2010年 12月

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■ field どたばたセッションの現場から

■  フィドラーズ・ちょ・ビット
■                          field 洲崎一彦
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 この1年余りの間で急速にアイリッシュ音楽にはまり込んでしまったB君という若者がいる。彼は元々は何年か前に地元の商店街の活性化のためのお祭りに関わり、そちらの絡みでアイリッシュ音楽を演奏してくれる人はいませんか?とわが field アイ研をたずねて来てくれた人だ。

 その彼が、ホイッスルを手にし、気が付くと月曜練習会参加常連になり、また気が付くとセッションの常連になっていて、いつしか彼の手には黒光りしたアイリッシュ・フルートが握られていた。

 その彼が、ぐっと加速をつけてアイリッシュに傾倒したきっかけは、たぶん恐らく、時々この京都を訪れて生演奏を披露する機会が多いアイルランドはエニス州在住のフィドラー、パット・オコナー氏のフィドルに接したことだったと思う。

 パット氏のフィドルは優しいタッチで流れるようにメロディを奏でつつも、ぐいっぐいっと強力にうねる感じが非常に個性的で魅力的である。

 なので、たまたまB君が手にした楽器はフルートだったけれど、この音楽に深くはまるきっかけはフィドルだったということだなと私は勝手に想像していた。

 そのB君が、もう1年以上前にヤフオクで2800円でバイオリンを落札したという事は知っていた。知っていたも何も、その塗料の臭いがぷんぷんするバイオリンの駒が高すぎると言ってウチにそれを持って来た時に、私が糸ノコでその駒の一部を切り落としたのだから。2800円だと聞いてしまえば気持ちも大きくなる。私はその楽器のナットの溝まで新しく削ってしまったのだった。

 でも、この楽器はやっぱりちょっとネックも起きてしまってる感じやし、ちゃんと使うにはどうかな〜?という結論に達したのだった。

 が、その後、彼はそのバイオリンをさらに自分で色々と手を加えて、弦も新しく張り直してちょこちょこ練習しているというウワサを聞いた。私は、彼の興味の原点がフィドルだと勝手に想像していたこともあり非常に興味を持って、一緒にフィドルを練習しよう!、と声をかけた。

 私は私で、ボロボロのバイオリンを1台持っている。普段は、セッションに楽器を持って来なかった人に対して提供する店のハウスフィドルになっているものだ。

 このバイオリンは、何故か学生時代から私の手元にあるもので、けっこうボロボロなのだが、実はまだ私がアイリッシュ音楽を知らなかった頃に、ほんの少しの間だけこの楽器を手にしてバイオリンを習っていたことがあるのだ。しかし、1曲もまともに弾けないままこのおけいこは消滅した。

 しかし、その後にアイリッシュ音楽に接するようになって、まわりに具体的にフィドルを弾く人がたくさん現れて気後れしたこともあるし、初めは伴奏の方により興味を持っていたので、これは自分が触る楽器ではない、という思いが日増しに増えていった。それで、めでたく、この楽器は私のフィドルというよりも店の置きフィドルとしての地位を固めたのであった。

 ただ、私も最近は練習会などでメロディー楽器に苦労する初心者の皆さんと接する機会が多くなるにつれて、私の根本にあるビートの問題にしても、自分でもメロディ楽器を手にしないと同じ苦労は味わえないなあと何となく考えるところがあった。

 マンドリンなどでは以前からメロディも弾いていたが、弾き慣れたギター系のピッキングのクセでまあどうにでもなると言えばなる、というか、大いに誤魔化しが利いてしまうわけなので、マンドリンではちょっと違うなあという思いも大きかったのだ。

 それで、そんなB君に「一緒にフィドル練習しようか?」というような軽口をたたいてしまったのだった。

 B君は二つ返事でOKしてくれた。

 とは言え、じゃあ、何曜日の何時から練習しよう! 練習曲はこれとこれで〜、というよにとんとんと話が進む私たちではない。

  field では年何回かのアイ研主催パーティーがあって、ちょうどそれは8月の夏パーティの直前だった。それで、まだ何も2人で練習もしていないのに、このパーティに出演しよう!( field パーティは基本的にライブパーティーなので)という暴挙に出たのだった。

 結果は?

 誰も曲になっていることに気が付かないほどの場内大笑いで許してください演奏。誰もが、またいつものスザキのイタズラ企画やろうと信じていたいたこともあって事なきを得た。

 とは、言え、その後、この2人がちゃんと練習したのかと言えばまったくそんな事にはならず、10月末のハロウィン・パーティーの直前になって、おいおい、またパーティー出ようや!ということになったのだ。どっちから言い出したって? もちろん私から。

 夏にはジグ1セットだったのを、今回はリールを1セット増やす。おまけに、B君はこのユニットに「フィドラーズ・ちょ・ビット」という素敵な名前までつけてくれた。

 が、前回の反省は、「練習が足りなかった!」という所にはとうとう行き着かず、「曲に聞こえなかった!」という所に落ちつき、最低限曲には聞こえなければ、と、どこまで冗談か分からないような話で丸め込んで、立派に活動しているいっぱしのフィドラーである某にんじんちゃんをこの不名誉なユニットの顧問に迎え入れた。

 そして、迎えたハロウィン・パーティー。またもや見事に壊滅的な演奏を繰り広げたものの、にんじん顧問のお陰でなんとか曲には聞こえた!と、私たちは格別の達成感を得たのだった。

 時間は流れて、これを書いている今は、 field クリスマス・パーティーを3日後に控えたとある夜である。もちろん、フィドラーズちょビットはこのパーティーのステージにエントリーしている。

 そして、今回、B君が選んできた選曲は、私など初めて聴くに等しいドニゴールのバーンダンスだ。おまけに、この期に及んでまだ1回も2人で練習していない!

 B君いわく、前回はエニスを意識したので、今度はドニゴールを攻めましょう!

 攻めるのはいい。いくらでも攻めればいい。しかし、はっきり言って、私たちの演奏にはエニスもドニゴールも関係ない。曲にきこえるか聞こえないかが生命線なのだ。

 が、私はこの一連のちょびっと運動で、ひとつの大きな発見をした。これは、真面目な話である。

 不自由な楽器を弾くストレスというのは相当なものだ。この不自由さが、返って、自分の身体の内部により強い欲求を生み出す。つまり、出している音は無茶苦茶でも、その時に身体の中にわき起こるその曲のイメージはつるつるっとブズーキなどを弾いているときの何十倍も強いということを発見したのだ。

 なので、演奏中の高揚感と浸り感が尋常ではない。こんな音を聴かされる回りはたまったもんやないやろうが、弾いている本人にとってはちょっとした麻薬的快感がそこにある。

 これなんやな。と思う。楽器の腕がどうでも、アイリッシュ音楽というのはこういう魅力の仕組みになっているのだな、と。

 ある意味、弾いたもの勝ちである。

 というわけで、フィドラーズちょビットで遊んでいるときの私には、どうか、ビートの話とか真面目な音楽の話題は決して話しかけないでくださいね。

 お願いします。

 <すざき・かずひこ:まあ、そういうことなら、人の聴いている所で弾かなければいいだけの話ですが、つい出してしまいたくなる。露悪趣味というのかサディストというのか・・・。>

               *****

 

 

2010年 11月

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■ field どたばたセッションの現場から

■  老け込んでいたワタクシ2
■                          field 洲崎一彦
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 前回、この場所で、音楽活動始動宣言とも言える発言をしてしまった私だが、では、1ヶ月経って何かやり始めましたか?と突っ込まれるとちょっと辛いものがある。
 とにかく、あんなこと書いてしてしまったし、今まで腰が引けていた事柄に対してあまり弱い態度は取れないなあというプレッシャーがのしかかる1ヶ月だった。

 折から、アイ研に出入りしているR大学の民族音楽サークルが学園祭でライブ喫茶をやるという。プログラムが弱いので何か助け船を出して欲しいという話は以前からあったのをずっとはぐらかして来ていたのだった。
 今、私がそういう所に出かけて行ってホイっと演奏できるユニットはクヌギ君とのデュオ、oldfieldぐらいしかない。でも、oldfield は月イチのセッション・ライブが定着したものの、あくまでそれはセッション・ライブであって、彼と2人でスタジオに入って演奏を煮詰めて行くようなリハはもう何ヶ月もやっていない。結局、oldfield にしても現状で普通のライブステージを作ることが果たして可能なのか?というのが正直な状態であった。

 なので、ぎりぎりまで迷った。クヌギ君はまあ日常的に顔を合わせる位置にはいるが、お互いのスケジュールを合わせてまとまったリハ時間を取るのがなかなか難しくなっているのが現状だ。

 しかし、学園祭本番の3日前になってようやくリハ時間を取ることができた。そこで、あえて、いつものセッション・ライブのようにダンス・チューン・セットを流すというのではなく、一応アレンジされた曲だけでプログラムを構成しようという暴挙に出た。とは言え新曲は無い。すべてがかつてのレパートリーである。

 リハが終わったのが深夜。この時点でR大学のサークル関係者に「出るよ」と連絡する。学園祭の出し物を必死で準備しているサークル部員たちにははなはだ迷惑な話だろう。宣伝やプログラムはもう出来上がっているだろうし。と言うものの、つい先日の他大学の学園祭では学生新聞に写真入りでそこの学祭ステージが案内された功刀丈弘が来るのだから、R大学のサークルの面々もそれなりに構えざるを得ない。大変な気遣いをさせてしまったと思う。

 それが証拠に、学園祭本番前日にはR大学のサークル部員が、当日のプログラムですと言って持ってきてくれた冊子にはちゃんと oldfield が記載されていた。きっと、徹夜で作り直したんやろうなと思うと非常に申し訳ない気持ちになった。

 oldfield の現状をいかにも悲惨な状況のように書いているが、以前(もう昨年の初めのことになる)、oldfield でレコーディングを始めたよ!と豪語していたのはどうなったんだ?という突っ込みもあるだろう。
 正直言うと今年に入ってからレコーディング作業は完全にストップした。それにはいろいろと原因があるのだが、まずは、昨年の作業の過程でどんなものを作るのか?という焦点がお互いにボケて来たこととお互いのスケジュールがだんだん合わなくなって来たことが主な要因である。

 まあでも、こういう進行の場合よくある、お互いにその話題を避けているというようなことはなく、折に触れてまだ話題にも上るので中止したわけではないとお互いは認識しているから、いわゆる自然消滅したわけではない。ちょっと、言い訳がましいが。
 
 というわけで、今回のこの学園祭飛び入り企画というのは oldfield には非常にタイミングの良いリハビリであることを意識して臨んだのであった。

 サークル部員の皆さんも、事前に宣伝できなかった穴を、得意のチンドン屋部隊を繰り出して当日のキャンパス内を練り歩き最大限の集客に努めてくれた。さすが、「多国籍民族音楽サークル出前ちんどん」、である。

 当日は、クヌギ君の仕事の都合もあって、午後1時の出演となった。ライブ喫茶の開店が12時だから集客には本当によく頑張ってくれた。

 ただ、私は久しぶりに訪れるR大学の地理をすこしナメていた。京都市街は自転車でどこでも行けるというのがよく京都の街の長所のひとつに数えられる事が多いのだが、普段乗り慣れていないワタシらおじさんには自転車所用時間50分の内の最後の4分の1の登り坂が予想外だった。大学にたどり着き会場に案内された後も息切れがおさまらず、おまけに楽器を担いで来たこともあって右肩がつって痛たたた!という状態でステージに上がることになる。

 傍を見れば、クヌギ君もまあミュージシャンの常で陽の高い内は目もしょぼしょぼしていささかぐったりしている。元気いっぱいの学生諸君の晴れ舞台である学園祭に来て、こんな瀕死のおっさん2人がステージに上がるだけで猛烈な違和感である。

