2008年12月

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■ field どたばたセッションの現場から

■ ドレクスッキップ のインタビュー
■                          field 洲崎一彦
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 さて、ある日、わがクランコラの編集人のボス、おおしまからメールが来た。

 いわく、東京某所で京都からやってきたドレクスキップなるバンドのライブに遭遇し、いたく感動したので、同じ京都ということで彼らにインタビューせよ、との指令であった。

 実は私はドレクスキップの諸君には大変申し訳ないが、これを読んで、思わずぷっと吹き出してしまったのだった。何故かというと、彼らはは普段私の説教ばかり聞かされている気の毒な奴らなのだから。先日も当 field でライブがあり、20時〜22時と決められているライブの時間枠を大幅にオーバーして23時まで平然と演奏しまくりよったのだ。お前ら! 2ステージって言うてあるのに勝手に3ステージもやりやがって!と、説教したところだった。

 ドレクスキップが今のメンバーになって活動を始めた当初から私は彼らと接しているわけだが、確かにこの1年ほどの間に見違えるほど上手くなったし、北欧のポルスカ等のクセのあるビートを暑苦しくなくサラッとやってしまうアンサンブル力もしっかりして来て、北欧モノにも造詣が深いおおしまにアピールしたのならこれはなかなかのモノである。私も少しは彼らへの見方を改めねばならない。

 というわけで、ちょうど偶然 field にやって来たフィドルの榎本に、お前らをインタビューするからな!と言っておいたのだが、彼はどうも本気にはしていなかったようで、後日、改めてメールすると、アレ本当だったんですか?という返信が来た。

 というわけで、普段の立ち位置が立ち位置だけに、本来なら、インタビューさせてくださいという構造なのにもかかわらず、彼らは説教の呼び出しを食らったぐらいの勢いで、4人そろってすっ飛んで来た。

 ここで、彼らのことを簡単に紹介すると、メンバーが、野間ビオラ、榎本フィドル、浦川ギター、渡辺パーカッション、の4人。野間が10代の頃より傾倒しているヴェーセン他北欧系の音楽をやるために執念で結成したバンドである。野間の紆余曲折もある程度見聞きしては来たが、私の記憶では2006年頃より現在のメンバーで順調に活動を広げ始めたのだった。

 ついでに言うと、全員、一応アイリッシュもこなすし、field アイルランド音楽研究会のメンバーでもある。特に野間と榎本は時期こそ違えど、アイ研月曜練習会にも参加してくれていた事があった。また、渡辺は彼がこのバンドに参加する以前に、わが field のパーティーに引っぱり出してボイスパーカッションでアイリッシュに参加させたこともある(このエピソードは、確か、当時のクランコラ誌上でも書いた記憶がある)。

す:というわけで集まってもらったわけだが、何を聞いたらええもんかのう。それではやっぱり野間からしゃべってくれるか? 野間の執念が作ったバンドやもんな。

野:え? え? 執念ですか?!

す:野間にはナゾがいっぱいあるで。なんでバイオリン違ってビオラやねん?とか、なんで北欧やねん?とか。
 
野:バイオリンは小さい頃からやってて、高校時代までは当然クラシックだったんですが、クラシックは何かちょっと違うなと思って色々なバイオリンの入っている音楽を聴きあさっているうちにヴェーセンを見つけてしまったのが高校時代の後半でした。

す:ほう。ほな、そこでたまたま例えばルナサとかに出会ってたら、ドレクは今頃マイン(数年前にルナサの完コピで登場した京都のアイリッシュバンド)になってたかもしれんな。

野:いや、ボクはあくまで弦のアンサンブルにこだわっていたので、ルナサは好きだけどそっちに行くことはなかったですね。

す:それで?

野:それで、大学は普通の大学に行ったので、そこでとりあえずオーケストラのサークルに入った。でも、ギターと一緒に北欧モノがやりたいと思っていて、同じクラスのヘビメタギターと一緒にやったりしてもなかなかうまく行かずにいたら、同じオーケストラサークルのチェロの奴がギターも弾くと知って声をかけたのが浦川だった。

す:えー! 浦川ってチェロ弾いてたん?

浦:はい。というか、高校時代までは普通にギター弾き語りとかエレキバンドとかもやる一般的なギター少年だったんですが、とりあえず、一度チェロが弾いてみたくて大学でオーケストラサークルに入ったら楽器貸してもらえるかなあと思って。

す:えーねえ。その軽い考え。で、まあ、野間と浦川が出会ったわけやね? それで?

野:それで、立命館大学に民族音楽やれるサークルがあると聞いて、自分の学校のオケサークルをやめてそっちに移った。

す:フルート大先生のハタオが学生時代に作ったサークルやね。

野:そこで、新入生だった渡辺をつかまえて、また別のイベントで榎本をつかまえてという順番ですね。

す:ほな、その渡辺やね。渡辺はこの野間につかまる前に、field でワシがつかまえてたんやけども、バウロン持っててアイリッシュやりたいと言いつつ大学のアカペラサークルでボイスパーカッションやってますという面白そうな奴やったね。でも、元々は和太鼓やったんやって?

渡:小学生の時に地元綾部(京都府丹波地方)の太鼓サークルに入りました。そのまま中学で地元では有名な「丹波八坂太鼓」に入っていました。

す:ほう。綾部いうたらイノシシで有名なとこやな。なんでまた子供の時に和太鼓なん?

渡:親が鼓童のファンだったんです。それで自分も子供の頃から好きになって。高校の時はタスマニアに留学して現地の「タイコドラム」という和太鼓グループで和太鼓を教えました。

す:和太鼓一筋やな。それが、京都の大学に来て急に何故転向するの?

渡:京都に来てからも元鼓童の先生について和太鼓を習ってたんですが、ボイスパーカッションがやりたくなってアカペラサークルに入ったんですね。それが和太鼓以外に目を向けるきっかけだったかも。

す:それそれ! ボイパも急にできたわけやないやろ?

渡:中学の時に「ハモネク」というTV番組で見て興味をもって、それからずっとひとりでシュポシュポつぶやきながら練習してたんです。

す:めちゃめちゃ怪しい中学生やね。

渡:それで、なんでもやらせてもらえる民族音楽サークルがあると聞いて、のぞきに行ったらまずアイリッシュを聴かされて無理やり先輩にバウロン持たされて field に連れて来られた。

す:なるほど、そういう話やったんか! で、fieldから帰ってみると今度は野間につかまった?

渡:まあ、そんなもんです。

す:ほな、こういう北欧音楽とか全然知らんかったわけやね? 初めは野間に無理矢理やらされたとして、今みたいにのめり込んで行くのはいつごろなん?

渡:ごく最近ですよ。

野:え? ほんまか!? やっぱりナベは初めはやる気なかったんやな?!

す:まあまあ。次、榎本、榎本! 榎本は子供の頃スコットランドに住んでたんやって?

榎:はい。8才から14才までエジンバラに住んでて、6才からバイオリン習ってたのでエジンバラでもずっとクラシックバイオリン習ってました。でも、そこのバイオリンの先生は、お前は耳がいいからジャズをやってみろとか、地元のケーリー、ああ盆踊りみたいなもんですね、そこで弾いてみろとか、けっこう自由な感じでしたね。
 
す:でも、帰国してからクラシックの道を突き進まなかったわけやね?

榎:普通の大学に進学したこともあるし、その大学のオケに入ろうと思ったんですけどめちゃめちゃお金かかるんですよ。それで、軽音に入ってジャズをやるようになったんです。ジャズも好きだったですから。

す:へえ〜。日本で普通にクラシックバイオリンやってたらいきなりジャズやれって言われてもちょっと出来ないもんやけどな。そのへんはスコットランドの音楽教育がうらやましいね。

榎:そこで、その軽音の先輩が、立命大の民族音楽サークルに出入りしていたのが野間と出会うきっかけですね。

す:なるほどねー。それにしても、皆それぞれに面白い過去やなあ。おまけに、野間は現在名古屋で音大生やってるんやろ?

