2001年12月

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■ fieldどたばたセッションの現場から 6

■ field 洲崎一彦

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 前回は、アイリッシュ・セッションというものが持っている一種の矛盾と、 その矛盾を瞬時に覆す偶然のお話をしたが、今回はその続きです。  

 最近、fieldアイ研(fieldアイルランド音楽研究会)ぶちょーのイクシマ 氏と論争している話題でもあるのだが、

「セッションか?ライブか?」とい うテーマがある。

 ぶちょーは自他共に認める「セッション派」なのだが、彼 にとってアイリッシュを演奏することはセッションに参加することとイコー ルなのだ。演出や段取りを考えて演奏しなければいけないライブの堅苦しさ を、彼は

「アイリッシュの自由さが損なわれる」といって敬遠する。

 非常に 極端な考え方だとは思うが、気持ちはよくわかる。  

 前回、セッションにはさまざまな「偶然状況」が出現するというお話をし た。また、その例として先日シェイマス・クレイとミック・デイリーを伴っ て、山口智さんがfieldを訪れた時のセッションの模様を報告した。

 が、特 別なゲストがやって来た時だけが「偶然状況」ではない。何らいつもとかわ りばえのしない連中が集まった時にも色々な「偶然状況」が現れる。これに は、ミュージシャンひとりひとりのその時の調子という要素と、人の組み合 わせの問題という要素が複雑にからみ合う。  

 確かに、ぶちょーの言うとおり、ミュージシャンにとってセッションはラ イブほど気が張らない。良く言えばリッラクスしているし、悪く言えば緊張 感に欠ける。つまり、ライブだと、気分的にまたは身体的に少々調子が悪く ても、その緊張感を利用してある一定のレベルまでは割と容易に集中力を引 き上げる事ができる。だが、セッションの場合は、そういう個人的な調子が モロに表に出てしまうのだ。悪く言えばタレ流し。また、そういうガラス張 りのミュージシャンの様子が面白くてセッションを観に来る意地悪なお客さ んがいないとも限らない。

 しかし、ぶちょーのタイプはこのような状況の中 でモリモリと自らのボルテージを高めるのだ。端で見ていると、

「アンタそ りゃあライブ以上の盛り上がりやろう!」と突っ込みを入れたくなるぐらい だ。

 彼にとってはセッションは1回1回が真剣勝負だし、他のミュージシャン との戦いの場なのだ。  

 しかし、これとは正反対のミュージシャンも大勢いる。むしろ多数派はこ ちらの方かもしれない。

「もっと気楽に遊ぼうよ」というタイプである。

 こ ちらのタイプはある程度ライブも重要視しているミュージシャンである場合 が多い。緊張感と集中力を発揮するのはライブの場だと割り切っているので、 彼らにとってセッションはあくまで気楽なものでなければ意味がない。どち らがいいのか一概に判断できる問題ではない。どちらも、セッションという 環境の中で個人的調子という要素がガラス張りになる前提は共通 していて、 そこに臨む気概の部分が正反対なのだ。

 そして、セッションにはこの双方の タイプのミュージシャン達が往々にして入り交じるのだ。こういう場合はセッ ションをする着席の順番ひとつがそのセッションの空気を大きく左右するこ ともある。  

 以上のようなメカニズムに作用するさまざまな偶然はまさに予測がつかな い。だから、セッションの空気は1回1回違う。たとえ同じメンバーが集まっ ても同じ雰囲気のセッションはありえないのだ。

 だが、これはfieldが行っ ているような完全オープン・セッションの場合にのみあてはまるのだと思う。 固定メンバーでの、ある程度一定の観客の目を意識した、または、パブ側の 営業的要請に従って行われているセッションはこういうスリリングが状況を 回避することができるし、前回お話しした音楽的矛盾も最小限に押さえるこ とができるだろう。

 つまり、「パブのセッション」という商品品質は安定す る。  

 さて、ここからが問題なのである。私はミュージシャンでもありパブの大 将でもある。パブ側という視点に立てば、セッションを「パブの商品」のひ とつとして認識しなければならない面を否定できない。

 しかし、私はもとも とセッションがしたくてパブを作ったのである。自分がミュージシャンとし てセッションを楽しむ事ができなければパブを作った意味がない。ここに、 「相互に本末転倒」という困った構造があるではないか!  

 前回、私はさもしたり顔で「セッションは音楽的矛盾を内包する」などと 語ってしまったが、これをとり行っている私自身にかくの如し矛盾が内包さ れている。この二重螺旋構造!! 