 で、こういう状況だから、さすがの功刀丈弘ファンの皆さんも本日の情報をキャッチすることができなかったと見えて、彼のファンと思えるお客さんは皆無。彼にとってもなかなか新鮮な事態だったのではないかと思う。客席はちんどん屋部隊が集めて来てくれた学生さんや近所の住民の方々。子供連れのお母さんとかもいる。

 私は肩がまだ痛いということもあって、冒頭からおしゃべりの挙に出てしまう。それで、何とかオープニング曲を演奏したら私の楽器のチューニングが大きく狂ってしまって、これを直している間、今度はクヌギ君のおしゃべりタイム。

 学生諸君が学園祭直前に調達して来たPA機材で慣れぬ音響オペレーションをしてくれている。モニタースピーカーは field から貸し出したものだ。
 最近は大学の音楽サークルはみなお金持ちでこういう時はPA業者を雇うのが常になっているらしいが、彼らにはそれほどの余裕がなく、それでも執念で機材を調達して当日に間に合わせる彼らの頑張りには頭が下がる。
 しかしそれでも、ステージ上ではもうひとつ音が確認しづらかった。なので、チューニングがはっきり分からず、どれぐらいクヌギ君とずれているのか見当が定まらないままステージが終わってしまう。

 そんなこんなで、おしゃべりだらけの50分ステージが無事?終了。クヌギ君は次の仕事へタクシー移動。ワタシは最近では野外と言えども自由にタバコが吸えない大学キャンパス内を喫煙所を求めてさまよい歩き、とりあえずの一服。

 その夜、無事後片付けも終わりましたと言って、field から貸し出していた機材を持ってサークルの前部長君がやってきた。
 録音録りましたよというので、その彼の今時のフィールドレコーダーを明日まで借りることにする。私としては、あの分からなかったチューニングが外音ではどれぐらい狂っているように聞こえていたのかが気になっていて、とりあえずそれだけは早急に確かめたかったのだ。

 最近のこいういうデジタル録音のできるポータブルレコーダーというのは一昔前のカセットレコーダーとは操作の要領が全く違う。彼に借りたレコーダーの中身は今日の彼らの学園祭ステージの全部はもちろん、過去の彼らのバンドの練習録音なども含まれている膨大な量なのだ。録りっぱなしで録音ファイルに名前もつけられていないからとにかく当てずっぽうで探すしかない。それも、カセットで言う早送り巻き戻しがアナログ的に直感が働かない。ジョグダイヤルをぐるぐる回すのだが途中から早送り率がぐんと高くなって思わぬ先の方が再生されてしまう。

 しばし、その操作と格闘してようやく今日のワタシらのステージではないかと思われる箇所を見つけた。それは、クヌギ君がおしゃべりしている部分だったのではっきり分かったのだ。
 どうやら、私の楽器をチューニングしている音も入っているから、あのオープニングを演奏した直後やなと分かる。彼は何をしゃべってたのだろうとしばらくそのまま聞いてみる。

 確かに、ステージ開始の頃は私もまだ息が少し荒く肩も痛かった。クヌギ君もいつになく眠そうな目をしていた。それにしてもこんなにひどかったなんて!

 録音された彼のおしゃべりはほぼろれつが回っていない。おまけに酒の話題をしている。完全にアル中のおっさんやないか! こうやって録音で音だけ聞くと怖いなあと思いつつ続けて聞く。

 あかん、これはダメや。昼間からマイクの前でこんなろれつの回らないぐだぐだのしゃべりをしてたらちょっと社会的に問題視されかねないぞ。これは、是非ともクヌギ君には注意してあげないといかん。彼も自分では気付いていないに違いない。と、割と深刻に考えていると、そこに、私がチューニングを終えて彼のおしゃべりに絡む声が聞こえてきた。

 え? ワタシもこんなにろれつが回ってなかったのか?! これが、自分でわからなかったというのは何たる不覚! いくら自転車50分漕いできた直後とは言えこれはひどい。老いも老いたり!

 そして、録音は2曲目の演奏が始まった。

 え? え? 

 この曲、こんなゆっくり???

 私は、慣れぬレコーダーの何らかのボタンを知らない間に押していたのだった。それは、1.5倍減速のボタンだった。
 このあたりも、カセットなどが電池が減って来て減速するアナログの感じでは全くないので、つまり、デジタルで減速すると基本的に音程は変わらない。心持ちちょっと音が低くなるかなという感じだがカセットテープほどはっきりわからない。なので、ただ、声質は同じままただ微妙にゆっくりになるだけだったのだ。

 思わず自分の笑いのツボにはまってしまった。これに気がついた時はひとりで涙を流しながら大笑いしてしまう。

 と、同時に、まだ、これほどはもうろくしていなかったのだという安堵感にほっと胸を撫でおろしたのでありました。

 <すざき・かずひこ:フィールドレコーダーを満足に扱えない段階でもう充分老人なのですが>

               *****

 

 

2010年 10月

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■ field どたばたセッションの現場から

■  老けこんでいたワタクシ
■                          field 洲崎一彦
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 さてさて、前回は思いあまって「日本人のリズム感は根本的におかしい!」などと毒を吐いて、誰かが噛みついてくれたら御の字ぐらいに思っていたのだ
が、反論どころか完全に周囲に黙殺されてしまった感がある。

 議論にならない以上、この話題をこれ以上「攻撃的」に続けるのは不毛であるのかもしれない。

 また、アイルランド音楽の情報を期待している方が大多数であろう本誌紙上には適さない話題であるという点も配慮すべきかもしれない。

 確かに、私はアイルランド音楽に傾倒する以前はロックやジャズをやっていた人間である。よく誤解されるのは、だから、ロックやジャズの話ばかりするのだろう?というところである。

 それは、結局そういうことなのかもしれないが、私の中の順番としては、アイルランド音楽への魅力や疑問にもがいているうちに見えて来たものが、過去にやっていたロックやジャズに対する疑問に対してクリアな回答を与えてくれたという強い思いがあるのだ。

 それが、「ビート論」の問題だった。

 そこで、以上の反省を踏まえ、今回は一度、現在のfieldアイ研まわりに具体的に実在する、アイルランド音楽の土俵に立ち返ってみようと思うに至った。

 さて、現在のfieldアイ研まわりでは、あるひとつの方向性が静かなブームとなりつつある。それは、円高の影響やその他の要因によってか、少し以前に比べて、若者達がアイルランドに行く機会が増えて、音楽が盛んなクレア地方などのパブ・セッションを実際に体験してこれをひとつのモデルとするスタイルのことである。

 この傾向は、アイルランド音楽研究会としては、ひとつの本来的な展開であるし、この傾向がある特定の人々から発したものではなく、いくつかの個々の流れが同時に起こっているということが非常に面白いと思っている。

 そこで、少々不適当であるかもしれないが、この傾向のことを「現地主義」と呼ぶことにする。

 これに対して、従来、fieldアイ研まわりに存在した立場の主流は、アイリッシュ音楽を広くアコースティック・アンサンブルとしてとらえ、これに独自のアレンジや演奏力を駆使して主にバンド活動によってその音楽性を錬磨していく態度であった。

 ロック畑から来た人達は、これは、普通にロックバンドを運営するのとまったく同じ立場だから非常に取っつきやすかったし、発表の場にしても、一般のライブハウスが受け入れやすいフォームであったことが一定の功を奏した。

 また、非ロック畑の人達(多くはクラッシック畑)にしても、少人数アコースティック・アンサンブルという発想は、魅惑の「弦楽四重奏」につながる魅力に満ちあふれていた。そこにも、特定のメンバーによるグループ活動というフォームが馴染みやすかった。

 これらに共通するのは、基本形式がバンド活動であり、歌のないインストのみの、それでいて、ダンサブルでポップと言う方向を向いていた事だった。

 これは、とりもなおさず、モダン・ジャズからフュージョンが派生したメカニズムにとてもよく似ている。

 そこで、こちらも少々不適当であるかもしれないが、前述の「現地主義」に対して「フュージョン主義」と呼ぶことにする。

 そして、fieldアイ研まわりには、このどちらでもないもうひとつの立場が存在する。

 それは、「フュージョン主義」から派生して、オリジナル曲に主眼を置く方向に進んだ人達だ、彼らの音楽は元々がアイリッシュだった故にそのオリジナル曲もアイリッシュやケルトの色合いが強く、加えてより自由なアレンジが加えられるアコースティック・アンサンブルの形式を取る。

 ここに至っては、活動自体がもはやアイリッシュ音楽の枠を越えて他ジャンルとの交流が活発になることで、音楽イベントやライブハウスのプログラムに普通に馴染むことのできる方向へ活動が広がって行く。

 この立場を「バンド主義」と呼ぶ事にする。

 つまり、現在のfieldアイ研まわりには、大きく3つの流れがあって、元々の「フュージョン主義」から「現地主義」と「バンド主義」が分派して共存しているという観察ができるのだ。

 さて、この3つの立場は、表面的に要求される音楽スキルが相当に異なるのである。ビートの問題ひとつとってみても、
 「現地主義」は、まさに、アイルランドのある地方で演奏される「ビート」を再現することがその目的となるし、
 「フュージョン主義」は、アイルランド音楽の「ビート」を押さえつつ、これを効果的に利用した魅力的なアレンジに主眼が移って行くことになり、
 「バンド主義」になると、ほとんどアイルランド音楽の「ビート」という呪縛からは解放されて、そのバンドでしか出せないオリジナリティのある「ビート」を追求する方向となる。

 ここで、では、スザキが常々吠えるところの「ビート論」はいったいどの立場を足場とした議論なのだ?という突っ込みも出よう。

 と、言うのは、上記3つの立場の人達は、別段反目し合っているわけではないのだが、自分たちがそれぞれ「違う」ことをやっているという意識が強く、お互いに突っ込んだ音楽談義を進んでしようとはしない傾向があるのだ。極端に言えば、お互いに全く違うジャンルの音楽をやっていて、それが故にお互いの立場を尊重しようという棲み分けの精神が高度にはたらいていると言ってもよい。

 ここで、私はこの3つの立場に共通の概念として「ビート論」を主張しているのだ、と豪語するのだが、この時点で、各立場の人達から一斉にうさん臭い眼差しを受けることになるのである。

 あるいは、スザキは、上の立場で言うと「フュージョン主義」に違いないから、「現地主義」や「バンド主義」の人達は、そういうスザキの意見は、まあ話半分に聞き流しておけばええんや〜、というようなリアクションを受けることが多いという事態になる。

 また、最近では、わがfieldスタッフに大学軽音族の学生が多くなり、彼らロック・バンド族にも折に触れて私はこの「ビート論」を語ってしまう時があるのだが、この場合は全く逆のリアクションとなる場合が多い。つまり、アイリッシュ音楽の人がロックのこと分かるのか?という疑問の目にぶち当たるのである。

 この、微妙な環境をどうするのか、が、本当の私の課題であるのかもしれない。

 実はもう答えははっきりしているのだ。私が自ら、言葉を使って説明する必要が無いほどの演奏を実際に音として披露すれば良いのである。それは重々分かっている。

 ただ、50歳を過ぎて今からまたストイックに楽器を練習したり、音楽活動に精を出すエネルギーを出すことに正直言って自信が無かった。つまり、このところの愚痴っぽい私は随分と老けこんでいた。

 このことは、とある大学生君の指摘によって自覚させられた。

 ここは、ひとつ、人生最後の音楽活動とでも覚悟して、もう一度重い腰を上げなければならないのかもしれない。こんな年齢になって来ると、本当にいつまで楽器が弾けるかどうかも分からないのだから。

 <すざき・かずひこ:ほとんどあらゆる問題の根は「しんどい」という気分が元凶になってますわ。そろそろ宗教かな。>

               *****

 

 

2010年 9月

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■ field どたばたセッションの現場から

■  日本人のリズム感
■                          field 洲崎一彦
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 さて、前回は、わがfieldアイ研月曜練習会における最近の課題である「足踏み」に関する考察から、私の興味が運動理論そのものに向かい、話は「歩き方」という日常の動きに及んだ。