野:そうです。2006年ごろは京都の大学は辞めて音大受験浪人してました。

す:音大浪人しながらドレクスキップをやってたわけやな。いやあ、ホンマに執念のバンドやなあ。

野:だからあ〜。執念とか無いですって!

す:いや、でもまあ、これだけ面白いメンバーをよう集めたもんやで、ほんま。メンバーの経歴だけで本1冊書けるぐらいのドラマあるんちゃうか?
 それでや、話聞いてると、こんだけクセのある奴ら全員がすんなり北欧音楽に興味を持ったとは思えんし、野間はどうやってこいつらを洗脳したん?

野:だからあ〜。洗脳なんてしてませんよ!

浦:鴨川に呼び出されて、これ聴けって無理矢理聴かされるわけです。それで、え? え? これどうやってリズム取るの?って必死で聴こうとしてるのに、隣でつるつるバイオリン弾きよるので返ってそれが邪魔でCDちゃんと聴けないってそんな感じでしたね。

渡:ボクもCDどっさり渡されるんですが、実はほとんど聴いてなかったです。

野:え? ナベお前、聴いてなかったんか?!

す:まあまあ。榎本はどうやって洗脳されたん?

野:だからあ〜。

榎:ボクは初めに聴かされた時にもうすっと入っていけましたね。聴き慣れたスコットランドの音楽には似てはいないけど共通する雰囲気はありましたから。

す:そうそう。野間は初めはバイオリンやったんやろ? それが何でビオラにかわったんや? 普通にイメージすればバイオリンの方が何となくフロントの中心で、そっちの方がリーダーシップも取りやすいのとちゃうか?

野:それですね。中心は嫌なんですよ。本当は伴奏に一番興味あるんです。だから、ギターとかすごくやってみたい。でも、音大に行きたかったし、チェロはなんとなく大きくて持ち運び不便そうなので、あ、ビオラというものがあるな、と。

す:それも相当特異体質やな。で、野間はとにかく北欧音楽一筋なわけか? ちなみに今はどんなものが好きなん?

野:そうですねー。北欧ものが中心ですけど、「ラウー」「ラーナリム」「マリア・カラニエミ」「フリック」なんか好きですね。あ、「ソーラス」「フルック」も最近気に入ってます。

す:いやいや、気遣わんでええで、ミエミエやがな。

野:いや、別バンドでフルックのコピーバンドもやってますから。

す:ああ、そうやったな、そうやったな、腐ってもfieldアイ研やしな。

榎:ボクもこの前、fieldセッションに参加しましたよね!

す:変なアピールせんでええの! ところで、2006年ごろ初めて field でライブした時はけっこうボロボロでワシもボロクソ言った記憶があるし、去年2007年にワシと功刀とマルの遊びユニットと対バンした時もまだけっこう穴だらけやったのが、先月の field ライブでは見違えるようにアンサンブルがまとまってたけど、この1年で急にそんな風になるのが見てて不思議やったんや。
 何か、こういうことに気を付けて練習してたとか秘密を教えてくれよ。

野:いやあ、別に特別なことは何もしてないんですけどね。

浦:そう言えば、去年の秋はずーっと来日したヴェーセンを追いかけてたな。

榎:ほとんど、ストーカーやった。

浦:友達がドレクのビデオを勝手にヴェーセンに送ってて、彼らそれを観てくれてて、ボクらのこと知ってくれてたんよね。それで、けっこう親切にしてもらった。ボクはギターの特殊チューニング教えてもらったりしてめちゃめちゃ盛り上がった!

渡:ボクもそうやった。こういうパーカッションをこうやって使うのか!?って目からウロコやったな。

野:楽器触らせてもらったりもしたね。

榎:とにかく、彼らの演奏には衝撃受けた。来日公演ほとんど全部観たけど毎回感動が違う。

す:なーるほど! ものすごいイメトレやな。それは、イメトレの極地かもしれん。好きなものはとことん追いかけろと。

榎:野間は去年プライベイトでもそれもんやってたしね。

野:今は音楽の話でしょ!

浦:でも。そう、誰かがアイ研月曜練習会に行ってきて、そこでやったことを他のメンバーに教えて皆でやってみようというのもけっこうあったね。

榎:そうそう。皆でシェイカー振ったりね。

す:またちょっとゴマスリ発言っぽいけど、まあ、そうやって生かしてくれてたんなら、あの練習会も浮かばれるな。
 では、今後の目標とかは? 短期的なもの長期的なものとか?

野:短期的には今CD作ってるので、それを春にリリースすることですね。

榎:あ、それダメ。なんでfieldで録音せんのやってこの前すーさんに説教され
たんやから・・・。

す:・・・・別に説教なんかしてないよ! まあ、ここでも録音できるのよって言っただけ。知らないかもしれんなと思ったから。

野:あ、もしかしたら、スネてはるでしょう?

す:あほ!スネてないわい!  ・・・じゃあ、長期的な目標は?

野:海外進出ですね。

す:お! 大きく出たな。でも、それは分かるような気がするよ。ドレクのサウンドはたぶん海外の方が正当に評価されるような気がするし、何よりも、とりあえず、エジンバラとタスマニアで凱旋ライブせんとのう!

野:おー!

す:ま、というわけで、今日は急に集まってもらってありがとう。おつかれさんでした。

 これが、ドレクスキップだった。私も親しくしていた割には今回初めて聞く話も多く、彼らのバックボーンを知る上で非常に面白かった。

 私が、見るところでは、北欧もののコピーからオリジナルアレンジと来て、彼らは今はオリジナル曲に移行しようとしている。ここは非常に微妙なポイントではある。

 器楽バンドは昔のフュージョンなどでもそうだったが、楽器が巧くて、コピー曲では相当の魅力を発揮していたグループがオリジナル曲に移行した途端にふっと魅力を失うケースが多々あった。

 2006年に初めてfieldでライブをした時の印象は、全員がバラバラのビート感を持ち、とにかく野間の弾くメロディーを全員がそれぞれに必死で追いかけてフラフラになっていたと言った感じだった。それが、たった2年で見違えるようなアンサンブルを奏でるようになったのはある意味驚異的なことだ。個人個人が自分の楽器の腕を上げるだけでは達成できないものがそこにはあるからだ。

 本人達はヴェーセンの来日公演についてまわったからかもしれないと言うが、確かにこの話は大納得である。アンサンブルは個々の技量よりもイメージの共有が何よりもモノを言う。

 本人達が自覚する自分たちのウィークポイントは地味さであるというのだが、逆に暑苦しく成りがちな複雑系の器楽アンサンブルに「オーイエイ!」の世界は不要だろうと思う。地味さは返って彼らの魅力になるだろう。

 そんな彼らのことだから、北欧テイストを散りばめたオリジナル曲を引っさげて世界中飛び回ってくれる日も近いかもしれない。 

 来年は、要注目のバンドのひとつである。

<すざき・かずひこ:Irish pub field のおやじ・不況ですね〜。仕方がないので音楽でも聴こう。> 

 

 

2008年11月

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■ field どたばたセッションの現場から

■ 再発! Oldfield セッションライブ
■                          field 洲崎一彦
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 さて、前回、アイリッシュ音楽の衰退などということをここに書いたもんだから、各方面から、それはお前んとこ(field)だけの話だろうと突っ込みを入れられた。

 確かに、そうかもしれない。私はもう長い間、field セッション以外のセッションに顔を出せてはいない。他所のことは本当にぜんぜん知らない。

 なので、前回の原稿の題名を
 「field周辺のアイリッシュ音楽の衰退」
に訂正させていただきます。

 先日のフルックの来日公演が西は名古屋どまりだったので、京都大阪からも名古屋に駆けつけた人が相当数いたと聞く。何を隠そう、わが field のスタッフ約1名もバイトをずる休み(?)して名古屋まですっ飛んで行ったクチだ。

 何のこっちゃない。field 周辺のアイリッシュ音楽の衰退、などという原稿を書いた翌月に field のバイトちゃんがそんなナイスなずる休み(?)をするなんて! 皮肉な話ではあるが捨てたもんじゃない。

 そして、もうひとつのポイント。というか鋭い突っ込み。

 それは、「お前だけ」の話だろう! 