 二重の矛盾はお互いにうち消し会って 「ゼロ」になるなどとうまい理屈があるワケはないが、fieldセッションは 本日も無事終了したのであった。めでたし、めでたし。 (以下次号)

<洲崎一彦:京都のIrish PUB field のおやじ>

 

 

2001年11月

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■ fieldどたばたセッションの現場から 5

■ field 洲崎一彦

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 「アイリッシュ・セッション」この言葉に込められた憧れが大きければ大 きいほど、現実のセッション現場での戸惑いと困惑に日々頭を悩ませること にもなる。文字どおり手探りで始めて、今も何とか続けているfieldセッショ ンだが、いまだ「これがfieldセッションの形」というものが確立しない。

 では、「アイリッシュ・セッション」への憧れとは何か?何にそんなに惹か れるのか?これは、つまる所、私ひとりの個人的な思いこみに過ぎない部分 が大きいことは自分でも薄々気が付いている。

「アイルランドのどこそこの町のパブではこんなセッションをやってた」 とか、

「現地のミュージシャンにパブ・セッションの裏事情を聞いた」

 などの情報は自然と私の耳にも入ってくるようになったし、実際に日常的に セッションをやっていると、やはりそこには「面白いセッション」と「面白 くないセッション」が厳然と存在する事実から目を背けるわけにはいかなく なる。  

 私が、セッションに思い描いた憧れは「オープンな空間による高い音楽性」 という部分に尽きる。しかし、このことは、ちょっと考えてみても大きな矛 盾を内包している。

 オープンな空間というのは、誰でも受け入れる閉鎖的で ない状態である。

「誰もが自由に参加できる音楽演奏空間」。言葉にすると、 あまりにも甘味な世界。

 しかし、この空間は音楽性を高めるためにはまった くの非効率としか言いようがない。楽器の演奏には、悲しいかな、どうして も技術の優劣がつきまとう。また、この技術には、運動神経的な技術から、 感性的な技術まで、その意味するところは限りなく幅広い。

 また、アイリッ シュのセッションでは、選曲の問題がある。参加者全員で演奏するためには、 みんなが知っている曲を選ばなくてはならない。

 このような状況で、楽器を 合奏するためには、高度な演奏技術を必要としない、限られた曲しか演奏で きないという動かし難い制限が発生する。このあたりを考慮すると、音楽性 を確実に高めるためには、固定メンバーで切磋琢磨するのが最も効率的だ。

 しかし、これだと、誰もがこのセッションに参加できるという道が閉ざされ る。相当な演奏技術を持った人でも「新参者」というだけで排除される可能 性もある。

 そして、これはヘタをすると、ひとつの固定された合奏ユニット の公開練習会でしかなくなる恐れが出てくる。それぐらいなら、ちゃんとス テージを設えて、ライブをする方が、観ている人に対してどれほど親切とい うものか。  

 理屈ではこうなる。これは、致命的な矛盾である。しかし、私は、この矛 盾した要素を統合したセッションへの憧れをどうしてもあきらめることが出 来ない。それは、現実のセッションでは上記の理屈を越えた「偶然」という 要素が常に複雑に絡む事で、その時々のセッションの場の空気と音楽を左右 することを経験してしまったからだ。

 ただ、「偶然」は文字通り「偶然」で しかない。確実な「偶然」は「偶然」ではない。

 また、「偶然」に依存する ほど脆弱なことはない。

「決して依存することはできないが、現実として存 在する影響」としての「偶然」。

 この「偶然」の取り扱いもまた、難儀極ま るものである。  

 少し表現がかたくなってしまったが、以上のような慢性的問題を抱えなが らも継続している

 fieldセッションに、先日ひとつの偶然状況が出現した。 fieldからそう遠くないライブハウス「磔磔」で、シェイマス・クレイ、ミッ ク・デイリー&山口智のライブが行われた。ライブ後、彼らはfieldに立ち寄っ てくれたのだった。

 レギュラー・セッションの曜日ではなかったので、いつ ものセッション席は今日は一般 のお客さんでふさがっていたので、奥の部屋 に陣取った。  

 まず、アイルランドのミュージシャンはみんな酒のみで酔っぱらいという イメージはモノの見事に崩れ去った。シェイマスさんはホットコーヒーを飲 んでいるぞ! おお! 山口さんもホットコーヒーを飲んでいるぞ!この落 ち着いた雰囲気は何や!? 