 さぞかし、各方面から突っ込みが入るだろうと覚悟(期待)したこの話も、意外と突っ込みが少なかったのがやや寂しい。特に、私は運動は専門外なので、スポーツをしている方やダンスをしている方からのそれぞれの立場からの突っ込みを大いに期待していたのだが・・・。

 しかし、ようするに、「それで、スザキは何が言いたいのだ?」ということが曖昧なままであるということに尽きるのかもしれない。突っ込み所は満載なのだが何が言いたいのかよく分からないから突っ込みようがない。ということなのかもしれない。

 確かに特に最近の私の物言いは回りくどいという指摘を受けることが多くなった。これは、要反省である。

 わが、field アイルランド音楽練習会においても、よく誤解されるポイントがある。教材としてジャズなどをかけていると、ここは、アイルランド音楽の特殊なリズム感について研究しているのではないのですか?という突っ込みである。

 そう。この練習会は、最初は確かにそのつもりだったのだ。それが、最近では一周回って
 「日本人のリズム感こそが非常に特殊だ」
という地点に行き着いてしまった。これを前提に話しを進めるから、まずは、外国の音楽全般が攻略すべきターゲットになる。いや、この日本人のリズム感から如何にして抜け出すかが最初の大きな壁になる。

 そうすると、今度は、スザキさんは日本の音楽は好きじゃないのでしょう?などと言われたりする。とんでもない! 今はもう行く機会が減ったが、かつてよくカラオケに行った頃は、私は演歌と70年代フォークしか歌わなかった演歌人間でもある。

 世界各国の音楽をくまなく調べたわけではないし、そもそも、そういう研究をしているつもりもないので、これまで私の耳に入った音楽ということに限定されるが、私の知り得るかぎりこの日本人の特殊なリズム感がそのまま適用できる外国の音楽はひとつも存在しない。

 だから、相手がアイルランド音楽であれ、東欧トラッドであれ、北欧トラッドであれ、ジャズであれ、ロックであれ、まずは、ここを乗り越えなくてはならない。

 そして、このことが一般に自覚されていない事。これが何よりも重大なのである。音楽に国境は無い!に代表される美しいスローガンにからめ捕られた皆さんの先入観をとにもかくにもズタズタに切り裂かなければ一歩も前に進めないのだ。

 この事をもう少ししつこく書く。

 日本人は非常に特殊なリズム感を持っている。これは、音楽のみならず、舞踊は当然のこと、リズムを伴うすべての人間の所作、動作に現れている。あるいは、それほど深く根ざしている。

 なので、当然、日常の何気ない身体の動きにもそれは色濃く現れ、つまりは、歩くという日常動作にもそれは間違いなく反映されている。

 では、この特殊なリズム感覚をもって、西洋音楽に接したらいったいどういうことが起こるのか?である。

 そもそも、リズムというものの発想というか土台となるイメージが全く違う。なので、とにかく日本人の耳が最初に注目する関心は西洋音楽のメロディーに向かうのだ。メロディーというものも本当はリズムに深く根ざしている。しかし、日本人の音感にもメロディーという概念はしっかり存在していて、この「旋律の流れ」とも言うべき日本メロディー概念で西洋音楽のメロディーを無理矢理捉えようとする。

 日本旋律と西洋メロディーはこれがまた違う。何が違うかというと音階が違う。音階が違うということはハーモニー概念が違うということだ。これは、2つ以上の音が響くということの概念が違うのだが、響きは物理現象なので、そこに事実響いてしまったものは、如何に概念に存在しなかったものでも聞こえてしまえば耳が注目してしまう。

 すると、それは、自分たちの土台に存在しなかった響きであるが故に、これが非常にエキゾチックなえも言われぬ魅力的なものとなる。

 日本人の偏向したメロディー好き、ハーモニー好きは、このような理由で明治以来、西洋音楽が輸入された時から現在に至るまで脈々と強化の一途をたどっている。

 一方、さっきから違う違うとわめき倒しているリズムの概念は、このメロディーの違い方とは一種違い方が違う(ああ、ややこしい)。

 日本には拍子という独自のリズム概念がある。基本的にこれは8拍子を一単位として構成される場合が多い。試しに、何でもいいので俳句をひとつ心の中でつぶやいてみてほしい。

 五、七、五とは言うが、たとえば
 「古池や、かわず飛び込む、水の音」
を心の中でつぶやいてみる。

 すると、無意識に「古池や」の後に「ポン、ポン」と2拍、「水の音」の後にポン、ポン」と2拍の間を入れて、全体がしっくり落ち着いた感じになるのを知らず知らずの内に味わっていないだろうか。これが、日本のリズム概念である拍子というものだ。

 しかし、この私たちの心のつぶやきを西洋音楽家が聴いたら、どのように解釈するだろう。

 恐らくそれは、こういうものになる。

 まず、「ふるいけ」のそれぞれの言葉に1ビートづつをあてがうだろう。そうすると、「古池や」の後に4ビート、「水の音」の後に3ビートの休符を入れることで、全体を8ビート×3、あるいは、4ビート×6として捉えるだろう。すると、この俳句の読みを音符にすることができる。

 この分析は、上記の「拍子」をとっている日本人にも非常にわかりやすい。日本の拍子の間の長さというものは実は長年「なんとなく」決まってきたものなので、こういう西洋の音譜を使えば、ちゃんとはっきりした長さに決めることができるじゃないか! これは大発見だ! というようなものである。

 一方、西洋音楽のメロディーは多くの場合この4ビートを一単位として構成される。メロディーとしての最小単位は、さしずめ、4ビート×4、とか、4ビート×8というのがポピュラーである。

 この、ビートを拍子に翻訳すれば、俳句の6ブロックを8ブロックないしは4ブロックにすれば、西洋音楽のメロディーには苦もなくついて行ける。何の問題もない。

 この、ビートと拍子がよく似ているという部分がくせ者だったのだ。本当はこれは全くの別概念なのだ。なのであるが、明治時代から現在に至るまで、この、ビート=拍子を信じて疑わずに脈々と音楽教育がなされ、奇天烈な日本人音楽家がぞくぞくと生み出されて来たわけなのだ。

 中には、ジャンルによっては、この、ビートと拍子の問題を全く別物であるとスルリと肌で関知して西欧のビート概念を身につける日本人音楽家も多数存在するのだ。しかし、この事実というか、この問題への価値観が正確に認識されていない日本音楽社会において、そういう人はただ「たまたま才能のある人」として認知されるか、あるいは、ここからが大問題なのだが。

 上記のような概念の世界で音楽環境を持ち音楽教育をされて来た者に求められるのは、ひとつには優れたメロディ表現能力であり、他方は西洋楽器の物理的操作の名人芸という部分にとどまってしまう。たとえば、直感的にビートと拍子の違いに気がついてしまったが故に一方の閉じた世界でのストイックな楽器操作訓練に集中できないような人達も大勢現れたことだろう。こういう人は、「あの人は聴く音楽にはうるさいが、自分で演奏すればめやくちゃやないか」と単なるほら吹き扱いされる運命が待っている。

 そして、往々にして、彼は演奏をあきらめざるを得なくなって葬り去られてしまう。

 または、上記の「拍子 = ビート」の翻訳に少しでも違和感を覚えた人(本当は違うものなのだから違和感がある方が自然なのだが)は、すんなりと、頭を切り換えることができない。それによって、音楽教育の標準的カリキュラムに沿って順当に音楽訓練を進んで行くことができなくなる。でも、それでも、音楽が好きだと気持ちは日に日につのるばかりであるというような人が「才能の無い人」「下手の横好き」として葬り去られてしまう。

 残る人間は、この「不自然」を「器用」に受け入れることが出来た人だけなのだ。暴言のそしりを覚悟で言うと、これが、現在、この日本国内で成立している「音楽家」の一般的現状である。

 これほど、誤解に満ちた強固な音楽世界が成立してしまっているということは何を意味するのか? この日本では数多くの人達がこの日本人の特殊なリズム感から解放されること無しに、あくまで、この基準に立って外国の音楽を誤解しつつもそれなりに充分楽しんでしまっているということなのだ。

 では、これほど国際化した世の中に於いて、それほど奇天烈な状況はすぐに外国人に指摘されて問題視されるのではないのか?という疑問がある。

 しかし、この状況を逆から見ると以下のようになる。

 日本人の拍子という独特のリズム感を、欧米人は、そんな発想が存在するという事すら想像することができない。欧米人は欧米人で(日本で邦楽を究めているような人を除いて)、欧米人のビートというリズム概念から解放されることができない。

 だから、日本人が「そのようにして」自分たちの音楽を味わっているなどとは夢にも思わないのだ。

 例えば、欧米人にも音感の悪い人はいる。リズム感の悪い人はいる。なので、日本人の音楽もそういうもののちょっと亜流ぐらいにしか見えない。

 あるいは、日本人の特殊なリズム概念があればこそ生み出された、パヒュームの「ポリリズム」などの複雑なリズムを駆使した楽曲を、メタルの大御所であるマーティ・フリードマンが「日本人の信じられない優れたリズム感」などと言って絶賛したりする。

 かくして、日本人の音楽は非常に精巧なメカニズムを持って大いなる自己完結に陥るわけである。

 では、このような自己完結世界から飛び出すにはどうすれば良いのか? 

 まずは、自分の中にあるすべての音楽的先入観を払拭する必要がある。それらを、払拭した上で、まったくもって「素」の感受性だけを頼りに慎重に音楽に触れなおすのだ。

 前述したように、これらの問題を「偶然」察知した人はたくさんいる。しかし、これは、「才能」や「素養」の問題ではない。いかに、発想の転換ができるか、という問題なのだ。つまり、固定概念からの解放である。

 上記の「偶然」は「環境」によってもたらされたものだから、この「環境」を偶然ではなくて意識的に作り出すことが出来れば、何か突破口が開くかもしれない。

 だから、私はこういう場所に、しつこく、何度も、この問題を提議し続ける。

 また、恐らく、私のこの主張に類似した意見を持つ人達も本当はたくさん居るのだとは思う。が、その人がどんな形でさえ音楽に携わっている以上、その環境を構成するこの音楽世界を否定するという立場を鮮明にしなければ、この考え方を表明することができない。

 従って、彼が、この環境で音楽を続けて行く希望を捨てない限り、この発想は易々と表明するにはあまりに自分の首を絞める結果となる。なので、彼らは沈黙する。

 では、スザキはどうなのだ? 何故、沈黙しないのだ?と問われるだろう。

 私は、最近、もう覚悟を決めたのだ。

 自分が音楽に携わる世界が、この環境しか無いというのであれば、私はもう音楽に何の未練もない。

<すざき・かずひこ:やめるきっかけがあるなら音楽なんてやめた方が楽や、という意見を先日きいた。>

               *****

 

 

2010年 8月

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■ field どたばたセッションの現場から

■  足踏み2
■                          field 洲崎一彦
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 さて、前回は、わがfieldアイ研月曜練習会における最近の課題である「足踏み」に関する考察から、私の興味が運動理論そのものに向かい、日本古武術から派生した、いわゆる「ナンバ」についていろいろと調べているところなのだというお話をした、今回はその続きである。

 一般には「ナンバ」なる言葉など聞いたこともないという方も多いと思う。が、陸上の末續慎吾選手が「ナンバ走法」という発言をしてからは、特にスポーツの分野では普通に語られる言葉になっているようだ。

 練習会にも高校時代は陸上部に所属していたという大学生がいて、当然のように「ナンバ」という言葉は知っていたし、「ナンバ」を取り入れた走法の練習も少しは経験があるという。

 そのようなスポーツの現場では、「ナンバ」というのはいわゆるそれまでトレーニングして来たものとは発想が全く違うのであり、特別に訓練しなければとてもそんな方法で走れるものではなかったものだったという。

 また、「ナンバ」という言葉を聞いたことがあるという人も、多くは「右手右足が同時に出る歩き方でしょう?」というイメージがあまりに強いようだ。つまり、「カタチ」の事を言うんだろうというイメージである。