 これである。私の中でアイリッシュ音楽が衰退しているのではないかと言う話である。

 うーん。これはなかなか痛い所をつかれている・・・・。

 確かに、アイリッシュは好きだし、聴いてもいるし、練習会を通しての研究も非常に面白い。が! 私自身が自ら演奏する立場としてちゃんとアイリッシュ音楽を演奏する機会がめっきり減っている。というか、セッションの場以外ではこの所ほとんど無いと言ってもいいぐらいではないか!

 だって、誰も誘ってくれないんだもん・・・・。そりゃあ、こんな所に毎月面倒クサイ文章を書いているようなややこしそうなおっさんを、誰が好きこのんで誘うもんか!

 かつて、Old field というデュオを組んでいた。今はもうすっかり有名人になってしまった功刀丈弘君とのデュオである。彼がデビューしてからは何故かぷつんとやらなくなった。彼が忙しくなったというのもあるが、よくよく思いせばそれなりの流れがあったように思う。

 彼がメジャー・デビューする直前に私たちはこのデュオを今後どうして行こうかという話をしていたのだった。 2人の意見は色々な点で食い違いがあった。そこで、ここはひとつ自主制作CDでも作ろうではないかと言う話になった。そういう何かライブとは違う目標に対してこうしたいああしたいという具体的なアイデアを出し合うことがあの場面では非常に建設的に思えたのだった。そして、このデュオはここで話が止まっているのである。

 その後、突然、彼のメジャー・デビューが決まり、彼の生活は一変してしまう。時々、パーティーなどで一緒に演奏することはあっても、Oldfield というデュオはあの時点で止まったままだったのだ。

 月日は流れ、功刀君は今年の夏を過ぎた頃に音楽活動の充電期間に入ることを宣言した。すると、どっちからともなく、あの Old field の話題が持ち上がったのだった。

 つまり、どんなに、2人が共にデュオで演奏する機会を作っても、お互いに、あの Old field が再起動したのだと意識しなければ、あれはあのまま永遠に止まったまま朽ちていくだけなのではないか。という流れを確認したということなのだ。

 お互いに、休止中にどんどんそれなりの思い入れだけが膨れ上がってしまうのはいかにも不健全だ。それならば、何かを軽く始めてみようじゃないか、ということだ。

 ということで、この11月から、われわれ2人は「Old field セッションライブ」と銘打って、月に2回、第二第四水曜日の午後10時から、field で非常にアバウトなセッションライブを始めることにしたのだった。

 さて、昨夜がその初日でありました。わざわざ観に来てくださったお客さまが数名。最初はお手柔らかに jig のセットで・・・・・。

 遊び半分で気楽にやろうという感じのリハビリセッションであるはずなのだが、また、とある案内では「30分前後」と表記したのだが、「そんなわけにも行かんやろ」という功刀先生のプロ根性には頭が下がる思い。1時間近くやってしまいました。

 セッション動機が自分たちのリハビリのためというのは、かえって注意が内面に向かうのですね。ライブだと、客席から如何に見えているか聞こえているかという所に的をしぼってしまい、それなりの誤魔化しもするのですが、その辺、事実以上にキレイに見せようなどと言う気持ちはまったく浮かばないものでした。

 予想以上に頭の中はシビアになってしまう。もっと気楽に遊び気分で、と考えていたのはちょっと甘かったかもしれません。

 たぶん、双方のビート感がブランクの間にけっこう変化しているようで、合う所は合う、合わない所は徹底的に合わないというスリル満点のサウンドになっていたと思います。

 さて、この試みは予告どおりに今後も続けて行けるものなのか? たぶん今頃、功刀先生も同じ事を考えていることでしょう。

 ケンカ別れしてしまう前に皆さん応援に来てくださーい。

<すざき・かずひこ:Irish pub field のおやじ・不言実行の道は険しいのねんのねんちゃんちゃこりん>

               *****

 

 

2008年10月

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■ field どたばたセッションの現場から

■ アイリッシュ音楽の衰退
■                          field 洲崎一彦
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 さて、今回はちょっと目先を変えてみる。

 気が付くと、私のまわりで、アイルランド音楽というものが非常に地味な存在になっているような気がするのだ。field は不定期でライブを行っているが、純粋にアイリッシュ音楽のライブをやる人たちがめっきり少なくなった。

 そんな先月、久しぶりに若手の3ユニットがライブをした(Sliabh何とか、アスキボーネ、猫モーダル)。3ユニットとも、私などはつい目を細めて聴いてしまう正当派アイリッシュ音楽を淡々と演奏してくれた。

 が、アイルランド音楽は地味である。

 こんな事に気が付いてしまった。

 field は8月はライブをしなかったので久しぶりのライブではあったが、6月、7月と、非アイリッシュのユニットであったり、アイリッシュ風味ではあってもちょい派手目なユニットのライブが続いたせいなのか。この、私がつい目を細めて聴いてしまうアイリッシュというのは、客観的に見ればとっても地味なのではないかという思いが頭をよぎった。

 民族音楽なのだから、本来はこの地味さを含めた所に魅力というものがあるのだが、世間ではアイルランド音楽の存在感が浸透するにつれて、アイリッシュ風味のアコースティック・アンサンブルをエンターテイメントに仕立て上げる方が一般的にはウケるようになって来た。

 例えば、アイリッシュ・フィドラーとして日本初のメジャーデビューを果たした功刀丈弘。

 友人ということに免じて独断で語らせてもらうと、デビューアルバムではソウルでヒップなブラックアメリカンな味付けの意外性をもってして結果的にアイリッシュフィドルの旋律や奏法を際だたせた佳作になった。しかし、これが偶然の産物だったのかと思わせるほどに、2nd アルバムでは強引にハードロックの衣をまといアイリッシュテイストとはほど遠い的の定まらない作品となり、3rd ミニアルバムで、関西系某TVニュース番組のテーマ曲を朗々と奏でるに至ってもはやフィドルではなく堂々たるバイオリン奏者に変身してしまった感があった。むろん、彼はバイオリニストとしても出色の腕前でありその太い音色が非常に魅力的ではある。が、これでは葉加瀬太郎氏の路線に少しづつかぶって行くだけではないのかと私たちは少々危惧したものだった。

 しかし、この夏前に出た4th アルバムで彼はついにと言うか、やっとと言うか、すっきりシンプルなアイリッシュ・アルバムをリリースしたのであった。私は事の内情は知らないが、これが功刀丈弘の初のインディーズ(自主制作)であったという事実は非常に興味深い。

 つまり、メジャーレーベルのマーケティングでは、素のアイリッシュだけではダメだと判断されたのかという想像が膨らんでしまうような話の流れではないか。

 見回して見ると、功刀以外のfieldアイ研創立メンバーの何人もが、今やアイリッシュとは全く違うジャンルの住人になってしまっている例が多いし、長年つき合いのある某大学の民族音楽サークルの学生達にも、飾り気のない正当派アイリッシュは最近もうひとつウケが良ろしくない。

