島徹guitar、はたおflute、木場大介fiddle、鈴木しんごbanjo、 三好とうようbodhran
そして、この時期に、私のバンドはそれぞれアイリッシュ音楽以外の活動が 中心である人たちが多かった事もあって自然消滅の一途をたどっていたし、イ クシマ氏のバンドもメンバーの指向性の違いが表面 化し始めていた。別の角度 から見れば、fieldセッションという新しい環境に対して、それぞれのバンド のメンバーの中でセッションに必ず来る人とそうでない人の別が生まれてしまっ たわけだ。
一方、セッションの現場では、これらのバンドに全く関係が無い人たちもセッ ション常連として定着し始めていた。
つまり、普段ろくすっぽライブ活動もしていないバンドという枠組みの存在 意味が完全に葬り去られてしまったんだと、今ならそういう構造もくっきり見 えるお話。そして、私のバンドの解散を機に「fieldアイルランド音楽研究会」 の名称は、fieldセッションに集まる人々のサークルの名称として引き継がれ、 「バトル・スティックス」のイクシマ氏が先頭に立ってこの新しいサークルを 引っ張る形が出来上がった。
元々が、このような成り立ちの経緯なので、このサークルのシステムは非常 に脆弱だった。部員(会なのに、なぜか最初から「部長」だとか?「部員」だ とか?全員なんの疑問も持たず習慣化してしまった)が受ける恩恵も微々たる もので、その守るべき義務が無いに等しく、部員でなくてもセッションには自 由に参加できたし、部員非部員の差異を意識しなければならない場面 など普段 はほとんど無かった。にもかかわわらず、fieldアイ研はこの設立当初は大変 活発な盛り上がりを見せたのだった。
イクシマぶちょーが単身ドニゴールに乗り込みアポ無しでアルタンのマレー ドに対面してサークルの顧問をお願いしたり、ドーナル・ラニーとアンディ・ アーバインが来京の折りにはライブ会場の楽屋にまで押し掛けてサークルに入 部してもらったり。サークル創設最初の年に一気にここまで行ってしまうと、 どうしたものか、自然に「遊び」のモチベーションもその後は下がる一方にな る。2年目、3年目を迎える頃には、このサークルはすっかり有名無実化して しまっていたのだった。サークルはホームページを持っていたが、もし、この ページを閉じればあとは自然消滅するだろう・・・という、もはや行くところ まで行ってしまった感のまま2003年の新年を迎えたのがつい昨日のように思い 出される。
そして、2003年、このサークルはひとりの若者によってよみがえった。成立 すら危ぶまれた恒例のゴールデン・ウィーク合宿。この合宿の実行委員長にひ とりの若者を立てた。当初からサークルに所属していたものの、なかなか存在 感を思うようにアピールできないでいた笛吹き男が、前年あたりから笛の腕前 もメキメキとアピールし始めていた。合宿は見事に成功し、実行委員長は合宿 が終わってからも「じっこういいんちょう」として、サークルに新しい空気を 作り、新入部員も集い、秋には外部イベントからお声が掛かるまでになったの だ。
そう、2003年は、fieldアイルランド音楽研究会が見事に復活を遂げた忘れ られない年なのである。じっこういいんちょうに敬意を表して、ここに彼の名 前を公表しよう。
京都在住ホイッスル奏者、永野海人。
でも、彼は先週、折から人手不足のfield pubに引っ張り込まれてしまった。 身分制度の厳しいfield スタッフの中で、現在彼は足軽としての辛酸をなめて いる。あ〜あ・・・(笑)。
<洲崎一彦:Irish pub field のおやじ・歩くとフラつく。階段でつまずく。 歩道の自転車をよけられない。足に来ると本格的に老けるというが‥‥>
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