 この物静かなくつろいだ雰囲気の中で、誰から ともなく楽器がケースから取り出され、いつのまにか、すう〜っとセッショ ンが始まった。特にシェイマス、ミック、といった「本日の主人公」的なお 2人の演奏が終始控えめで、ついさっき観て来たばかりのライブとはうって 変わったプレイが印象に残る。

 そう、あくまで、この場に楽器を持って集まっ てきた私たちを楽しませようとしてくれているとしか思えない。誰かが、た どたどしく、たぶんうろ覚えのチューンを弾き始めると、シェイマスさんは 本当に優しく微笑みながら自分のフィドルでメロディーをフォロウする。テ ンポや音量もあくまで最初に弾き始めた彼女のペースを守る。テンポが落ち 着いてくると、知らぬ 間にミックさんのギターが伴奏を付けている。これも、 あくまで、彼女へのフォロウだ。

 そして、このチューンを知っている者がそ ろりそろりと演奏に参加して、気が付くとみんな演奏している。いつもの fieldのレギュラーセッションがいかに騒がしいか思い知らされる。誰かが 始めたチューンの横取りなど日常茶飯事だし、何よりも音がもっとツンツン にとんがっている。

 この、優しい眼差しにあふれたジェントルな雰囲気。お おらかな雰囲気。あまりにも違うこの空気!!  ちょっとした会話とちょっとした目配せで自然に音楽が始まり自然に終わ る。ダンスチューンも「もう!ノリノリやでえ!」というのではなくて、ゆっ くり独特のアクセントのうねりを楽しむカンジ。これが、コーク地方の特色 なのか?シャエイマスさんのお人柄なのか? それはよく分からないけれど、 私には一種のカルチャーショックだった。

「こういうの、あるんや」ていう 発見があった。  

 この日、ステージ直後でお疲れの所を、みんなでfieldまで足を運んで下 さった山口智さんに感謝します。 (以下次号)

<洲崎一彦:京都のIrish PUB field のおやじ>

 

 

2001年10月

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■ fieldどたばたセッションの現場から 4

■ field 洲崎一彦

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 さて、前回までは、fieldのセッションがいかにして生まれたか、をお話さ せていただいたわけだが、今回はこの夏8月25日のセッションの様子を実況中 継してみよう。  

 fieldのセッションは完全なオープンセッションなので、いつも必ず決まっ たメンバーが集まるとは限らないし、誰が参加するのも自由だ。セッション日 のセッション開始時間にならないと誰がやって来るかわからないのだ。セッシ ョンに対するワタシの立場は微妙なので、また、セッションを聴くのを楽しみ においで下さるお客様もおられるわけだから、これは毎回もの凄い緊張感です よ!

 もし、誰ひとり来なかったらどうしよう!「今夜はミュージシャンがひと りも来ないのでセッションはお休みです」なんて言っても、「お前ひとりで何 かやれ!」って言われたらどうしよう!とかいろいろ想像して毎回胃が痛くな る。このへんは実に微妙。

 パブのおやじとしてはですね。 楽しみにおいでいただいたお客様に対しては是非ともセッションはしたい。で も、元々自分の楽しみで始めたセッションだから、ミュージシャンが来ない夜 は、それはそれでいい。別 に無理矢理やるもんじゃない。というような部分で 大葛藤するわけです。  

 今日は土曜日なのでセッションは8時から。んんん。時計はもう8時なのに誰 もやってこないぞ‥‥。セッションをやる席はあらかじめ「予約席」扱いにし ているが、セッションが始まっていないのに、お客さんがけっこう入ってしま った。このままセッション席を空けておくのは不自然な光景やなあ。マズイな。 ちょっとワタシは事務室にでも隠れておこう。

 事務室で仕事してるふりをして いると、スタッフが駆け込んでくる。

「お客様に、セッションは何時からか、と尋ねられましたが・・・!」

「え?何が?」

「今日のセッションは何時からですか、って」

「ああ、セッションやね。わかった 、わかった」

「それで・・何時からですか?」

「ああ、もう少し、あと10分ぐらいかな?ね?」

「‥‥‥」

「わかったわかった。10分後10分後」

  などと口走ってしまったぞ。客席に出ていくと、おお!セッション席に誰か座 っているではないか。彼こそはわがfieldアイルランド音楽研究会(fieldアイ 研)が主催しているウイッスル教室の先生役(?)の金子鉄心オヤジだ。

 さっ きまでカウンターでギネスをあおっていたのだが、見るに見かねてセッション 席に移動してくれた様子。よし!彼の心意気に応えずして男と言えるか!とば かり、ワタシもセッション席へ行く。いつもカウンターの端っこに置いてある 自分のブズーキを抱えると、鉄心オヤジはトロンとした目をしてこちらを見た。

「‥‥演奏‥‥するんですか?」

「え?しないの?」

「いや、スザキさんがお られないから、セッションないのかなと思って。今ちょうど電話があって、こ れから神戸に行く予定をいれちゃいました」。

 あらららら、である。

「じゃあ、 まあ2〜3曲だけでもちょっとだけ演奏してから‥‥それから出ても、駅は近い し大丈夫、大丈夫!」と言いくるめて、ワタシはブズーキでジャラ〜ン、とD のコードを弾く。