 アイリッシュはその音楽が世に認知されるに従って、アイリッシュの持つある種のテイストは歓迎されたが、アイリッシュ音楽そのものは地味な民族音楽として、後発で浸透してきた他のヨーロッパ系民族音楽に駆逐されつつあるのではないか。

 つまり、アイリッシュ音楽は「ウケるアコースティック音楽」の地位から見事に引きずり下ろされたような雰囲気がある。

 しかし、一方で、一般ウケが仇になる世界がある。あまり人によく知られていないものをマニアックに追求する趣味人たちの知的満足度は、それが一般に広まるにつれて、そこにある特殊な魅力が加速度的に色あせるのである。

 その昔、その種のマニアックで少数派な喜びを失ったフォルクローレやブルーグラスからの「移民」が堰を切ってアイリッシュに鞍替えして来たように、今は、従来のアイリッシュ陣が東欧クレズマーや北欧音楽に「移民」して行く。あるいは、同じケルトくくりで、スコットランドやフランスのブルターニュ、カナダのケープブレトンへとその食指を延ばす。

 確かに、目新しいそれらの音楽は新鮮でエネルギッシュで魅力的である。しかも、その上記の価値観を持つ世界の住人達は、これらの音楽がアイリッシュがたどった失敗、つまりは、アイリッシュが獲得したほどのポピュラリティーを持つ可能性が低いことを、皮肉にも見通している。

 かくして、今やアイリッシュ音楽は、ポピュラーミュージックからはその美味しいエキスだけ抜き取られて用済みにされたにもかかわらず、その表面的なポピュラリティ獲得を理由にマニアックな世界からも見切られるという、非常に中途半端な位置に宙ぶらりんになっているようだ。

 確かに、アイリッシュ音楽は、日本人のメンタリティーに訴えるような親しみやすいメロディーと定型の楽器編成を持たないその自由なアンサンブル形式が、民族音楽としてはある意味異常に取っつきやすい音楽である。試しに、ゆったりしたエアなどのチューンをサクソフォーンで情感たっぷりに吹いてみると、それはまるでそのまま魅惑の演歌に変身する。

 しかし、アイリッシュ音楽には民族音楽としての「その奥」があったのだ。一見取っつきやすい音楽だけに、「その奥」への入り口は非常にわかりにくくて狭い。また、「その奥」へのアプローチの仕方も多種多様なのである。つまり、また何の定説もない、興味のない人には雲をつかむような話である。

 例えば、当 field アイ研ではその雲をつかむような試みとして近年アイリッシュ・ダンス曲が持つビートの問題に注目して来た。しかし、このビートの問題というのは、かつて、黒人ジャズが多くの日本人ファンを恐怖のどん底に陥れた「ジャズは日本人にはできない音楽か!」という仮説に、もう一度丹念に取り組まなければいけないかのような泥沼を避けて通る事ができない問題として私たちの前に立ちはだかったのである。

 しかし、こういう事を公然と発信することは、実はあまり歓迎されないという空気が一部ではあるが存在したのだった。

 つまり、アイリッシュ音楽はそのポピュラリティー獲得の方向に於いては決して難しい音楽であってはならなかったのであり、マニアックな魅力を失わないためには知的情報量では何ともならない音感の問題が持ち上がってはならなかったのでる。

 かくして、われわれ field アイ研は、アイリッシュ音楽の衰退に結果的に多大なる貢献をしてしまったのではないかという大きな自己矛盾を抱えるわけであった。

<すざき・かずひこ:Irish pub field のおやじ・考えて見れば、かく言う私自身がこのところアイリッシュ音楽の活動をさっぱりやっていなかったではないか!> 

               *****

 

 

 

2008年9月

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■ field どたばたセッションの現場から

■ 玉子、1個200円也
■                          field 洲崎一彦
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 さて、fieldアイ研練習会は先月、とんでもない武器を発見した。

 これまで、しつこいぐらいに繰り返し言ってきたビートの話。まわりのほとんどの人が、ああ、またわけのわからんこと言いはじめたと眉をしかめるほどになったビートの話。特にこのクランコラ誌上では文章でしか表現できないもどかしさ、裏を返せば全然意味が分からないと皆様をイライラさせてきたビートの話。

 以前は、究極のメトロノーム、BOSS Dr.Beat というマシンを発見して、ビートはそこにあるのではなくあくまで人間の身体の中に生まれるものであるということを誰でも追体験できますよ、という所までは紹介できたが、いかんせん、BOSS Dr. Beatは1台2万円弱もするので、わざわざこれだけの為にこれを購入して「体験」を試みた方などほぼおられなかっただろう。

 しかし! 今回は200円ぽっきり!なのである。

 ちょっと前、昔の音楽仲間と久しぶりに話をする機会があった。彼はいわゆるアフターファイブ・ミュージシャンのドラマーで、どちらかと言えばジャズ畑の叩き上げである。その彼の話にとても興味深いものがあった。要約すると。

 すごい人はどこに埋もれているか分からない。先日もちょっと年輩の無名のドラマーがシェイカーひとつであらゆるグルーブを表現するのを見てびっくりした。

 というような話であった。

 その時は、まあ、ジャンルも違うし、シェイカーというパーカッションにも特に興味なかったので、へえ! そんなすごい人がおるんや!って聞き流していた、その話を、私は何かのひょうしに突然思い出した。というか脳裏をかすめた。

 シェイカー?! てなもんである。

 昔、生まれて初めてマラカスを持った時に、ただ振っただけでは中身のシャカシャカがわずかに遅れて内壁に当たるので何という不便なパーカッションじゃ!と驚いた経験がある。その時、私にマラカスの振り方を教えてくれたオッサンは、こうするんじゃ、とマラカスを持った手首を固定して肩から振れ、などと言った。もうひとつ納得できないまま、マラカスというのは私にとってはあまり印象の良いものではなくなっていたのだった。

 シェイカーというのは、まあ、取っ手のないマラカス型パーカッションの総称である。振ったら、中に何か砂のようなものが入っていてシャカシャカ鳴る、あれである。

 ピン、と来たのは、あの振りにくさである。例えば、手拍子感覚で横に振ると中身が内壁に当たるタイミングがわずかに遅れてしまうし、それを今度は逆の内壁に当てるためには今当てた内壁側に中身を保持しておかなくてはならない。つまり、何もしないと中身は重力で下にたまってしまうので側壁に保持するためには今振った真逆の方向に素早く動かしておく必要がある。そうしておいて、再び勢い良く運動方向を180度転換した瞬間に中身は最初に当たった側壁の反対側にヒットするわけだ。

 この、休んではいけない手の振りとシェイカーの中身のわずかに遅れる運動の連携が、いかにも、これまで苦心して、言い表してきたヨコノリの感じであるところの、
 「ムチのようなシナる動き」
 「自転車こぐ時ハンドルを引っ張る感じ」
 「相撲のすり足とてっぽう突きの感じ」(!)
 「軽快に歩く時に一歩づつ膝をカックンカックンと曲げる感じ」
というような苦しまぎれなたとえ話で言いたかった状態を、一気にそのまま凝縮しておるではないか!!!