 しかし、調べてみると、「ナンバ」は日本古武術の運動理論から発生しているということが分かってきた。特に日本古武術で言うところの「井桁崩し」という極意が「ナンバ」運動に通じるとのとこである。

 日本古武術の運動理論は、最近では、介護の分野で、無理な力を使わずに寝たきりの要介護者の身体を移動させることができるという介護術として注目されたことがある。
 
 「ナンバ」の研究は実はスポーツの専門分野でもきちんとした定義が確立されるほどには分析が進んでいないらしい。つまり、研究者によって主張が微妙に違っていたりするのだ。この言葉を普及させた張本人の末續選手の走法は実は「ナンバ」では無いと言い切る主張もあるし、末續選手どころか、野球のイチロー選手やサッカーの中村俊介選手の動きは「ナンバ」であるとする意見も目にした。

 そこで、私は、ここは少し「ナンバ」という語から離れて「井桁崩し」という極意についてもっと調べてみようと思った。

 しかし、これは「極意」なのである。本当は日本古武術の道場に入門ぐらいはしないとその取っかかりすら理解できるわけがないのだが、これを介護術に応用しようとする資料に接して、ここに色々なヒントを発見したのだった。

 たとえば、床に座っている足が不自由でひとりで立てない人を抱き起こして立たせるという作業がある。一般にこの作業は2人がかりでやらないと介護する側の人が腰を痛めてしまうらしい。これを、「井桁崩し」理論を使って1人で軽々と抱き起こす技というのがある。

 いわく、「力任せに持ち上げようとすれば腰を痛める」
     「相手の体重と自分の体重を利用して重心を移動したい方向へ向ける」

 これが、「井桁崩し」理論だというわけだ。

 
 ここに大きなヒントがあった。つまり、「井桁崩し」は力を使わずに重力と重心移動を利用するのだ。

 そこで、私は毎日歩く時に自分でいろいろな実験を試みたのだった。つまり、

 「力を使って歩くというのはどういうことか」
 「重力を使って重心を移動して歩くというのはどういうことか」

 毎日、こうやってぶつぶつ独り言を言いながら歩いてみて、私はあることに気がついた。

 「実は、気を抜いて歩いている時というのは多分に重力を使って歩いている!」

 重力を使って歩くのは実は意外に簡単であった。

 まず、重心をどっしり安定させないために立った姿勢でかかとに体重を乗せないようにする。この状態でバランスを取るためには胸を張らずやや前傾してあごを前に出すような姿勢になる。このまま上半身をできるだけ脱力するとだらっと下げた両腕は手の甲を前方に向けた形に垂れ下がるはずだ。そして、この両腕を左右同時に後ろから前に軽く振り出せば、その反動で重心が前に移動し「思わず」どちらかの足が前に出て結果的に「歩いてしまう」ことになる。

 それでは、力を使って歩くということはどういう事になるのか? やってみると、これがなかなか難しい。力を使うということは筋肉を使うということだから、ここは単純に足の筋肉だろうと考えるのだが、なかなかうまくイメージできない。意識し過ぎるとピョコンと跳ねてしまう。

 それで、対概念としてのモデルを考えるのだから、さっきのとは逆にまず「重心を安定させる」べきだと気づいてかかとに体重を乗せることを意識する。これがヒントになった。

 足の裏のかかとからつま先までが順番に地面に接地して、足の裏で地面を後方にスライドさせる、という意識をすれば良いことがわかった。そうすると、この動作に足の筋肉を使うことが意識できる。また、上半身が腰の上に乗っている感覚になり、自然に胸を張りあごを引く姿勢になる、脱力して垂れ下がった両腕は手の甲が外側に向き、結果的に踏み出す足と反対側の腕が前に振られる格好になる。

 この、二つの歩き方が、果たして本当の「井桁崩し理論」と「従来の陸上競技型運動理論」による歩き方のモデルになっているかどうかはわからない。というか、専門的には恐らくむちゃくちゃなんだろうが、ひとつ「重力か?力か?」というヒントで私はこのまったく違う二種類の歩き方を意識できるようになった。

 毎日、毎日、こんな事を試みながら歩いていると、ふと、ある事に気がついた。疲れている時は無意識のうちに「重力」を使って歩いてしまうということ。形はちゃんと手足の左右を相互に逆に出して歩いているのだが、身体の内部では明らかに重力を利用した重心移動で歩いてしまっている。つまり、これは、形に表れるものではなくて、身体の内部の筋力と身体にかかる重力と二足直立歩行で倒れないバランスの相互の関係の問題なのではないかと考えた。

 昔、何かで読んだのだが、ラフカディオ・ハーンが松江の村で、村の学校に通う子供たちに、先生が、歌を歌いながら行進する「歩き方」を教えている光景にぶつかったという記述があった。

 明治の日本の子供は歌に合わせて皆で足並みをそろえて歩くということが出来なかったのか!と驚いたものだ。この、「歌に合わせて歩くことができない子供たち」が、そうかと言って「ナンバ」で歩いていたという決めつけをするつもりはない。が、今は「歌に合わせて歩く」ことをそう難しく考える日本人はいないだろうということを思うと、その頃の小学生は明らかに今の概念とは違う歩き方をしていたという事は確かなのだろう。

 ここまで書いて来て、ふと思ったのだが、よくよく考えてみると、私自身の記憶にも小学校低学年の時の「運動会の練習」は、運動会の音楽に合わせて歩く行進の練習だったことを思い出す。私たちの世代でさえ、教えられないと「音楽に合わせて歩く」ことができない子供だったのではないか!?

 西洋型運動理論によってすでにある程度訓練された近代陸上競技や、専門のスポーツの競技者は、すでにある程度訓練されているが故に、その運動メカニズムに「ナンバ」を取り入れることがかえって難しいのかもしれない。

 つまり、私たちのように、小学校低学年時に運動会の行進程度の訓練しかされていない者は、手足を交互に出すという形は覚えても、気を抜くと、「ナンバ」で運動している可能性がある。歩き方や走り方というよりももっと日常の動き全般のあらゆる動きを「ナンバ」のメカニズムで行っている可能性があるとは言えないか。

 私たち現代の日本人は音楽に合わせて歩くことなんて朝飯前!?

 本当にそうだろうか? そう思っているだけなのではないか? 運動会の練習で行進の練習をさせられたあの小学校低学年の記憶だけで、すっかり、そう思い込んでいるだけではないのか?

 さて、ここで、また少し、わが、アイ研練習会の話題に戻ろう。

 前回でも書いた通り、アイ研練習会のヘビーローテーション実技は「足踏み」だった。また、それに劣らずよく使用するのが「メトロノーム」である。

 ここで、練習会の各人が「メトロノーム」をどのように聞いているかという問題で興味深い観察があったのだ。

 「足踏み」が人それぞれであったように、「メトロノーム」の聴き方も人それぞれであったのだ。
 
 以前の本誌上にも書いた記憶があるが、メトロノームとは実に不思議な機械である。メトロノームは決して楽器ではないしそこから出る音は「音楽」ではない。いわば、時計と同じものである。

 が、その音に強弱をつける事によって、それが途端に音楽に聞こえる人が出て来る。高性能メトロノームのようにサンプルしたドラムの音色で鳴らせることができるような事になるとなおさらである。

 高性能なリズムマシンやコンピューター打ち込み打楽器音のように、メトロノームと楽器の境界線に位置するものも今日では氾濫している。だから、なおさら、人々の耳も多岐にわたってしまう。

 しかし、メトロノーム。特に「練習」に使用する時のメトロノームは明白に楽器ではない。つまり、メトロノームの音は音楽ではない。それは、「拍」を連想させる目安になる時計音でしかない。

 前回も書いたが、リズムは音ではない。

 どういうことかと言うと、「メトロノームの音=音楽のリズム」ではないのだ。

 しかし、「メトロノームの音=音楽のリズム」であるとイメージしている人があまりにも多い。

 古典的なメトロノームを使ったリズム練習方法に、「メトロノーム音の裏でリズムを取る」というのがある。これは、メトロノームの今の音と次の音の間の拍を感じるということである。ここはメトロノームの音が鳴っていない位置なのだ。

 なので、メトロノームによって提示される音はある一定の「拍」を連想させるヒントに過ぎないのだから、そのヒントに従って各人の身体の内部にその「拍」が独自に生成されなければならないのであって、メトロノームを使ってでき得るリズムトレーニングの要はこのポイントにしかない。

 音楽に利用する「拍」の概念は、この「身体の内部に拍が生成される」という事柄が最重要ポイントなのである。

 が、しかし、練習会でのメトロノーム練習の時に、よくよく観察していると、メトロノームの1音1音を必死に聴く者が現れる。その刹那刹那の1音1音に必死に足踏み合わせる、あるいは、楽器を弾く。

 また、タイムキープ能力こそより価値のあるリズム感だと信じ込んでいる人は、メトロノームに何やら変な信仰に近いものを感じていて、1音1音忠実にシンクロさせなければならないという脅迫概念にも似た態度で挑む場合がある。

 これらは、単に自分を時計に改造しようと必死になっているだけで、音楽に
は何ら関係のない訓練をわざわざやっているに等しい。

 さて、話をまた「ナンバ」歩きに戻そう。

 前述した二種類の歩き方がある。そこで、読者の皆さんにもこれで実際に歩いてみて欲しいのだ。そして、その時に感じる自分の足音というか足が地面に接地するインパクトをどのように感じるか、双方の歩き方でこのインパクトの感じ方が変わるのか変わらないのかを、是非、皆さんで体験してほしい。

 私の場合は、まるで、ぜんぜん違う種類のインパクトを感じ分けたのだった。

 重力で歩く「ナンバ」歩きでは、足が地面に接地するインパクトが一つひとつ独立してブツブツと途切れたインパクトの連続が感じられた。いわば、一種のメトロノーム的インパクトである。

 一方、筋肉で歩く「非ナンバ」歩きでは、足の接地インパクトがかかとが地面に着く時とつま先が地面から離れる時の2度感じられ、なおかつ、足裏が地面を後方にスライドさせる時に発生する微妙な両足時間差による「うねり」感を覚えた。

 このインパクトには、メトロノームで言うところの「拍と拍の間」がそのものずばり反映されていて、この「間=アイダ」を感じるからこそ、身体の内部に自身独自の「拍動」が自ずと湧き上がって来るのを実感した。

 私がここで言いたいのはあくまで仮説であり問題定義である。

 歩き方、いや、日常の「運動」メカニズム、あるいは「運動」イメージによって、その人の「拍」に対するイメージがこれほど変わる。

 「ナンバ」運動原理が染みついた日本人には、西洋で研究された音楽訓練の方法、ここでは、足踏みやメトロノームを使ったリズム練習に象徴される方法がまったく何の効果も発揮しない。

 このように言い切っても良いのではないかと、恐ろしく悲観的な問題を投げかけて今回は終わりにしたいと思う。

(引き続き、読者で、ダンスやスポーツ界の方がおられましたら、そこで、ナンバというものが、現在どのように扱われているかを、是非、教えていただきたいと切に希望します。編集部までご意見をお寄せいただければ幸いに思います)

 <すざき・かずひこ:ついに、練習会もアイリッシュどころか、音楽の領域からも離れつつありますね。この先、どうなるんでしょう。>

               *****

 

2010年 7月

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■ field どたばたセッションの現場から

■  足踏み1
■                          field 洲崎一彦
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 さてと。fieldアイ研10周年コンサートも終わり、続く、サッカーWCの急激な盛り上がりの波に翻弄されつつ、そのまま、京都烏丸界隈は祇園祭にのみ込まれ、昨日それも終わってやっと一息ついたところである。

 大きなイベントをひとつ乗り越えた集団というものは、しばし、魂の抜け殻のようになってしまうのが常なのだが、日常にの戻れば戻ったで、さて、ここらで一丁仕切り直すか!と、頭は日常の懸案事項に舞い戻ってしまう。