 鉄心オヤジは傍らでどこかに電話しているが、どうも、つな がらない様子。そしておもむろにロウ・ウイッスルを取りだして、Dのコード に合わせてリールを吹き出した。  

 鉄心入道(外見が「入道」って感じなんです)と2人きりで合わせるのも久 しぶり。いい感じである。セッションは少人数では寂しいが、人数が多すぎる と演奏している自分の音も聞こえなくなるし、道路いっぱいに広がって一斉に スタートする市民マラソンのような雰囲気になって、音楽を演奏しているとい う気分ではなくなる時がある。2〜3人だとヤンヤ、ヤンヤの盛り上がりはない が、それぞれの音がよく聞こえて、緊張感を持って音楽を演奏している気分が 出る。

 3曲ぐらい、しっとりと演奏し終わった頃から、鉄心入道はしきりに時 計を気にし出した。そこへ、fieldアイ研「ぶちょー」が登場、彼の専門はギ ターなのだが、今日は何故かバンジョーも抱えてやってきた。続けて、フルー トのマサガキとウイッスルの海人がやってきた。

 最近、異常に元気なぶちょー が、バンジョーで次々にチューンを繰り出してくる。またこのバンジョー(4 弦のテナーばンジョー)の音というのがデカイのだ。いやがおうにも他のメン バーも引きずられる。  

 気が付くと、鉄心入道はいつの間にか姿を消し、ぶちょーを中心に演奏も佳 境。ワタシは店表の仕事でしばしセッション席を離れた。その時、どこからか 「ゴォ!」という低い音の後ドスンと上下に1回来て、あとはゆっくり横にゆ らゆら揺れた。

 モノが倒れるほどではないが、この京都の地震で地鳴りが聞 こえたなんてワタシの記憶では初めてだ。店内はお客様でごったがえしていて、 今まさにドアを開けて入店しようとしている車椅子のお客様をみつけ、ワタシ はとっさに玄関口へ駆けつける。  

 しばらく、店内は騒然としたが、3〜4人がNHKに切り替えられたTVの前に集 まっただけで、すぐに平静を取り戻した。TVの画面 では歌って踊る「モーニン グ娘。」をバックに臨時速報のテロップが流れ、京都市内北部震源、震度4の 地震を報じた。

 ワタシは、「そうだ、セッション中だったんだ!」と思い出し、 セッション席に目をやる。そういえば、ずっと流れていた音楽はCDじゃなかっ たことに気が付く。

 地震に気が付かなかったのか?気が付いても演奏が止めら れなかったのか?とにかく、この間、セッションは一瞬たりとも止まらずに続 いていたのだった。

 恐るべし、ぶちょー。 (以下次号)

<洲崎一彦:京都のIrish PUB field のおやじ>

 

 

2001年9月

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■ fieldどたばたセッションの現場から 3

■ field 洲崎一彦

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 どうすれば生ギネスを自分の店で扱う事ができるのか?! 私が行き着い た答えはひとつしかなかった。  「生ギネスを置くために、店をアイリッシュ・パブに変えるぞ!」  秋も深まった頃、私は突如宣言して、当店スタッフや常連のお客さん達を 大いに慌てさせたのだった。  

 そして、思いつきから約3カ月後、2000年1月15日にIrish pub field がス タートする事になる。  

 これは悪夢のような3カ月だった。アイルランドにはもちろん、日本にあ るアイリッシュ・パブにさえ一度も行ったことが無い私は、遅まきながら大 阪のとあるアイリッシュ・パブに出かけて、そのまるで映画のセットのよう な空間にすっかり圧倒されて落ち込んでしまった。  

 アイルランド旅行経験のある人をつかまえては質問責めにし、パブの写真 を見せてくれと懇願した。これからアイルランドへ旅行に行くという人には 料理のレシピをお土産にねだった。  

 知れば知るほどアイリッシュ・パブというものは想像を超えた異空間に思 えてくる。実行不可能に見える事柄が次々に山積みになる。

 京都独特のうな ぎの寝床と称されるこの極端に細長い店が果たしてアイリッシュ・パブにな るのか?  焦燥感と重圧がピークに達した時、私は最後の砦に居直ることに決めた。

「生ギネスが飲めればそれで立派なアイリッシュ・パブじゃ!」  

 年末営業を暮れの28日で切り上げて、リニューアル・オープンまでが約2 週間強。最小限の店内改装のほとんどを自分たちの大工仕事でまかなった。 外に出す看板も全部ペンキで描いた。セッションメンバーも仕事帰りに学校 帰りに手伝いに来てくれた。みんな学園祭の準備ぐらいの気持で気軽に手伝っ てくれたのが何よりの励みだった。