 ここまで思いつくや否や、私は十字屋楽器店にすっ飛んで行って、一番安価なシェイカー(エッグシェイカー)を1ダースくれ!と訴えたのだが、その日そこにはエッグシェイカーが5個しかなかったので、次に安価なおサルさんさんシェイカーとカエルさんシェイカー等も併せて買い込んだのだった。
 そうして、その夜のアイ研練習会に臨んだ。

 いやあ、予想は見事的中でした。
 結論を言うと、玉子シェイカーは恐るべきヨコノリマシーンであった。

 シェイカーが気持ちよく振れれば、どんな音楽をもヨコノリに感じることが出来る。逆に言うと、ヨコノリを感じる事ナシにはシェイカーを振って気持ち良い思いはできない。そしてまた、シェイカーが振りやすい音楽と振りにくい音楽があるのも確かだ。

 練習会メンバーと共に最初に試したのは、JBの〈セックスマシーン〉だ。ワンコード1発の黒人グルーブの代表とされるこの名曲に合わせてシェイカーを振る。どんな振り方をしてもヨダレが出て来るほど気持ち良い。全員納得というか、これは有無を言わせぬわかりやすださ。

 黒人ビートのヨコノリは一般に極端に分かりやすいから、しばし、以前教材に使ったことがあるディスコミュージックの「シック」、都会派クロスオーヴァーの「クルセイダース」、などで振ってみる。

 いやはや、ヨコノリにも種類があるのね。黒人ビートにも種類があるのね。ということが手に取るようにはっきり分かる。

 さて、それでは、本命のアイリッシュ音楽でこの玉子を振ってもみよう(おサルでもよいが)。しかし、ここへ来て、一同混迷を極める。さっきの黒人ビートに比べると明らかに揺れの周期が早いので生半可では玉子がうまく振れないのだ。

 そんなこんな、皆で悪戦苦闘していると、ほほう、面白いね。手首を固めて肩から腕全体を振ろうとしている者があらわれた。しかし、それではテンポの速さについて行けない。ついて行こうとすれば、ただそういう運動を完成させる方向に意識が集中するだけでテンポどおりに玉子が振れても本人はちっとも気持ちよくならない。

 むしろ、上半身の力を抜いて、手首も固めず、玉子を持つ指の力も極力抜いて、玉子が手の中で勝手に運動するようにイメージするのが良い。ほらほら、これで、だんだん気持ち良くなって来た。同時に彼の上半身はムチのようにしなる動きを見せる。これがヨコノリである。

 フランキー・ゲイヴィン、ケヴィン・バーク、ケヴィン・クロフォード、ポール・オショネシー、等のCDを次々にかけてシェイカー振りまくる。

 面白いです。ミュージシャンによってぜんぜん雰囲気が違う、つまり、演奏者のよるノリの違いが手に取るようにわかります。

 また、色々な人にこの玉子を振ってもらえば、その人がどんな風にその音楽のビートを感じているかも一瞬でわかります。とにかく、これでだんだんニヤけて来る人は充分にヨコノリを感じているというわけです。楽器の弾ける弾けないは関係ありません。

 玉子シェイカー。だいたい200円で手に入ります(おサルの方はもう少し高かった)。200円なら騙されたとしてもまあいいじゃないですか。是非、一度試してみてください。そして、皆さんのご意見もできたら聞きたい。

 リールではほぼ一同納得を得るところまではなんとかたどり着くことができたのだが、問題はジグであった。ジグと玉子の格闘は現在も進行中なのであります。

<すざき・かずひこ:Irish pub field のおやじ・玉子は実におもしろいですが、セッションなどの場でシャカシャカやるのはやめましょうね。> 

               *****

 

 

2008年8月

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■ field どたばたセッションの現場から

■ メロディーにしてメロディーにあらず
■                          field 洲崎一彦
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 お盆前のアイ研練習会は出席者が少なくて、ついつい、練習というよりも雑談になってしまった。居合わせたのは、半分はホイッスルのインストラクター役で参加のUさん、つい最近練習会に来るようになったバウロン志望のS君、3ヶ月前から参加するようになった本来はリコーダー奏者のMさん、最近欠席が続き落ちこぼれる寸前で顔を見せてくれたフィドルのB君、の4人である。

 まあ、今までいろいろやっては来ているけど、ぶっちゃけてどうかね? ここでやってること、ピンと来てますか? それとも、まったくワケがわからんかったりしますか?  と、たずねてみた応えは

 「わからないこともあるけど、ピンと来ることもある」

と、いうものだった。

 ここで、しばし、議論になったのは、いつも、私はここでは呪文のように
 「メロディーから意識を離しなさい」
と唱え続けているわけなのだが、新しい曲を覚えている最中ではメロディーを意識しないと覚えられないのではないか、という問題で、皆さんそれぞれ思う所を語り合ってくれて、結局、ちゃんと曲を覚えるまではその曲に関してはメロディーに集中するのは致し方ない、と言う結論に達した。

 私も、つい、話の流れで
 「それは、そうやなあ」
などと、相づちを打ってしまったのではあるが、これはその後も私の心にはちょっと引っかかったままなのだ。

 今回は、この「引っかかり」を糸口に、話を進めて行こうと思う。

 楽器の初心者はどうしてもその楽器の操作方法をある程度修得しなければならない。それが、フルートやフィドルのように、あるいはボタンアコーディオンやコンサーティーナ、はたまたイーリアンパイプスのように難易度の高い楽器であればなおさらである。

 このような楽器の操作方法を修得するには、とにもかくにもメロディーを出すしか、とりあえず練習の方法が無いのであるから、メロディー以外の事なんて考えている余裕は無い、というのも分からないではない。

 しかし、これもやっぱり一種の固定概念に縛られた発想だと思う。

 初めて触る楽器がある。ある音が出た。また違う高さの音も出た。ではとりあえず何かメロディーを出して見よう、というのは、はたして誰もが普通に考えることだろうか?

 ここに、ではとりあえずビートを出して見ようという発想もあるのではないか?

 メロディーを出すには複数の高さの音が出なければならないので楽器のその部分、つまり音階を出す操作方法に目が行くことになるが、ビートを出すには1つでも音が出たら、その音の発音のタイミングや出た音の切り方をどのように操作するのかに目が行くだろう。これも大事な楽器の操作方法である。

 このあたりは単純に発想の転換である。

 では、何か新しく曲を覚えるという場合はどうなんだ、という問題がある。アイリッシュ音楽はだいたい短音メロディーが主体なので、ほとんどの楽器が同じメロディーを奏でる。

 問題は、この「曲を覚える」ということの具体的な作業内容なのだ。これには、しばしば楽譜が使われる。楽譜を見ただけで頭の中につるつるとメロディーが流れるまで訓練された人はまだ良い。が、多くの初心者は楽譜をまず自分の練習中の楽器を鳴らして音を確認する。そうすると、その時点で技術的に操作ができない音は再現できないので、そもそも音の確認ができない。だからこそ練習するのだ!というのは素晴らしいモチベーションなのだが、つまり、それは、そのメロディーを覚えるというのでは無しに、そのメロディーをその楽器で鳴らす手順を覚えるという作業にすり替わってしまうのではないか? 