 このコーナーでことあるごとにずっとボヤき続けている、わが、アイ研月曜練習会のことである。

 すでに、5〜6年続いているこの練習会は、私個人的にはいろいろな疑問を試す場所でもあったし、まさに音楽のリズムアンサンブルというものを研究する場所でもあった。
 しかし、それにしても、練習会という看板を思うにつれ、ここで、実際に音楽的成果を得た人間は、この間にわずか数名しか出ていない。しかも、その数名のうちのほとんどが今はもうほぼ音楽をやめてしまった。

 また、長年続けているといろいろなイメージが勝手に一人歩きする。いわく、スザキの妙なリズム理論を強要するカルトな集まりであるという類のウワサである。それらには、今はもういちいち否定ないしは弁明する気力も無いし、たしかにそういうふうにウワサされるのも一理あるなと、最近では自分でも思う。

 最近、参加者は目に見えて減少しているが、それでも、現在、参加してくれる人たちは、こう言っては身も蓋もないが、いわゆる伸び悩んでいる人たちである。別の場所で音楽活動の機会があって、そっちで何の問題も感じず楽しくやれている人はこんな場所には参加してくれないし、参加する必要もない。また、現に、そういう場所をみつけた人は早々に去って行く。

 ある意味、こういう流れこそがこの練習会の趣旨に沿っているのかもしれない。ある程度の器用さを持ってそれなりに楽しく音楽できる人はもうそれでいいではないか。そのまま楽しめばいいのだ。そのことに何の問題もない。
 問題は、音楽が好きで好きでたまらないのになかなか満足できなくてもがいている人たちである。こういう人たちは、出るところに出れば、「下手くそ」、あるいは、「才能がない」のひとことで片付けられてしまうような人たちであるかもしれないのだ。

 私は、実はこういう風潮に対して昔から反感を持っている者だ。才能なんていうものはもっともっとギリギリに突き詰めたところで問われるものだと考えている。そんな境地で勝負をするのはそれは確かに少数の才能豊かな人たちなのかもしれないが、音楽はある程度のところまでは、自分に適したちょっとしたコツさえつかめば誰にでも楽しめるものだと信じている。

 そして、今現在残ってくれている数人の伸び悩み諸君。彼らはもうすでに1年以上、長い人は2年以上通ってくれているのに、特に目に見えた成果が出ない。この事実に対しては私としてももうこの1年間ぐらい悩み続け、また、いろいろな新しいカリキュラムを試行錯誤しているわけなのだが、最近になってふとあることに気がついた。

 事は、音楽以前の問題なのではないか?

 これまでは、この練習会の定番実技として、足踏みをしながら楽器を弾くという「実技」を、手を代え品を変え幾度となく繰り返して来たわけだ。実はこの「実技」はとんでもなく不毛である可能性がこのところ濃厚になってきたのだ。

 足を踏むという運動、まず、この運動の仕方というかイメージが各人でばらばらなのである。何がどう違うのかというのはまさに筆舌に尽くしがたいものがあるのだが、足を踏めばその足の運動に連動して楽器を操る運動がシンクロする人とそうでない人がいるということを目の当たりにした瞬間、この練習方法は不毛以外の何物でもなくなってしまったのだった。

 また、この動きがシンクロする人であっても、その足の動きというものが、たとえば、つま先を上げているのか、かかとを上げているのか、あるいは、足が床に落ちる衝撃をどのように吸収しているか、足を上げる時の力をどの時点で身体のどの部位にかけているのか等々、もうそれは各人それぞれバラバラなのである。

 それは、当たり前だろう。運動そのものを合わせるという事になれば、それはもう踊りの分野ではないか、という意見があるかもしれない。

 しかし、一方で、この練習会でもしばしば教材に使わせてもらっている、パット・オコナー&オウイン・オサリバン、デュオのライブ映像で彼らの見せる足踏み等は、2人の動きの形は違うのだがそこに内在する躍動が見事にシンクロしているのが音を消して目で見ていても分かる。こういう足踏みと私たちの足踏みは何かが大きく違うのである。では、その何かとはいったい何なのか?

 かなり以前のことになるが、当のパット氏本人にに尋ねたことがある。パットさんの演奏中の足踏みは、足踏みに演奏を合わせているのか、演奏している音に足を合わせているのか? と。

 10秒ほど考え込んだ彼の答えは、「両方だ」ということだった。

 これは言い得て妙なすばらしい答えだ、と、当時の私はしきりに感心したものである。

 が、これは、実は月曜練習会においては禁句だった。

 それと言うのも、何故、月曜練習会で、足踏みの練習が始まったかと言うと、それは、演奏しながら足踏みをしない人が多かったからだ。これには、メロディーの高低を追うことばかりに神経が集中してしまいリズムがおろそかになるという観察があった。なので、足を踏みしながら演奏をして、その足の動きが隣の人と合えば音のリズムも自ずと合うでしょう?という安易な発想だった。

 しかし、初めから足を踏む習慣の無い演奏者に、突然、足を踏めと言ったらどうなるか。まずは十中八九、彼または彼女は自分の奏でている音に合わせて足を動かしてしまう。
 これは、次のような練習で明らかになった。

 まずは、音を出さずに足踏みだけをして隣の人と足踏みの動きを合わせる。これが合って来たところでお互いの楽器で音を出す。すると、音を奏でたとたんに足の動きが合わなくなって来るのだ。つまり、両者ともに、音を出した瞬間に自分の出した音に合わせて足を動かすようになる。
 つまり、これでは、足踏みをしながら音を出す意味が全くもってゼロになる。足踏みが単なる自分の演奏の振り付けに過ぎなくなってしまう。

 これは、結局、足を動かすという運動が楽器を奏でる運動に連動していないということを意味する。音が出た瞬間に運動神経は音に完全支配されてしまうのだから。

 リズムというものは厳密に言うと音ではない。また、リズムというものは運動でもない。それは、時間が時計ではないというのと同じである。 

 リズムというのは、音や運動を媒介して察知される独立した感覚である。

 こうやって考えると、音楽の現場でこういうことが起こるということは、たとえば、ダンスや踊りの世界では、往々にして、振り付けの動きの順番や段取りに気を取られてリズムが合わない人々というのが実は大勢出現しているのではないかと想像してしまう。これは、是非、ダンス界の皆さんにその実態を教えていただきたい興味深いテーマである。

 話が少しそれたが、ここは非常に重要だと思うのである。言葉で言うと皆納得するこの
「リズムは音ではない」
という事が実践できている演奏者が果たして身の回りに何人存在するか?と思いを巡らせるだけで気が遠くなってしまうほどだ。

 なので、ここは、極端に迫ってみることにした。

 「リズムは音である」というイメージが染みついてしまっている人に対しては、あえて、「リズムは運動である」と、再定義するのはどうかと思いつくに至った。

 そうして、私は、今度は運動理論というテーマに引っかかってしまったのだった。

 そう。以前ここでも触れたが、冬期オリンピック、フィギュアスケートの真央ちゃんとキムヨナちゃんの動きから受ける印象の違いを思い出したのだ。

 そこで、ふと頭をよぎったのが、陸上男子200mでアジア新記録を出した末續慎吾選手で有名になった「ナンバ走法」というのもだった。そして、私は、この日本古武術の動きを取り入れたというその「ナンバ走法」の事が気になって色々と調べてみたのだった。

 そこで、分かったことは、「ナンバ走法」というのは、ただ、走り方というのではなくて、「ナンバ歩き」というのもあるし、つまり、運動原理そのものであって、通常、イメージされる運動原理とは全く発想の異なったものであるということが分かった。
 また、末續選手の走法は本当はナンバではない、とか、よく言われるように、江戸時代の飛脚がナンバ走りをしていたかどうかは当時の動画が残っているわけではないから必ずしもそうとは証明できないとか、まだまだ、ナンバは研究途上であるようなのだが、いろいろ興味深いことが分かって来たのだ。

 前置き段階でけっこう長くなってしまったので、続きは次回ということにする。次回はこのナンバの運動原理とリズム感の問題に切り込んで行こうと思う。

(また、読者で、ダンスやスポーツ界の方がおられましたら、そこで、ナンバというものが、現在どのように扱われているかを、是非、教えていただきたいと切に希望します。編集部までご意見をお寄せいただければ幸いに思います)

<すざき・かずひこ:月曜練習会はすでにアイルランド音楽を演奏する、というテーマに特化したものではなくなっています。強いて言うなら、日本人が西洋音楽を演奏するには?というテーマに変容しているかもしれません。>

               *****

 

 

2010年 6月

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■ field どたばたセッションの現場から

■  実は初めての自主イベントなのだっ! 2
■                          field 洲崎一彦
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 前回、あれだけ宣伝したので、事後報告もせねばなるまい。

 ということで、去る5月30日(日)に、fieldアイルランド音楽研究会設立10周年記念コンサートが執り行われたのであった。場所は、fieldから地下鉄で2駅上がる丸太町にある「Live & Sake Nega-Posi」である。
http://www.negaposi.net/np/top.html

 この Nega-Posi というライブハウスは繁華街から少し外れたビジネス街と住宅街の境目あたりに位置する京都御所の南にある。目の前が京都市の子供未来館という児童施設に隣接する公園になっているマンションの地階を全面的に占領するのがこの Nega-Posiである。昼間は善良な子供連れファミリーが集うエリアに、日没ともなると、入れ替わるように楽器をかかえた不健康そうな兄ちゃんたちがおもむろに集まって来る、まさに秘密基地である。

 ここのオーナーというかおやじのYとはもうかれこれ30年近い付き合いになる。もともと彼は私の大学軽音楽部の後輩であった。大学卒業後はそれぞれの道を歩んだが、私がとある音楽専門学校の職員をしている時に彼はホテルマンからあるライブハウスの店長に転出して、偶然に職場が近くなったこともあり、何かといろいろ付き合いが続いた。

 その後、私が店を出して20数年、彼が Nega-Posi を始めて10数年。お互い比較的近い場所で、全く同業ではないが同じような年齢層狙いの客商売をしていることもあって、現在までなんとなく腐れ縁が続いているのであった。

 ただ、まあ、なんというか、もともとが軽音の仲間である。私が今アイリッシュ音楽をやっていようと、彼が今妙ちくりんなオリジナリティー全開の弾き語りをやっていようと、お互いそんなことには全く感心がない。お互いのお互いに対するイメージは出会いの頃の印象がそのまま固定して動かない。

 私には、Yはチョッパーベースをひけらかす生意気なベース少年だし、Yにしてみれば私はプログレ好きの陰気な先輩のままなのである。

 なので、お互いの仕事が、放っておくと、共通の人脈をフォロウする客商売であるというのも独特の気遣いを生んで、普段はあまりお互いの仕事領域には踏み込まないような習慣ができている。とは言え、両店はこの10数年の間、毎月共同で月刊フリーペーパーを発行し(月刊「ロマンの友」)お互いの店の様子はちゃんと認識し合っているというような不思議なシステムも確立している。

 なので、普段は私はアイリッシュ音楽をやる人間としてYのライブハウスを訪れたことがほとんど無いのだが、過去に一度彼の店をアイリッシュ音楽に利用させてもらったことがあった。

 フィドラー功刀丈弘は当時はまだ沖縄でバイオリン講師をしていた。その功刀が京都から沖縄に移る直前に私と功刀はアイリッシュ音楽のまねごとを始めていたのだ。

 それで、遠く沖縄の空の下の寂しさからか、彼は京都でアイリッシュ音楽のバンドを作ることを夢想し始めるのだ。この夢想はしだいに行動を伴い、彼は沖縄の空から指令を発し、彼が目を付けたメンバーが1人、また1人と 私の店に現れて、まったく功刀の遠隔操作によって5〜6人編成のバンドが誕生してしまうのだった。そして、彼が年に一度だけ京都に帰省する年末年始を待つのであった。

 勢いまって、自分が沖縄に帰る1月5日までにライブをやろう!と功刀が言いだした。色々手配したが、当時、正月から営業しているライブハウスは京都にはなかったか、あったとしてもイベントがらみでブッキングは相当以前から埋まってしまっている。それで、私は Nega-Posi のYに頼み込んで、Nega-Posi の新年営業開始日の1日前にブッキングを押し込んだのであった。1999年 1月4日のことである。

 このバンドが、ライブをするなら名前が必要とのことで急遽「fieldアイルランド音楽研究会」と名乗ることになるのだった。

 前置きが長くなってしまった。

 今回の10周年記念コンサートでは私と功刀とのデュオである oldfield が本編トリの舞台に上がったのであるが、我々がこの Nega-posi の舞台に共に上がったのは実にこの1999年1月以来のことだったのだ。それは、まさに同じ「fieldアイルランド音楽研究会」という名目で!