 開店3日前に私がインフルエンザにやら れるというアクシデントを経て、予定していた準備作業の3割ぐらい積み残 して遂に時間切れ。完全な見切り発車だったが、とにもかくにも、Irish pub field は動き出したのだった。  

 セッションは従来の月2回土曜日に加え、毎週火曜日も行う事となり、最 低でも月6 回、以前のの3倍のペースで行われる事になった。しかし、同じ 頃、皮肉にもセッションの核を成していた私達のバンドは様々な事情が重なっ てほぼ活動休止状戴に陥っていたのだった。  

 一方、突然「パブのおやじ」になってしまった私は、

「アイルランド音楽 が好きなカフェのおやじ」という気楽なものでは無くなっていた。

「自らア イルランド音楽を演奏する、京都で初めてのアイリッシュ・パブのおやじ」 知らぬ間に、こういう風になっていたのだ。

 こんなイメージが一人歩きする 恐怖たるや

「みんな! 頼むからワシにアイルランドとアイルランド音楽の事を質問せん といてくれ!!」

 祈るような日々だ。この京都のどこに今まで潜んでおったのか!と思うく らい、アイルランド愛好家のお客さん達が毎日やってきた。恐らく、あまり に無知の私は、彼らの多くを失望の淵に追い込んだ事だろう。

 こんな空気が 支配する店内で、楽器を持ってセッションの輪に入るのは決して気楽なもの であるはずもない。  

 このように、私のアイルランド音楽環境は再び激変したのだ。そして考え あぐねた末、セッション常連のオピニオン・リーダーだった生島徹氏を部長 (現在は平仮名で「ぷちょー」と表記すると彼の事を指す)に立てて、セッ ションに集まる人達を中心に「field アイルランド音楽研究会」なるサーク ルをでっち上げた(秋の時点で立ち上げていた同名のホームページを流用し て、そういうサークルが存在することを勝手に宣言しただけ)。

 最初にセッ ションをしたちょうど1年後にあたる2000年5月の事だった。ここでは私はあ くまでヒラ部員であって、セッションの時は店の思惑など忘れて遊ぷ、と割 り切ることにしたのだ。   

 このようにしてIrish pub field のセッションは始まり、現在に至ってい る。参加者がたった2人だった夜、参加者の多すぎた夜、店内全部がダンス 会場と化してしまった夜、有名なミュージシャンが参加してくれた夜、悩み を抱えた奴を囲んだ夜、ワイ談に終始してしまった夜‥‥、1日として同じ セッションはあり得ない。そして、現在もfieldセッションは発展途上だ。

  人も変わる。状況も変わる。アイルランド音楽を楽しもうという、集まる人々 の気持ちだけが変わらない。しかし、現実はいつもドタバタ。  

 そんな、セッションの現場から、アイルランド音楽初心者の私が感激した り、驚いたり、困ったりする日常の思いを、これから時々報告させていただ こうと思っている。各方面の先生方のご意見、アドバイスが頂けたら、とい うのが最大の希望である。 (以下次号)

<洲崎一彦:京都のIrish PUB field のおやじ>

 

 

2001年8月

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■ fieldどたばたセッションの現場から 2

■ field 洲崎一彦

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 前回は、アイルランド音楽ど素人の私が、どういう経緯でアイリッシュ・ セッションを主催する事になったかを書かせていただきましたが、今回はそ の続き。   

 それは99年の5月。右も左も分からない状態で、とりあえずセッションや るぞ!と宣言し、店の片隅に集まって、ただアイルランド音楽を演奏をした だけの事だった。  

 私たちは、セッションで演奏されるポピュラーな曲というものがあって、 それをセッションに参加するミュージシャンは常時100曲も200曲も覚えてい るものなのだ、という事実すらまだ知らなかった。ましてアイリッシュ・ダ ンス・チューンが何千曲単位 で存在する事など思いもよらなかったのだった。