 曲を覚えるというのは、その曲が頭の中に鳴るということである。よく、何度も流れるCMソングが急に頭の中に鳴り出して、もう、1日中その曲が頭の中で鳴り止まないということがあるだろう。これぞ、楽譜も楽器も介さずして音楽を覚えるという状態である。

 つまり、何か新しい曲を覚えることと、楽器の操作方法を覚えることとはまったく関係ない。すなわち、楽器で新しいメロディーを出すことと、その新しいメロディーを持った曲を覚えることも実は関係ない。曲を覚えるということは、楽譜が読めなくても、楽器が演奏できなくても可能なことなのだ。

 頭の中で勝手に曲が流れている状態で、まあ何でも良い、興味のある楽器を手にとって、それをそのまま音に出してみよう。という素直にシンプルな発想をしてみよう。

 おそらく、少なくとも、アイルランド音楽はそのようにして受け継がれて来たもののはずだ。

 何か新しい歌でもいい、これを数人の人たちに教える。みんながだいたい歌えるようになると、日本では、それに、ハーモニーとなるメロディを探そうとする人が必ず1人は現れるという。これは、世界的に見ると、とっても特異な現象だというのだ。

 例えば、アメリカで同じことをやると、必ず踊ろうとする人が1人は出て来るという。少なくとも、新しい歌を覚えたら、次は手で膝を打ったり、足踏みをしたり、リズムを取る方向に進むのが一番良く見られるスタンダードな反応であるらしい。

 かくも、現代日本人は、メロディーとそれを発展させたハーモニーがとっても大好きということらしいのだ。そして、アイルランド音楽には原則的にハーモニーの発想は極めて希薄だとすると・・・・・。

 アイ研練習会で、たとえ、新しい曲を覚える時にでも、メロディーから意識を離しなさいと、呪文のように唱え続ける所以である。 

<すざき・かずひこ:Irish pub field のおやじ・ジャズマンの言う「スケールを意識しているうちは真のアドリブはできない」に通じる発想の転換ですね。> 

               *****

 

 

 

2008年7月

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■ field どたばたセッションの現場から

■ fieldセッションの盲点3
■                          field 洲崎一彦
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 先月の続きである。
 
 現在、field セッション、及びアイ研練習会にやってくる アイリッシュ音楽楽器初心者の皆さんには大きく分けて2種類の人間が混在する。ひとつは、従来型のこれまでアイリッシュが好きでCD等をガツガツ聴いてきたがひとつこれを自分で演奏がしてみたいという、いわゆる旧世代。もうひとつは、友人がやり始めたとか、どこかで偶然ぱっと観て、「あ、これやってみたい」とひらめいてやって来る人たち、これを自己実現型の新世代と呼んだのだった。

 この両者の混在傾向は、近年だんだん大きくなって来ているように感じるし、これからますます新世代が数多く出現する可能性を予感しつつ、私
たちは大いに戸惑ったのだった。しかし、これは戸惑っている場合ではないぞということに気が付いたのだ。

 先月は、まあだいたいこのような内容のことを書いていたと思う。

 かつては、完全にマニアさん達の音楽だったアイリッシュ・ ミュージックがなんとなく一般に広まり始めたのは恐らく97年か98年ごろにヒットした映画『タイタニック』がきっかけだったと思う。そのころは fieldはまだパブではなかったが、私たちがアイリッシュを演奏していて聴いてくれる人々
の反応がそのころに激変したのを覚えている。

 そして、field がアイリッシュ・パブになり頻繁にセッションを行うようになると、京阪神各所に隠れていたアイリッシュ・マニアさんが次々においでになって心底驚いたものだった。

 で、その中には意外なことにゲーム・ファンが大勢いた。聞けば、『ファイナルファンタジー』というゲームでアイリッシュ・ミュージックが使われていたとか。それで、これをきっかけにアイリッシュ・ミュージック・ファンになったという人がかなりいた。

 次が、ブリティッシュ系のロックからペンタングルやフェアポート・コンベンション、マイク・オールドフィールドなどのフォーク色の強いものに惹かれてそれらのルーツであるアイリッシュに興味を持ったというパターン。

 しかし、ゲーム・ファンも、ブリティッシュ・ロックからアイリッシュにまでルーツをさかのぼるロックファンも、これは誤解を恐れずにひとことで言えば「オタク」ではないか。

 それが、『タイタニック』以降、私の記憶では特にNHKのドラマやドキュメンタリーにアイリッシュが使われる頻度が激増したし、そのうちCM音楽
にも多用されるようになると、一般の健全な非オタクな人々の耳にも簡単に届く音楽となって行った。

 ・・・・・・つまり、私たちは「オタク」だったのだ!

 例えて言えば、メイド喫茶が流行ってマスコミに取り上げられるようになる頃には、もはやメイド喫茶は真正オタクには居心地の良い場所では 無くなっていったようなことが Irish PUB field で現在進行しているの だとは言えないか。

 今でこそ世界を席巻する日本のオタク文化と言えば、アニメとゲームとコスプレという風に分野が限定されてはいるが、元々は極端な趣味への執着が生む閉鎖的なライフスタイルを「オタク」と称したはずだ。つまり、私 たちが旧世代のアイリッシュファンと称した人々は全員オタクであると断じて
差し支えない。

 つまり、私たちオタクは、今、健全な一般の趣味性という姿勢でやってくる非オタクな善良な人々にうろたえていたというわけなのだ。

 ここで、押さえておきたいのは、日本のオタク文化がパリでニューヨークでブレイクしたのは、その趣味としてのアプローチの極端さと興味の 対象のアンバランスが、これは新しい文化なのではないかという好意的誤解を受けたからに他ならないと思う。

 恐らく、今もホンモノのオタク先生方は、パリやニューヨークのオタクはニセモノである!と息巻いておられるに違いない。が、それでは、アニメやコスプレは一種の病的印象を永遠に振り払うことなく、美しき少数派として埋没するしかないのだ。ホンモノのオタク先生方はこの引きこもり型自己
完結の方を「美」と断定するに違いないが、この部分においては、アイリッシュ・ミュージックに対する私たちは少し立場が違う。

 つまり、field アイ研の設立主旨のひとつが、アイリッシュ・ミュージックの敷居を低くする、というものであった以上、現実的な普及にその目標を置かなければならないわけで、どんなに心地よくとも、引きこもり型の自己完結という甘美な方向には走ってはならないという事なのであった。

 よし。理論武装はでけた! 次は実践!

  では、ジッサイにですね。次はジグを練習しましょう。
  ○○さん、知ってるジグを何でもいいから演奏してみてください。
  あの〜、ジグって何ですか?
  あ、そうかー。ジグ知らんかったんやねー。そしたら何でもいいから知ってる曲を演奏してみて。
  んんん。それ、確かにちょっとアイリッシュぽいけどねー。あひるんるん
  あひるんるん〜、はアフラックのCMソングやねー。
   ・・・・・うんうん、それでもいいよ、ほら、途中で止めずに最後まで演奏してよ〜。

 ここで、「ここは幼稚園やないやい!」と心の中で叫んだとしても、私たちはそれを決して顔に出してはいけないのである。「君ら、アイリッシュの CD最低10枚は聴き込んでから出直して来い」などと言おうものなら、それは私たちが「オタク楽園」に引きこもってしまうことを意味する。

 でも、一方では、昨夜必死になって練習会の課題曲をコピーしてきた旧世代の奴が、こんな光景を震える拳を握りしめて眺めている。

 しかし、私たちは彼をも「オタク楽園」に引きこもらせてはいけないのであるから、「では、みんなであひるんるん!を演奏してみよう!」というふうにオープンな雰囲気を作らなければならないのだ。
 ああ、しんど!

 こんなん読んだら、誰も field アイ研に来なくなるよな。 一部少々デフォルメして書いておりますので、悪しからずご了承ください。

<すざき・かずひこ:Irish pub field のおやじ・別に皆が皆、表現活動などしなくて良いのだと思います。表現せざるを得ないという状況は精神的にどこかバランスを欠いているのであって、決して自慢できる状態ではないと思います。> 

               *****

 

 

2008年6月

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■ field どたばたセッションの現場から

■ fieldセッションの盲点2
■                          field 洲崎一彦
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 昨年、fieldアイルランド音楽研究会が主宰している月曜練習会の参加希望に急に初心者が殺到して、一時は火曜日に初心者向けの別枠を設定したりもしたが、いつしか参加者が減っていった。
 結局は少数残った初心者の皆さんを月曜日に統合して現在に至っているわけだが、この混成チームでの練習がなかなか難しい。

 楽器レベルの差がある人達が複数集まって同じ練習をするのが難しいという要素もあるが、それは、これまでも多々あり得た状況だから別に今さら気にすることではない。違和感は別の所にある。