 つまり、Yにしてみれば、私がYの店の舞台でアイリッシュ音楽を演奏している姿を見るのがまさに1999年以来の出来事であったのだ(実は、昨年、私は一度アイリッシュで Nega-Posi に出たが、その時はYは仕事を休んでいた!)。

 oldfield の舞台で、思わず、功刀が
 「アイ研は、はじめはこの2人やったなあ」
と言い。
 「この舞台から始まったんやで」
と私が返し。
 客席を妙にしんみりさせてしまうのであるが〜。

 ラスト、ぶちょー専制セッションがどうしようもない混沌の内に大団円を迎えてこのイベントは熱い熱気を残しながら終了し、しばし、呆然と客席に座り込む私のそばには誰もやって来ず、しばらくして誰かがビールを手渡してくれて、気がつくと、とんでもなくややこしいPA卓と格闘してくれていたYがPAをBGMに切り替えて私のななめ向かいに座り、ぽつんと言った。

 「スザキさん、すっかり、アイリッシュのおやじですね」

 その台詞が、何となく寂しく感じた私は、反射的に

 「いや、そんなことないで!」

 などと、口走ってしまっていたのだったが〜。

 ひとつの達成感と、何かが崩れて行くような焦燥感にかられた微妙な気分におそわれなから、しだいにまわりに集まって来てくれた奴らと乾杯を重ねつつ、これが、幻のアイ研が地上に生身の姿を現すといういう意味だったのか!と、恐らく、私は初めてアイ研の実在を体感したのでありました。

 <すざき・かずひこ:アイルランド音楽は内部からも外部からも「特別なもの」と見られ過ぎていることを痛感します。…それで良いのかな〜?>
                
               
               *****

 

 

2010年 5月

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■ field どたばたセッションの現場から

■  実は初めての自主イベントなのだっ!
■                          field 洲崎一彦
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 わがfieldアイルランド音楽研究会は、この5月で発足10周年を迎える。

 これまでも、その実体が疑いの目で見られたり、つまり、アイ研なんてHPを閉めれば消滅するんでしょ?とか、なんで必然が無いのにそういう枠に入れるようなサークルなんてするの?とか、アイ研の奴らはどこに行っても関西弁でガラが悪いとか、やたら声がでかい、とか、数限りない批判にさらされ続けた10年であったけれども、と言って、見よ!この10年の成果!なるものは何も無く、なおもその実体は常に怪しく漂い続ける街の音楽サークルなのではあるが、ここでひとつはっきりさせておきたい、というか、自分の中ではっきりした事があるので高らかに言っておきたいのである。

 アイ研には確かに何の必然もない、しかし、結局、皆、サークル活動がしたいのだった!

 アイ研には現役の学生さんも多数参加してくれてはいるが、その大半を占める社会人諸君は遠い学生時代の記憶にあのわいのわいのと群れ遊んだ何かしらのサークル活動の記憶があるのだ。昔の言葉で言えばクラブ活動ですな。

 今になって何故そんな実感が湧いて来たのかというと、それは、アイ研10周年を記念してこの5月30日にアイ研10周年記念コンサートなるものを企画しているからなのだ。

 思えば、アイ研の外部活動と言えば、従来は、何かしらの外部イベントからの協力依頼を受けて演奏に出向いたり、かつては色々な大学の学園祭などにも呼ばれたりした。しかし、基地ともいえる Irish PUB field のパーティ演奏以外に、つまり、積極的に外に飛び出して行くような自主的活動はこれまで一切やったことがなかった。

 そのような活動はアイ研にかろうじて所属する個々ミュージシャンやバンドが個別に活動するのであって、アイ研というサークルは全く関与しなかった。

 が、ふとした思いつきで企画した今回の10周年記念コンサートは、動き出してみると一瞬で露呈したところの根本的組織力の欠如を思い知らされる事となり、ああ、考えてみると今回のような、まったく1から自主企画イベントというのはアイ研としては初めてなんじゃないか?ということに今さらながらに気がつくのだ。

 そして、普段はその実体もおぼろげな field アイ研が「イベントをします!」と宣言した所で、公称200名を超えることになっているアイ研部員の誰が?!面白がって積極的に参加してくれるものなのか正直言って不安だったのだ。

 アイ研?そんなものまだあったの?と笑われるのがオチじゃないかと、イベント構想発表前夜は不安におののいたのだった。

 そっとしておけば、幻は幻ながら、ふにゃふにゃと10年間に渡って存続しまたこれからも同じように存続して行くであろうアイ研が、こんな事をすれば一瞬のうちにその実体虚無が白日の下に明らかになり、存在自体が消え去ってしまうのではないか、と本気で危惧したのだった。

 しかしである。ふたを開けてみてびっくりなんである!出演バンド(ユニット)が実に12バンド! 開会アクトと閉会セッションを入れて14プログラム。1プログラム15分刻みで中休み30分をはさみ延々4時間の堂々たるフェスティバル規模になってしまったのだった。出演者総人数は30名である。おまけに、出演以外のスタッフが約20名だから、出演者とスタッフで50名規模なんである。

 そして、案外というか案の定というか、おっさん連中がやたら張り切っているのが嬉しいではないか! 私自身も彼らの反応に応じて体の底からわき上がって来るこの懐かしいというか嬉し恥ずかしい興奮の記憶。

 いっぱしのプロ活動、セミプロ活動をしているおっさんらも一律15分! セッティング込み15分だから、実際に演奏できるのは2曲か3曲に制限されるというのに!

 それぞれのファンの皆様にはひいきのミュージシャンの演奏が2曲しか聴けないのは誠に申し訳ない。申し訳ないのではあるが、次から次へと15分刻みで12バンドが入れ替わり立ち代わりずらずらっと登場するアイリッシュ・ミュージックのコンサートだと考えれば、アイリッシュに詳しくないお客様にも充分に楽しんでいただける特盛のイベントではなかろうか?

 というわけで、やっぱりみんなサークル活動がしたかったのね〜? という確信を持つに至ったのでありました。

 が、イベント制作実行委員会はつい先日に立ち上がったばかり。押さえてある会場は一般のライブハウスなのだが、通常客席数が50席というわけなので、もし、出演者とスタッフが着席したらそれだけで店内は満席になってしまう。

 というわけで、現在、そのライブハウスに通常の楽屋とは別にそこの事務所も楽屋として提供してもらうべく取っ組み合いの交渉をしている所なのでした。

 というわけで、このイベントは field アイ研というサークルの内部行事的性格もあるにはあるけれど、この、初めて実体をさらすと言っても良い field ア
イ研の姿を一般のお客様にも是非観ていただきたいと切に希望するのだ。これほどバラエティに富んだ内容のアイリッシュ・ミュージックのイベントはちょっと珍しいのではないかと自負する部分も大いにあるのであります。是非、皆さん遊びに来てください。

 フライヤーやHP等での公式な情報宣伝では明示していない、当日の出演プログラムを以下にリークして、今回のこの紙面をほぼ宣伝に使ってしまったお詫びに代えさせていただきまっす。

5月30日 場所:LIVE & SAKE Nega-Posi 会場17時 開演18時
「fieldアイルランド音楽研究会 設立10周年記念コンサート」

1800 1815 開会式(熊本ソロ - 熊本?)
1815 1830 シャナぶ(ぶちょーG、熊本Fl、山本晴美FL.Con、ナミPf、ミドリFd、アキPer)
1830 1845 MINE(清水Fl、建部Ba、守崎Per、イッサクFd)
1845 1900 Felicity Greenland(フェリシティVo、洲崎Bz、建部Ba)
1900 1915 アルカモーネ(あっしーPip、原田Fd)
1915 1930 Happy Monday(佐藤Per、野間Vio、原Wht、洲崎Bz)
1930 1945 功刀バンド(功刀Fd、田中Per、げんたG)

1945 2015 中休み

2015 2030 Drakskip(野間Vio、榎本Fd、浦川G)
2030 2045 グレンフィールズ(村上Fd、吉田Acc、洲崎Bz)
2045 2100 にんじんフィドル隊(斎藤Fd、ミドリFd、けやきFd、イッサクFd、
       村上Fd、功刀Fd、あっしーG)
2100 2115 Usquebaughne(原田Fd、姫野Con)
2115 2130 鞴座(金子pip、藤澤Acc、岡部G)
2130 2145 oldfirld(功刀Fd、洲崎Bz)
2145 2200 ぶちょー専制セッション(リサFd、他)

<すざき・かずひこ:私は今、学生時代の気力と体力が欲しいです。>

 

 

2010年 4月

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■ field どたばたセッションの現場から

■  嗚呼!アイルランド音楽研究会!
■                          field 洲崎一彦
■─────────────────────────────────

 先日行われたフィギュアスケートの世界選手権で、われらが真央ちゃん!ヨナちゃんを押さえて見事優勝しましたねー。やはり、私ら門外漢の戯言は屁の突っ張りにもならん取り越し苦労やったというわけでした。

 さて、私が真央ちゃん!ヨナちゃん!と浮かれている間に、わがfieldアイ研まわりの若者たちはジワジワ、モゾモゾとある一定の方向に向かってそれぞれがそれぞれに、地味に、いや確実に新しい動きを始めていたのでありました。

 今年に入ってからというもの。数ヶ月間、または1年間という予定でアイルランド本国への音楽武者修行に旅立った若者たち数名。その中には期間は1ヶ月強でありながらその滞在中30何日間全て毎晩アイルランド各街のパブセッションに通い通した強者がいたり。

 また、渡愛組以外にも、機を同じくして、アイルランド本国現地でしか聴く事のできない独自のセッションサウンドの再現を目指すと銘打った新しいセッションが field レギュラーセッション以外の枠で開始されたり。

 またこれもまったく偶然に、かねてよりアイルランド音楽ダンス・チューンのリズムの「うねり」を独自に研究していた者がそれをコンピュター解析してレポートにまとめたり。

 と、一気に、アイルランド音楽の本質に迫ろうという機運が盛り上がっていたのでありました。

 昨年の field アイ研は、若い人たちの新しいバンドもいくつかできたのですが年末、あるいは年が明けてからは少々その勢いが失速した感があり、正直言って、私等は、今年はアイ研10周年の年なのに若い人たちにもうひとつ勢いがないなあ、と半ば悲観的観測を持っていったのですが、どうしてどうして、気がつくとこんな雰囲気になって来ている。

 どうしても、バンドとかがどんどん出て来て精力的に活動するようなイメージが活気ある状態だと思い込んでいた私たちは確かに頭が古かった。もはやそれは過去の図であって、それはそれ。よく考えてみると、それはバンド活動なのであって、たまたま演奏する音楽がアイルランド音楽だったというだけのこと。まあ、私たちがかつてそうだったように、アイルランド音楽の何たるかを研究するなんてのは名目に過ぎず、要はバンド活動に精を出していたに過ぎないということなんですね。

 それに引き換え、この新しい風潮は、ちょっと違うのです。バンド活動はバンド活動で考え方の似た人でないとやっても意味がないぐらいアグレッシブな姿勢。そのためにも、この何とも言えないアイルランド音楽の深くて特殊なこの味わいというか感覚を共有できる仲間を見つけなくてはならない。

 是非とも仲間を見つけなければならないから、引きこもってしまわないのが今回のこの新しい風潮であって、「リフティング」とか「フローイング」というような、現地で語られるアイリッシュダンスチューンの持つリズムやノリに対する独自の呼び方や用語が横行しつつ、ああでもないこうでもないとそこらここらで議論が戦わされている、こんな光景。

 これまさに、アイルランド音楽研究会!ではありませんか!