 セッションの核となった私たちのバンドのレパートリーも、単にアルタンや ダービッシュのCDから曲を拝借しただけの、コピー・バンド状態だったのだ から。  

 「私たちのバンド」などというと一丁前に聞こえるかもしれないが、実体 は寄せ集めの集団に過ぎない。

 さかのぼれば、私がアイルランド音楽を聴き 始めた90年頃に、半ばクラシック界からドロップアウトしていたひとりのヴァ イオリン男とケヴィン・バークごっこをして遊んでいたのが事の発端だった。 折に触れ、歌の歌えるような女の子をつかまえてはアルタンの真似をしたり して、ずっとそんな風に遊んでいたのが、この頃たまたま、お祭りで篠笛を 吹いていた女の子がちょうどD管にあたる調の篠笛を持っていたのでこれを 引き入れ、とあるロックバンドのキーボーディストがアコーディオンも弾く らしいと聞くやしつこく勧誘し、知り合いのジャス・ドラマーに無理矢理バ ウロンを購入させ、日本民謡を歌っていた女の子に「自由にこぶしを回して くれていいから」と拝み倒して、フィドル、ブズーキ、フルート、アコーディ オン、バウロン、歌の6人編成になっていた。また、後にはホイッスルとコ ンサーティーナを加えて総勢8人編成に膨れ上がっていったのだった。  

 とにもかくにも、このようにして始まったセッションも月1回が2回となっ て、参加するミュージシャンも徐々に増えて行き、民族音楽系サークルの大 学生達も来てくれるようになった。夏に私たちのバンドが外のライブハウス でライブをした折、このセッションの宣伝をしたのも効果 があったのか、ど ういう風に情報が広がったのかは定かではないが、どっからともなくウワサ を聞きつけて毎回誰や彼や新しい人がやってきた。私はアイルランド音楽を 演奏する人間が身の回りにこれほどの数存在することに驚愕し、また、彼ら の演奏技術、アイルランド音楽の知識の深さに舌を巻いた。  

 熱心な学生のひとりは私たちのセッションに参加する為に私たちのバンド のレパートリーを必死で暗記してやって来る。そんなことまでしているなん て後で知ったのだが、これはショッキングな事実だった。こうやって色々な 曲を覚える事が色々なセッションに参加するための演奏者の作法だ、という ような事をその学生は平然と言ってのけるのだった。  

 私たちのバンドのフィドラーは  

「あなたのフィドルはどの地方のスタイルですか?」 などと質問されて目を白黒させていたし、私の全面 的我流のブズーキを  

「ボシーバンドのスタイルなんですね」 と評されて、私は慌ててボシーバンドを聴き直したりしたものだ。

 また、彼 らはあの似たものだらけの紛らわしいダンス・チューンの曲名をひとつひと つ正しい名前で呼んで区別していたのも驚きの事実だった(私たちのバンド では、ダンス・チューンの曲名をいちいち覚えるのが面 倒なので「何のCDの 何曲目」という風に区別していたから)。  

 そうやって私は、少しずつアイリッシュ・チューンの底無し沼のような深 淵を思い知らされることになるのだった。   

 セッションに集う人々には音楽以外の事も色々教わった。  

「ギネスは置いてないの?」

 と言われ、慌てて缶ギネスを用意したが、皆それでは許してくれない。当時、 京都には生ギネスの飲める店は1軒か2軒しか無かったのだが、とにかくそこ へ行って自分で飲んでみなければ!!!! するとこれがめちゃくちゃに美 味いではないか!!  

 こうなったら何としてでも生ギネスをgetせねば、と、八方駆けずり回った が、当時の生ギネスは小規模な個人店が簡単に扱える商品では無かったのだ。  

 むむむむ‥‥。思い悩んだ私にとってはこの生ギネスビールはもはやアイ ルランドがどうのこうのという問題を超えてしまっていた。自分がめちゃく ちゃ美味いと思うビールを売れないなんて自分で店をやっている意味無いん とちゃうのか!! 

 どうすればこれを自分の店で扱う事ができるのか?! 

  私が行き着いた答えはひとつしかなかった。  

 今から思えば相当頭に血がのぼっていたことを認めざるを得ない。一応わ が店「field」は京都のビジネス街で12年続けているカフェ・ギャラリーな のである(99 年当時)。それなりに常連客も居たし、美術関係で出入りす る馴染みも多かった。とても冷静な判断だったとは言い難い。  

 「生ギネスを置くために、店をアイリッシュ・パブに変えるぞ!」  

 秋も深まった頃、私は突如宣言して、当店スタッフや常連のお客さん達を 大いに慌てさせたのだった。 (以下次号)

<洲崎一彦:京都のIrish PUB field のおやじ>

 

 

2001年7月

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fieldどたばたセッションの現場から

field 洲崎一彦

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 私は京都で field というアイリッシュ・パブを営んでいる。本来ならこう いう場所に登場することができる資質など持っていないのだが、昨年ドーナ ル・ラニーが京都を訪れてウチでセッションになった折、居合わせた大島さ んがたまたま当セッションに注目していただいた縁で、この度、皆様の末席 に加わらせていただくことになった。  