 たぶん、前述の、一時に練習会に初心者が殺到したが、それはやがて水が引くように消えて行ったという事にも関係があるだろう。

 かつて、楽器を始めようかという人のほとんどは、何かの音楽を聴いてそれに感動して自分もああいう音楽を奏でてみたい、というような明確なビジョンがあった。つまり、リスナーとしての感動を経てプレイヤーを目指すというひとつの道筋があった。
 特に、アイリッシュ・ミュージックのようなジャンルは今以上にマイナーだったから、楽器をやってみようと思う人は必ずその前にリスナーとしてある程度量のCDなどを聴き込む期間を経験していた。

 しかし、昨今、fieldアイ研にやってくる初心者諸君を見ていると、それすらもが怪しい。例えば、自己実現のひとつの手段として、たまたま友人がやっているので自分もひとつ手を出してみるか、というパターン。つまり、本当はポルノグラフティーが好きなのだが、友人がたまたまティンホイッスルを始めて、あれなら自分も出来そうだと思って始めました、というような場合。

 このような動機がダメだと言っているのではない。必要な努力がちゃんとやれるなら動機は何でも良い。
 問題は従来のアイリッシュ・ミュージック・マニア気質の人達と、何でもいいから自己実現派の人達が同居してしまう所に難しさがあるのだ。

 従来の気質の人達を仮に旧世代と呼ぶ。旧世代の人達はいかに初心者でも○○の××というCDが好きです!などという事をはっきり口にした。しかし、新世代の人達のほとんどが好みの音楽以前に、自分が音楽の何を楽しんでいるのかを意識さえもしていなかった。

 仮に、彼らに楽器レベルの差が無かったとしても、この雰囲気の差は合同練習を何とも言えない重苦しいものにする。

 ここで言いたいのは、このような新世代の人達への批判ではない。本来、こちらが尊重したいと考えている彼らの音楽を求める固有の楽しみを彼ら自身が自覚しないまま音楽行為を続けているという現象に対して、キミらは本当は音楽なんて好きでも何でもないだろう!と、つい、言い放ってしまいたくなっていた私自身の焦燥に対して、あ、ちょっとそれは違うんやないか、という疑問が生まれて来たという事なのである。

 fieldセッションは、当初、よく「敷居が高い」とウワサされた。確かに、当初は意欲的で元気のあるプレイヤーが大勢集まっていた。しかし、実際には初心者もいっぱいいた。
 そんな中で、私たちはfieldアイルランド音楽研究会を作り、楽器のレッスンやいろいろな練習会を主宰して、旧来は一部マニアさん達だけが独占していたアイリッシュ音楽の演奏に対する敷居を低くする努力に勤めた。
 故に、彼ら新世代の登場は、このような私たちの努力に対する一定の成果だと見ることもできる。

 確かに、fieldセッションはそのすそ野を広げすぎたという批判もないではない。現実には、この新世代がもたらす雰囲気を好まない先輩たちもいないではないが、彼らがが本当にアイリッシュ・ミュージックによって自己実現を達成することができればこれほど良いことはないのだ。

 
 <洲崎一彦:Irish pub field のおやじ・一番の問題は「何が何でも自己実現」という社会風潮そのものにあるとは思うのですが。> 

               *****

 

 

2008年5月

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■ field どたばたセッションの現場から

■ field セッションの盲点
■                          field 洲崎一彦
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 最近、ふとしたことで気が付いた、わが、field セッションの構造的欠陥とも言うべき重大事項。field セッションは常に誰でも参加できるオープン・セッションを維持し、広く門戸を開放して、少しでもアイリッシュ・セッションに親しむ人達を増やしたいという趣旨でずっとっこまでやって来た。

 セッション風景そのものは、以上の趣旨に沿って、いつも初心者と中上級者が入り交じった和気あいあいとした集まりになっているので、ちょっと見はこんな問題にむしばまれていることに気が付かなかった。いや、もしかしたら、多くの人はもう気が付いていたのかもしれないが、セッション主宰側の人間は非常に気が付きにくい問題だった。

 ずばり言う。field セッションはそこで演奏される曲の種類がどんどん減って来ている!

 レパートリー数の多さがセッションのステイタスになるものでも無いが、長年続けているセッションでは、レパートリーがどんどん更新され、その時々に中心になる人達の個性や好みがその都度反映されるような生きたセッションでなければ、ただ、セッションという形を維持しているだけでは魅力的なセッションだとは言い難い。もし、私が外部からこのセッションに訪れる側の立場なら
確実にそう感じることだろう。

 それでは、なぜ曲数がどんどん減って行くのか?

 ひとつには、初心者の方が常にいる状態が長く続いているということ。常に初心者がいるということは、常に新しい人がやって来ているということだから、われわれの趣旨に沿っている。だから、これ自体に問題があるというのではない。われわれがそういう人達へ過剰なサービス精神を発揮してしまう所にひとつの問題があったのだ。なるべく、あなたたちがやれる曲を演奏しよう、と思ってしまう。これは、われわれのようなオープンセッションにはある程度必要な配慮なのだが、度が過ぎると、やはりいろいろな弊害が出てくる。

 たくさんの曲を知っている中級者以上の人は、そういう姿勢が過度に見えるセッションではいささか退屈するだろう。また、初心者の皆さんも、いつも自分たちに合わせてもらっているのでは、もっと頑張って色々な曲を覚えなくては!というモチベーションも低下するというものだろう。

 そして、今回最大の盲点であったのは field セッションCDの存在である。field アイ研では、field セッションでよく演奏される曲紹介目的で、2003年と2005年に《セッションCD vol.1》《セッションCD vol.2》という2枚のCDを製作している。CD製作と言っても、その時々の field アイ研の主な部員たちが適当にセッションしたものを録音、編集してCDRに焼いたもので、あくまで曲紹介用として1枚300円で販売している(現在も販売中)。

 以降、セッションに初めてやって来た人などから、あのセッションCDは持ってますよ、などと知らされると、やはり、ここにホスト側のサービス精神というか、流れというか、じゃあ、あのCDの中から演奏しましょう!という事になるのが自然の成り行きであった。

 また、初心者には、CDの収録曲を覚えたらfieldセッションでは困らないよ!などと喧伝というか、はっぱかけるつもり半ばでそうい風にアナウンスしてしまうので、意欲的な初心者諸君はこのCD収録曲からまず曲を覚える流れとなる。そうやっているウチに熱心な人ならCD2枚分ぐらいの曲はすぐに覚えてしまう。仮にその人が当面は field セッションでしかアイリッシュを演奏する機会がなかったとすれば、ここではそれ以上演奏される曲は増えないのだから彼らもそれ以上曲を覚えなくても充分それで楽しめてしまう。

 セッションCDは2005年以降は新しいものを作っていない。コンスタントにこういう趣旨のものを作り続ければ、こんな構造的停滞はなかったのかもしれないが。つまり、2005年から3年間というもの、上記のようなメカニズムが見えざる手となってfield セッションで演奏される曲が限定されていたのだ。行き着く所はつまり、field セッションで演奏される曲はこの2枚のCDに収録されてる曲のみであるという状態。

 こういう仕組みが確実にはたらいていたのだ。

 これは、あるふとしたきっかけで発覚した。ある日の参加者が極端に少ないセッションにて、ここ数年来実質的にセッションホスト役を務めている U さんに、こういう機会にちょっと昔によくやっていた曲でもやってみようか、と提案してみたところ・・・。

 あれあれ?? Aメロは出るけどBメロが出ない、とか、Bメロが違う曲のBメロになってる、とか、つまり、結局、あの2枚のセッションCDの選曲者にして field セッション歴8年の彼をもって、セッションCD以前の field セッション・チューンをほとんど忘れてしまっている事実が明らかになったのだった。

 個人の練習という視点においては、数多くの曲を覚えるよりも重要なことはたくさんある。また、中級者諸君がある一定の演奏力を身につけたその後の段階に進もうとした時に、適切な練習の仕方に迷い、とりあえず曲を増やそうという方向へ流れてしまうというあまり好ましくない一般的傾向も確かにある。アイ研練習会なども当初はこういう迷える中級者が集まって始めた練習会だった。

 しかし、このような一連の流れが、知らず知らずの内に生きたセッションの息の根を止めようとしている。

 現状は把握した。では、どうすればいいのか? 世にばらまかれたセッションCDを今から回収してももう遅い。あるいは、現実に回収するのは不可能だ・・・・・。

 ああ。

 
<すざき・かずひこ:Irish pub field のおやじ・セッションはまさにあらゆる面で生き物でありました。何かの社会法則のごとき、見えざる手、というものがありますね。>

                 *****

 

 

2008年4月

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■ field どたばたセッションの現場から

■ 突然!オールドタイムで、落ちる
■                          field 洲崎一彦
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 MOZAIK がやって来た! ルーツ・ミュージック界のスー パー・グループ、モザイクが、京都「磔磔」にやって来た!!