 10年目にして、fieldアイ研はやっと、アイルランド音楽研究会、になったのか!!

 付け加えるなら、これらの機運が、私が主催する「月曜練習会」から発生して来たものでは無い!という認めたくない事実。

 しかも、この機運は、当練習会が3週間お休みしていた間ににわかにふつふつと表面化してきたような流れであったのでした。
 嗚呼!当練習会の存在意義やいづこに〜?

 まあ、別に、fieldアイ研に派閥のようなものがあるわけではありませんので、私は常に面白そうな雰囲気をかもし出す連中の方へその都度にじり寄るのが常なのであります。
 
 なので、月曜練習会の諸君! 面白くなくなったら月曜練習会は止めるからね! キミらも頑張ってよーん!    

<すざき・かずひこ:私は今、実はちゃんとした楽器が欲しいです。>     

               *****

 

 

2010年3月

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■ field どたばたセッションの現場から

■ フィギュアスケートにどきどきする
■                          field 洲崎一彦
■─────────────────────────────────

 実は、先月のクランコラが配信されてから、その中の私の記事で、

「歩きながらイヤホンで音楽を聴くのはやめよう」

と、書いたことに対する反対意見を、色々な方面からけっこういただいたのだった。

 「今は自分はイヤホンでしか音楽を聴く環境が無いんだから無茶なことを言わないでくれ」

 というような意見がほとんどだったのであるが、それは、確かにその通りで、そんな事言われたら音楽が聴けなくなる!ととっさに誤解した人が多かったようであった。

 なので、ここで、前記のメッセージを少し書き直すことにする。つまり、

 「歩きながら音楽を聴くのはやめよう」

である。

 イヤホンで聴くのは良いのです。歩かなければ良いのです。

 「でも、歩いたり移動の多い生活をしている自分たちは、歩いている時間に音楽でも聴かないと時間を有効に使えないのである!」

 という方もおられるだろう。
なので、歩いている時は、是非、想像で頭の中に音楽を流して欲しいのです。

 以上、が私の言いたかったことなのでした。

 さて、今回は先頃行われた冬期オリンピックについての話題である。私のまわりでは今回のオリンピックはあまり盛り上がってなかった。しかし、世間では女子フィギュアスケートがかなり熱く盛り上がっていたようである。

 ネット等では各所で浅田真央選手とキムヨナ選手の判定をめぐって熱烈なフィギュアスケートファンたちがちょっとしたナショナリズムを背負って熱い論争を繰り広げていたらしい。

 なので、全くフィギュアスケートの事を知らない私などがここで何かいいかげんな事を書いたらえらい目に合うのではないかと心配にはなるのだが、また、私はこの両選手の本番の競技をTVでちゃんと観ていたわけでは無いので、本当に無責任なことは言えないのであるが、ふとした事でTVを観ていて、え?と感じることがあったのでここに少し書いてみたいと思う。

 つまり、それはリズム感に関してのことである。

 私はある日の夜中に何の気なしにTVをつけていた。夜中なので全く音を消して画面だけつける習慣があるので、その時もそうしていた。
 すると、オリンピックの女子フィギュアスケート関連の番組が始まったようだった。そして、それはどうも試合ではなくて公開練習というようなもののようだった。

 お!これが話題の女子フィギュアか! 真央ちゃん!いるいる! 〜そして、これがキムヨナちゃんか! この2人がライバルなんやね。ふんふん。てな、感じで2人が滑っているのを音を消して観ていたのだった。
 試合の時と違ってスケートリンクの上には複数の選手が出て練習している。まるでその辺の街のスケート場のような風景が面白かった。

 それで、真央ちゃんの滑りを観ていて、あれ?っと思った瞬間があった。それは腕の動きだった。
 その時の真央ちゃんは長い手袋か何かをしていたかもしれない。それが目立っていて不自然だったという事もあったかもしれない。しかし、音を消して観ていると、その腕はまるで往年のディスコのパラパラ踊りを思わせる微妙な動きをしていたのだった。
 パラパラ。これは完全にタテノリのリズムを表すダンスである。皮肉にもヨコノリに弱い日本人だからこそ開発できたまことに軽快な手踊りダンスである。

 対して、キムヨナちゃんの腕の動きは見事にヨコノリの動きをしている! パラパラというよりもこちらはゆったり目のヒッホップの雰囲気さえある(この辺が音を消して観ている物の想像力の無責任さなのだが)。まさか、ビートの問題がこんな所にまで顔出すなんて思ってもみなかった!

 気になって、他の日本人選手の腕の動きもよくよく見てみる。そうか、ミキティーももうひとりの選手もキムヨナちゃんほどのヨコノリでは無いにしても、少なくともタテノリではない・・・・、というか、パラパラではない・・・。

 うわっ! これは非常にまずいんちゃうの!

 フィギュアスケートの世界において、こういう微妙なヨコノリやタテノリなどのリズムの概念がどのように扱われているのかは私はまったく知らない。
 しかし、過日のショートプログラムで、真央ちゃんが3回転ジャンプをしたのにキムヨナちゃんより得点が低かったのは何故だ!?と世間で話題になっているのは知っていた。

 しかし、もしも、ジャンプとかの個別の技術の部分ではなくて、私が腕の動きとしてとらえたノリというものがスケートという全身運動の動き全てに影響しているとしたらどうなのだろう?

 私は音楽という場で、日本人がヨコノリを理解しにくいという場面と同じくらい、欧米人がタテノリを理解していないという場面を何度も見た(阿波踊りをシャッフルというヨコノリでしか感じられないアメリカ人とか)。

 スケートの審査員がどこの国の人なのか、私は調べたわけではない。が、タテノリを理解しない欧米人審査員が、真央ちゃんのタテノリの動きをどう見るのか?と想像するに、たぶんそれは、

 「何かちょっと違う不思議な動き・・・・・」

というものなのではないだろうか。

 翌日がフリー種目の本番であり、それでメダルが決まるというその前夜。私はとても絶望的な気分に陥ってしまったのであった。
 
 あと、4年でパラパラを世界中に広めないと!わしらの真央ちゃんは再び金メダルを取れへんのとちゃうのかあああ〜?!!

<すざき・かずひこ:私は真央ちゃんもヨナちゃんも大好きです。>      

               *****

 

 

2010年2月

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■ field どたばたセッションの現場から

■ リズム感喪失装置についての仮説
■                          field 洲崎一彦
■─────────────────────────────────

 最近、特に疑問に思うことがある。例えば一般に言うところの「リズム感」というもの。

 私たちが音楽を愛好し始めた若い頃は確かに趣味で音楽を聴くこと自体が今ほど一般的なことではなかったし、普段日常的に耳にする音楽はそのほとんどがTVから流れて来る歌謡曲やドラマ主題曲であったという実態を考えると、中学生の頃に突然降って湧いたように耳にし、かつまたむさぼるように聴いた外国のロックやポップスは日常感覚では確かに耳馴れぬものではあった。

 ラテンやソウルが大量に日本に紹介され始めたころは、しきりに日本人はリズム感が弱いと論評され、黒人音楽を日本人が演奏することは不可能であると断言されるような風潮があった。

 私たちは、確かに違うということは分かる、では、それが何故違うのか?どこが違うのか?そんな疑問に悶々としながら音楽を続けたものだった。

 そして、ここ数年、私はアイルランド音楽を通じて20歳代の多くの若者たちと接する機会を得た。私の当初の想像では、彼らが生まれたのが80年代中後半だったとすると、その時代というのは和製フュージョンミュージックが全盛の頃で、ちょうどフジTVが中継を始めたF1グランプリのテーマ曲をそのような和製フュージョンバンドの代表格であったスクエアが担当し、当時のF1グランプリブームと共にこのテーマ曲も全国を席巻した時代であったはずだ。

 インターネットなどというものは言葉も概念も全く存在せず、日常における
人々の情報源はもっぱらTV一辺倒だったのであり、その頃のちょっとした番組の主題曲や天気予報、ニュースのテーマ曲にフュージョンミュジックが使用されていた記憶は、F1グランプリの中継だけが特殊だったのではないという事を物語る。

 このように、今の20歳代前半中盤の諸君は、生まれた時から今にいたるまで、耳がそういう音楽にさらされ続けていると言うことなのだ。

 方や、私たち1970年を中学生で迎えたような世代は、確かにもの心ついた頃にはもう白黒TVが普及していたものの、また、日常的に耳にする音楽もそのTVから流れて来るものであったということは同じとは言え、その大半が歌謡曲だった。

 その頃の歌謡曲というものはどのような音楽であったか? 現在イメージする歌謡曲を思い浮かべると少し間違う。その頃のTVで流れる歌謡曲は歌番組を放送するTV曲のスタジオに今で言うならジャズのビッグバンドが丸ごと入って、演歌から、タンゴ調、カンツオーネ調の流行歌の伴奏をしていたのだった。

 視覚的に、現在これをイメージできるのは辛うじて紅白歌合戦の舞台であるかもしれない。大御所歌手にしてみてもあれだけの生オケで歌える機会は今となってはそうそうあるものではないだろう。

 もの心ついた頃からそういう音楽を日常的に耳にして来た私たちが、中学生の頃になってクラスのませた友人の影響で外国の流行音楽を聴き始めることになる。そして、大きな衝撃を受けて、ある者はこれをきっかけに自分で楽器を演奏するという興味に駆られて行くわけである。

 そして、日本人はリスム感が弱い、という音楽世論に行く手を立ちふさがれてもがき苦しむ事になるのだった。多かれ少なかれ、私の世代の同好の士は同じような経験をして来ているはずである。

 なので、この最近の若者達はきっと私たち等とは裏腹に、根本的にリズム感の素地が違うはずだと固く信じて来たわけなのだった。まったく違う音楽を聴いて育って来たのだから、少なくとも私たちよりはずっと鋭いリズム感覚を持っているだろう、いや、そうに違いない、と。

 が、ふたを開けてみてびっくりなのであった。ある意味、私たちの世代よりヒドいのである。ちゃんとした音楽教育を受けて来た者、我流でやって来た者、の差にかかわらず同じように若者たちのリズム感は総じてヒドい。

 これは何を意味しているのか。これでは、私たちの若い頃にさんざん言われた「日本人はリズム感が弱い」という説が、何と言うか、どんな条件を与えても弱いものは弱いのだと念を押されているような気持ちになって、これが血ということなのか?と、思いっきり絶望的な心情になるではないか。

 しかし、それにしても、あの情報が圧倒的に少ないガッチャガチャした時代の私たちよりリズム感が悪くなる理由なんてどこにあるのだろうか?たまたま、この時代になって私の目の前に現れたアイルランド音楽好きな若者たちが特別に偶然にそうだっただけなのか? 一般的もそうなのか? これは非常に悩ましい問題であったのだった。

 そして、最近、実はこの事に対するひとつの仮説に気がついたのだ。

 それは、いつもの練習会で、とある若者が私に質問したひとことにそのヒントがあった。

 「スザキさんが若い頃はどんなリズムの練習をしていたのですか?」

 不意をつかれたこの質問に、私はすぐに答えられなかった。なぜなら、その答えは、そんな練習なんてやってない、というのが正直な所だからである。

 なので答えは
 「好きな音楽を聴いていただけや」

 「それは、きっとすごい量の音楽を聴いていたんですよね? 1日にどれぐらい聴いていたのですか?」

 「うーん、1日平均ならアルバム1枚分聴けたら良い方やったぐらいや…」

 こう答えてから思った。これは自分でも不思議なのだ。それぐらいしか聴いてないのに、色々なレコードのこの曲あの曲の細部まで何故こんなにはっきりと記憶しているのか?である。