 正直に白状すると私のアイリッシュ・ミュージックの認識は初心者はおろ か入門希望者という所にとどまっているレベルだと思う。実際、私がたまた まアイリッシュ・ブズーキを演奏している事から、「すごく知ってる人」と 思われがちな事に日々弱っている。  

 なぜブズーキなのかというのも深い意味はない。最初はアイリッシュ・ギ ターを弾こうとしていたのが、たまたま手にしたブズーキという楽器が非常 に面白かったのと、アイリッシュ・ギターで多用される特殊なチューニング を覚えるなら新しい楽器を始めるのも同じだと考えたに過ぎない。

 これ以上 ボロを出すと方々から「なんでお前みたいなのがここにおるねん!」とお叱 りを受けるかもしれないので、ここらあたりにしておくが、そういう私が現 在アイリッシュ・セッションを主宰している事のデタラメさをこの際皆様に 笑っていただこう、というのが今回ここに登場させていただいた主旨だとご 理解いただければ幸いだ。  

 私は、アイリッシュのセッションというものの存在を初めてヒトから聞い た時の驚きと憧れを今でも良く覚えている。  

 私のアイリッシュ音楽歴は、1990 年頃より細々とCDを聴き始め演奏にも トライして来たのだが、ただ内輪で遊んでいただけで、情報を意欲的に収集 するなんてこともせずにだらだらと時間ばかりを浪費していたような内容に 過ぎなかった。

 それが99年初頭にたまたま自分の参加していたアイリッシュ・ バンド(アイリッシュ・ミュージックを演奏するバンドというだけの意味です)でライブをした時、過去にはあり得なかったぐらいにお客さんが集まっ た事に仰天した。それは『リバーダンス』と『タイタニック』の影響だった わけだが、そんなものが流行っている事すら私は認識していなかったのだっ た。

 客席に友人以外のお客さんが居る事自体にビビってしまうような有様だっ た。その客席にたまたま金子鉄心氏がいた事がその後の私のアイリッシュ人 生を一変させる事になるのだった。  

 金子鉄心氏の名前は以前から知っていた。以前関西からデビューしたロックバンド「おかげさまブラザーズ」のメンバーだったからだ。その金子氏がお かげさま解散後ソロ活動をしながらアイリッシュ・ミュージックに手を染め ていたことは全く知らなかった。

 後日、彼は当時私の経営していたカフェギャ ラリーに何度か足を運んでくれた。それまでの仲間以外の一般 の人と初めて アイリッシュ・ミュージックの話をした記念すべき出来事だった。  

 1999年の春頃だったか、私に、セッションというものがあるんだよ、と教え てくれたのは、この金子鉄心氏だったのだ。セッションというのは酒場に三々 五々ミュージシャンが集まってきて夜な夜な凄い演奏を繰り広げるもので、 それはジャズやブルースのジャム・セッションよりもずっと自由で開放的、も ちろんライブなどでは断じてありません。

 なんて聞くと、それは凄い!と目 を輝かせてしまう私だった。ウチは一応お酒も置いている店なんだから、ソ レやろう、すぐやろう、是非やろう、と非常に短絡的にセッションをやるこ とに決定してしまったのだった。  

 最初のセッションの夜、集まったのは、当時私が参加していたアイリシュ・ バンドのメンバー数名と金子氏、それと金子氏のアイリッシュ音楽の先生と して紹介された大阪の原口トヨアキ氏(この時は原口氏が関西を代表するア イリッシュ・バンド、シ・フォークのメンバーであることすら知らなかっ た)。

 原口氏は昔の編み機のケースのようなものを持っておられたのだが、 まさかその中に生まれて初めて見るイーリアンパイプが収まっているとは思 いもよらなかった。

 開口一番、私は原口氏に尋ねた。 「セッションのやり方を教えてください」  

 今思うと何というアホな質問か!。この夜の私たちの稚拙な認識と演奏に 付き合って下さった原口氏の暖かい眼差しには何度感謝しても過ぐるもので はない。

 その夜は私たちのバンドのレパートリーをひととおり演奏する事で とりあえずのセッションは終了したが、その時点では私はセッションで演奏 されるポピュラーな曲というものがあって、それをセッションに参加する ミュージシャンは常時100曲も200曲も覚えているものなのだ、という事実す らまだ知らなかった。ましてアイリッシュ・ダンス・チューンが何千曲単位で存在する事など思いもよらなかったのだった。 (以下次号)

<洲崎一彦:京都のIrish PUB field のおやじ>

 

 

2001年5月増刊

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「あそこの兄妹どもがやってくる。ヤァ!ヤァ!ヤァ!」

field 洲崎一彦

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 ドムネル姉妹がやって来る。ん? 兄妹かな? 兄姉か? これはややこし いぞ。ドムネルっちゅーのも実は怪しいのだ。私が初めてこの兄妹達の存在を 知ったのはミホールが入っているCDを手にした時だったのだが、そん時は確か 「マイケル・オドムネイル」という日本語表記だった(日本盤)。

 今はfield アイルランド音楽研究会(以降、アイ研)まわりではだいたい「ミホール」で 通っているが名字の方の言い方は皆マチマチなのだ。「オドーナル」「オドネ ル」「オドンネル」と色々ある。もっとびっくりするのは、私はトリーナもだ いぶ前から知っていたのだが、こいつらが兄妹であることは長い間知らんかっ た! 何故か? 名字が違うからだ! 

 トリーナの場合は初めて接した日本語 表記が確か「トリーナ・ニゴーナル」だったと思う。「オドムネイル」さんじ ゃなかったのよ。これは困る。日本語表記が色々変わったり兄妹なのに名字が 変わるなんていうのは非常に困る。と、これにはちゃんと理由があって、ゲー ル語では女性と男性で名字の前に付く文字が違うんだという。また読み方もゲ ール語を英語風に読む人が英語圏でも多いのでゲール語ネイティブの人達の音 とこれが全然違うらしい。その両方の情報が日本に入ってきて、それをまた日 本語表記するから上記のような混乱が起こるという。

 結局、fieldアイ研のよ うな所で話題になる時に彼らをひとことで言い表せないもどかしさ…なのだ。  

 fieldアイ研まわりではむしろ先日来日したチーフタンズよりも話題になっ ているのに「チーフタンズ!」のように一発で言えない。「ほらほら、あの、 ミホール達」とか「トリーナとお姉さん」とか「あそこの兄妹ども」とか、知 らん人が聞いたらすごい親しい人たちの事を言うてるみたいになる。面 白い現 象でしょう? 

 で、field アイ研まわりで彼らの話題に力が入っているのは、 ミホールがアイリッシュ・ギターを始めたきっかけだと豪語するイクシマぶち ょー。一昨年のライブでトリーナの歌を歌ったかわぴー。同じくウカキョン。 もっぱらこの3人かな。だから、モレートを中心に「あの、モレートの弟と妹 」とは誰も言わないのだ。  

 今回の来日メンバーを見るとデ・ダナンに居たマーティン・オコナーや個性 派フィドラー、カハル・ヘーディンなんかも参加しているのに、そのあたりか ら注目を浴びせる意見があまり聞こえてこない。fieldアイ研のフィドル暴走 族クヌギ氏なんかデ・ダナン好きなはずなのにね。《ボールルーム》の時のア コーディオンは確かマーティン・オコナーでしょ? 私はこのアルバムめっち ゃ好きです。はっきり言うてアコーディオンが一番カッコよろしい。クヌギは フランキー・ゲイヴィン・フリークやしね。マーティンのアコーディオンはむ しろ「敵」なんやもしれん。

 かわぴもウカキョンも自分たちが苦労して歌った あのトリーナの歌をとにかく「生で聴いてみたい」の一心。もはや怨念こもっ てます。

 その点さすがは我がfieldアイ研ぶちょー、イクシマ氏は冷静デアル。 99年頃出た初の3兄妹アルバムなんかもちゃんとフォロウしているし、カハル ・ヘーディンにもしっかり注目していた! 

 イクシマぶちょーは元々アイリッ シュ・ギター担いで京都あたりでブイブイ言わしてたのが、昨年2度目のドニ ゴール訪問後、突然フィドル転向を宣言した極端なヒト。個性的なフィドラー には目がないんですな。彼の意見ではカハルのフィドルは「ドニゴールに近い スタイルですがもう少しシャープ」だそうな。実は私カハルを聴いたことない のでここは「?」。  

 それじゃ、私は何に興味あるかって? かわぴとウカキョンの歌の伴奏をし たし、昔クヌギがケビン・バークのフィドルをコピーしてた時初めて伴奏した お手本がミホールだったので、何かもう感情移入してしまうというか…「アレ は世が世ならこのワシである」というような乱暴な思い込みがあるやもしれん。

 実際にコンサートに出かけても、「こらこら、マーティンくん自分だけ目立た ないように!」とかぶつぶつ言うてるに違いない。  

 ところで、このコンサートの大阪公演のチケットを買うというのでついでに 私の分もと頼んだウカキョンからさっき連絡があって「チケットぴあで、もう 手配できない、と言われた」との事。まあ〜ずい。せっかく仕事休んでも行こ うと決心したのに。タノムで! ウカキョン。

<洲崎一彦:京都のIrish PUB field のおやじ>

 

 

 

 

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