 これは、当時の音楽視聴環境というものを思い出せばある程度推察はできるかもしれない。

 1970年代の一般の家庭でレコードを再生できるステレオセットを持っていた家庭がどれほどあったか? スピーカーのついたポータブルのレコードプレイヤーというものもあったが、それはそれでよほどの趣味の人も持ち物だったと思う。

 私自身の経験で言えば、中学生の頃に大きな家に住んでいる友達の家の応接間に家具調の重厚なステレオセットがあって、休みの日などに友達同士でレコードを持ち寄ってその友人の家におしかけてレコードを聴かせてもらうのである。

 レコード以外では、それはもうもっぱらラジオであった。でもそれは、与えられる一方通行の音楽だった。

 それから少しして、英会話教材の商業的普及と共にポータブルカセットレコーダーというものが普及し始めた。中学生の私たちには夢の機械だった。それを友達の家の応接間に持って行ってレコードをかけて録音してくれば家でも好きな音楽が聴けるじゃないか!! しかし、その機械は中学生がやすやすと入手可能なものではなかった。
 
 このような環境にあって、しかし、もっとむさぼるように音楽が聴きたい中学生の脳というのは今から考えると何とも凄いものがある。

 私たちは、記憶したのだった。友達の家の応接間で聴く音楽を記憶して、常にそれを頭の中で鳴らし続けた。そんなことをしていたのを何故思い出したかと言うと、その友達の家からは2〜3人で歩いてそれぞれの家まで帰るのだが、だれかが歩きながら雑談をし始めるとある友達が、さっき聴いたやつを忘れるからしゃべるな!と言ったのだ。それで、私も、そいつがさっき聴いた音楽を覚えているんやということに驚き、またかつ、自分もやってみようと思ったことを覚えているのだ。

 すると、歩く歩幅や歩く早さというのが非常にデリケートになるのだった。3人が違う音楽を頭の中に鳴らせている時は一緒に歩けないということにもなる。

 中学生というのはそこまでやるのである。この中学生たちの頭の中で鳴っている音楽の基本リズムはそれぞれの歩くリズムなのであった。歩きながら頭の中に音楽を鳴らすということをすると嫌でもそうならざるを得ないのだ。

 または、電車に乗っている時なども頭の中に音楽が鳴った。それは今度は歩くリズムではなしに電車の車輪がレールの継ぎ目を越えるガタンガタンという一定の音を基本リズムとして自然に心地よく鳴るのであった。駅が近づくと電車の減速に従って頭の中の音楽もテンポダウンする。そんな脳内音楽再生はほぼ無意識に行われ日常当たり前の事になっていった。

 次に思い出すのが、ウオークマンというものを初めて知った時である。それまでは、カセットは録音再生ができて初めてちゃんとしたカセットレコーダーであって、再生するだけ?という怪訝さが強かったのをよく覚えているのだ。

 もう既にバンドとかをやり始めていたから、これだけ小さいのなら録音できればバンド練習とかが録音できて便利だろうなと思った。何の意味もない機械だと思った。
 
 そして、実際にウオークマンを買った友人がいて、それを借りたことがあったのだった。イヤホンをしてがんがんにロックをかけて当時開通したばかりの京都地下鉄烏丸線に乗ったのだ。

 これは非常にマズい!」

 と思った。目に見える風景からリアル感が喪失する感じとでも言おうか。音楽を聴く頭と、改札を通りホームに出て地下鉄を待ってそれに乗り込む日常動作の頭を切り離さなければけっこう危険や! というのが第一印象だった。

 それから数年後に、私は自分でもウオークマンを購入することになり、日常的にそれを使用する事によって適切な音量調整やその他の使い方のコツを覚えるわけだが、あくまで当初は、これは危ない!という印象だったのだ。

 そして、思い出さなければならないのは次のポイントである。

 今、20歳代の若者は生まれた時から確かにTVをつければフュージョンミュージックが氾濫していた。しかし、同時に音楽を聴く装置としてのウオークマンが、すでに社会一般に普通に認知されていたのだ。

 この、私が当初違和感を感じたウオークマンという装置はその後の音楽再生方法を革命的に変えて行く。メデイアこそカセットがCDに代わり、CDがMD、MDがICチップへと変化して来たが、いつでもどこでもイヤホンで音楽を聴くというスタイルが音楽視聴のスタンダードな形へと成立して行ったわけである。これに伴って音楽視聴が住環境その他に左右されずに誰でもどこでもすぐに行えるものとなり、そのことで音楽視聴人口が爆発的に増加したのではないかと思われる。

 が、しかし、これを歩きながら聴く、電車に乗りながら聴くということはどういうことか、である。目の前に広がる日常空間を動くための脳と音楽を聴くための脳を分離させないといけない。そうでないと、階段でつまづく、電車のホームで危険、横断歩道の青点滅でとっさに走れない、などなど日常行動に支障をきたす。

 つまり、この世代から以降の人々は、知らず知らずの内に日常運動脳と音楽脳を完全に分離させる訓練をつまされていたのだ!!

 私などの世代は、上記の経験からも色濃く、音楽のリズム感の基本は、歩く走るのいわゆるフットワーク感覚から発していると信じ込んでいる。

 しかし、それはそれ、これはこれ、という訓練を積み重ねて来た人たちには、これではまるで何の説得力もなかった。

 練習会では、基礎練習として楽器を演奏しながらいろいろなパターンの足踏みを取り入れたり、体の揺らせ方を工夫したりして来たものだったが、彼らにしてみれば、このような日常運動の脳が音楽と丁寧に切り離されているのだから、さっぱり効かなくて当たり前だったのではないか!

 もちろん、こういう練習の時にはその動きの理由などを言葉でも説明する。だから、ああ、そういう理屈か、と論理的には納得する。が、一番大切な音楽感覚とは実感として結びつかないのではなかったか!

 あくまで、これは仮説である。しかし、もはや、現在の社会では、音楽は小さなイヤホンの中に閉じ込められてしまっている。この自由さに潜む罠が本当に存在するのだとすれば、人々に求められるのは、便利な道具ほど使い方次第では毒にも薬にもなる、という教訓である。

 つまり、

 「歩きながらイヤホンで音楽を聴くのは極力控えましょう」

または、

 「歩きながら音楽を聴くときは極力その音楽のリズムに合わせて歩くように
努力しましょう」

ということになるのではないか。

<すざき・かずひこ:こんな事言い出したら身も蓋もないかもなあ。>

               *****

 

 

2010年1月

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■ field どたばたセッションの現場から

■ ごく個人的2009年のベスト口惜しい体験
■                          field 洲崎一彦
■─────────────────────────────────

 また、このテーマの季節がやってまいりました。皆様、あけましておめでとうございます。昨年後半に政権交代があってから何やらバタバタと落ち着かない世間でありますが、どうか今年は不安定な中にも夢や希望が持てる世の中になっていって欲しいと心から願っています。今年もよろしくお願いいたします。

 さて、2009年はとりたててアイルランド音楽方面で刺激的な出会いや発見があったという事件が思いつかないので、ここは、ひとつ、昨年の私の今期記事の続きを書きたいと思う。

 確か、昨年のこの同じテーマの記事で、私は、お互いにアイリッシュ音楽を始めた頃の相棒である功刀丈弘君とのユニット(Oldfield)を復活させて、そのレコーディングを開始したぞ!という内容の記事を書いた。

 今読み返してみると、そうか、けっこう盛り上がって夢を膨らませていたのね、というような内容になっている。

 で、1年たったけど、CDはできたのですか? って誰もたずねてくれないというのもまた寂しいのだが、CDができたどころか、すっかり暗礁に乗り上げてしまっているのだ。

 思い返してみると、3月ぐらいまで、毎週最低2日間は時間を決めてお互いスタジオのPCの前に陣取って、曲作りやアレンジに没頭した。

 Oldfield は何せ1990年結成の古いユニットなので、当時からのレパトリーは、たとえ、アイリッシュにしても、ケヴィンバークや誰それのCDのセットをそのままコピーしものが多かったから、そのままでは今回のレコーディングには馴染まないだろうという考えがあった。

 それで、独自にセットを組んだりアレンジを考えたり、ということをウハウハ言いながらやっているうちは良かったのだが、その内にわれわれの頭の中はさらに昔にさかのぼり始めた。

 つまり、われわれはトラディショナルミュージックをやる以前に一緒にロックバンドを組んでいた時代があったのだった。

 彼がまだ大学生で、field が出来たばかりのカフェの時代。常連の功刀君はロック雑誌の「Player」を小脇に抱えてカウンターに沈没し、主に楽器の広告ページを見ながら、このギター欲しい!あのギター欲しい!と言い合ったものだった。

 それで、ワシらは何がきっかけかよく思い出せないのだが、バンドをやろうと言う話になったのだった。独創的なプログレッシヴロックをやろうと言うスローガンの下に、結成まなしのバンドに練習曲として、Mike Oldfield と Kate Bush の曲を選んで完コピを課した。もちろんゆくゆくはオリジナル曲をがんがん持ち込むつもりであったが、バンドも最初はバンドアンサンブルのトレーニングが必要である。このトレーニングには既成の音楽をコピーするのが一番なのだ。次の段階で、King Crimson の曲に行こうと話合っていた頃に、他のメンバーが逃げ出してバンドはあっけなく終わった。

 今時の音楽ソフト満載のPCの前に座ったわれわれは、その昔、結局、2人取り残されてどうしようもなくなって半ばしようがなくアコースティックデュオをやり始めたのであった事を鮮明に思い出してしまったのだ。

 PCの前では2人であれ3人であれ、何の制約もない。

 今、自分達は、Oldfield というアコースティックデュオのレコーディングの為にあれこれとやってるんだ、という制約をあっという間に飛び越えてしまっていたのだった。

 いや、俺はこんなんやりたかたんや!
 いや! ワシならこうする!

 などと言って、PC上にザクザクと出来上がって来る楽曲はアコースティックデュオどころか、実際にライブ演奏もできるかどうかも怪しいものばかり。

 しかも、打ち込みのデモ段階で引き返せば良かったものを、ちょっとこれ録音してみようかなどと言って、エレキベースを弾いたりドラムを叩いたり、という風にリズムトラックの録音作業が始まってしまい。アレンジに行き詰まればPCのサンプリング音源でアフリカンパーカションやオーケストラサウンドを引っ張って来てはあれこれと遊んでいるうちに、春を迎えてしまった。

 そして、この打ち込みパターンの速いフレーズを生楽器で弾いてみようか?などと言っては、その何秒かのパートに丸々2週間を費やしたり、というドロ沼の時代を迎えることになるのだった。

 何分、自前のスタジオなので、空いていさえすれば使用料金を気にすることもなく際限なく使える。住まいもお互い遠くないので、2人の予定さえ合わせればいつでも作業に取りかかることができる。

 今から思えば、この気楽さが堕落を生むのであった。

 よく、プロのミュージシャンでも合宿をしてレコーディングするという話をきくが、ある意味で、こういう作業は非日常を保たなければ終わらないのではないかと思う。

 その後は、お互いに忙しい時、暇な時がちぐはくになって来て、おまけに一時期、レコーディングシステムが故障するというような事態もあって、気が付くともう秋口を迎えてしまうのであった。

 それでも、完全にやめてしまったわけではなく、お互いに日常的に顔を合わせる位置にいるわけなので、時には話を戻してちょこちょこっと作業を続けるのだが、よせばいいのに春頃録音したものを聴き返しては、ここは録り治さなあかんな、とか。ここはボツやなとか、そんな話になっていって、結局は年末を迎えてしまったのだった。

 というわけで、これはまさに、
「2009年。私のアイリッシュ音楽、ベスト口惜しい体験」
というわけなのである。

 こういう事を書くと、また来年のこの記事に何を書くかが簡単に予想されるので、言うべきではないのだが〜、

 今年こそは! Oldfield のCDアルバムを完成させるぞ!!

 <すざき・かずひこ:この堕落の構造は人生全般の一般的教訓であるやもしれん。>               

               *****

 

 

 

 

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