 アンディ・アーバイン(vocal, bouzouki) from アイルランド、
ドーナル・ラニー(bouzouki, guitar) from アイルランド、
ブルース・モルスキー(fiddle, banjo)from アメリカ、
ニコラ・パロフ(kaval, gaida, etc.)from ブルガリア、
レンス・ヴァン・ダー・ザルム(fiddle, mandolin)from オランダ
の、それぞれが超絶テクニックを持つ5人が作り出す、ジャンルを 超越したスーパーミュージックは会場に興奮の嵐を巻き起こした。

 前夜にそれぞれの国からバラバラに日本のバラバラの空港にバラバラの時間に到着して、午後3時からリハ。それだけで、この複雑なアンサンブルが塊となって沸き立って来るのだから、これはまったく超能力である。

 心なしか、会場には、いつも見るようなアイリッシュ・ファンの方々の姿が少ないのが残念。確かに、モザイクは天然自然のアイリッシュ・ ミュージックではないが、音楽好きなら必ず感応することのできる高密度なアンサンブルであるからして、皆さんこれを見逃すなんてホントにもったいないよ〜。

 ライブ終了後、興奮も冷めやらぬまま、モザイク御一行様はわがfield にお越しになった。いつもなら、こういう状況の時は、アイリッシュ・ セッション・マニアの連中がウワサを聞きつけて、field のセッション席あたりで、楽器を取り出して待ちかまえている所なのだが、今夜はそやつらの姿もない。なんだかなー。京都のアイリッシュ・ファンって可愛くないなあ〜。ここに、ドーナ
ル・ラニーがおるのよ!? アンディ・アーバインがおるのよ!? アイルランド音楽の国民栄誉賞、長嶋茂雄と王貞治がふたり揃ってここに居るような。いやそれ以上、国宝級の面々やで?!

 と、ひとり嘆いているうちに、突然、生演奏の音が店内に響き渡る。

 そう。楽器を携えて待ちかまえていたのはアイリッシュ・セッション・マニアならぬ。オールドタイム・ファンの方々でありました。モザイクのフィドラー、ブルース・モルスキーはオールドタイム界のベーブ・ルースだったのでした。モルスキーのおっさんもビール引っかけて、めちゃ腹減ってるけど 食ってる暇など無いわ!とフィドルを取り出して彼らに応えている。

 オールドタイムという音楽は、アイルランドやスコットランドからの移民が多かったアメリカ東部のアパラチア山脈で生まれたダンス音楽で、これが後のカントリーやブルーグラスの原型になったとされているもの。

 私は、オールドタイムをちゃんと聴くのは初めてなのだが、なるほど、アイリッシュ・リールに似ている。が、装飾音はほとんど使用されず、その分、どんどん前につんのめって行くような独特のノリがある。また、ブルーグラスを連想させる部分も無くはないが、非常に細やかなうねりがあり、ブルーグラスの持つ陽気な明るさというかシンプルなノリはあまり感じられない。

 印象的だったのは、このセッションが始まった時、しばらくの間、ドーナルとレンスが、ただ、じいっとモルスキーおじさんのフィドル・プレイに見入っていた光景である。誰かがレンスに楽器を渡そうとしたが、彼はそ
れを断ってモルスキーおじさんのフィドルに釘付けになっていたのだった。

 しかし、正直言って私は、その時は、ただ、よく知らない音楽が始まったなあ〜。ぐらいに思っていただけだったのだ。

 見た所、アンディは少々お疲れの表情で離れたテーブル席でビールを待っているし、ドーナルはブルース・モルスキーのフィドルが気になりつつも、おてんばお嬢さん(ドーナルの5才の娘さん)の確保に、なかなかじっとしていられない様子だった。

 オールドタイム・セッションは延々と続いていた。そんな店内で、私は色んなエリアをうろうろしながら気を散らせていたわけだが、そんな私の耳に不意に飛び込んで来たのは、なんとも美しいバンジョーのコロコロと転がるような独奏だった。

 気が付くと、ふらふらとセッション席まで吸い寄せられて来てしまっていた私は、それを弾いているのがブルース・モルスキーであることを見つけたが、思わず、口に出して「すごい・・・」とつぶやいていた。すると、近くにいたオールドタイム・ファンの方が小声で、「すごいでしょ?」とこっちを向いてニコニコしている。

 セッション席の人々は当初に比べるとちょっと少なくなっていたが、相変わらずここだけは皆さんも空気の濃さが違っていた。

 バンジョーの独奏が終わり、控えめな拍手がわき起こり、私も拍手をして、また、そこから離れようとしたその時、傍らでフィドルを構えていた京都オールドタイム界の重鎮バスコ氏が、どうですか? セッションに入りませんか?と私に声をかけた。

 きょろきょろ・・・。え? 誰? ワシ? ワシのことか? というコントのような状況。私は自分がオールドタイムの演奏に加わることができるとは全く考えていなかったので、誰か別の人に声をかけているのかなあと思ったのだった。

 え。いいんですか?・・・・。あ、まずい。こういう返事をしたら向こうもダメとは言えないじゃないか・・・・。とかなんとか言いながら、そういうことになってしまい、最近はセッションでも使ってなくてすっかり装飾品になっている窓際のブズーキを手に取る。弦は錆ていてチューニングが合うかどうかも不安だが、楽器を取りに行って来ます、と言うだけでもノリが失われてしまいそうな空気の中で、モルスキーおじさんにAをもらい、私はそのブズーキをチューニングした。

 バスコ親方が「Gで行くから〜」と言った、「ら〜」の所で、モルスキーおじさんはもうチューンを始めていた。初めは拍の頭さえ分からなくて手も足も出なかったが、モルスキーおじさんのフィドルからはフィドルの音ともうひとつ何やらワケのわからない波動が飛んで来て、私は、耳は混乱しているのに身体だけが揺すぶられる、というような未体験ワールドに突入していたのだった。そして、これはとても心地の良いもので。とは言え、あ、今楽器抱えてるんやったと我に返り、バスコ親方の「Gで行くから〜」を思い出して、スケールを探る。

 おそるおそる弾いてみようか、ではダメなのだ。思いっきり飛び込まないとはじき飛ばされてしまうのだった。機関銃で撃たれているようだった、と言ったら、あとでモルスキーおじさんに「オレは平和主義だ」とにらまれたが、マンガとかによくある、足下を機関銃で撃たれて足をよけている姿が踊っているような、つまり、そうやって踊らされているような、そんな感じなのだ。

 しかし、そのように弾を避けながら、こちらもこちらの楽器で何発ははじき返すようなことを覚えると、その快感たるや、何と表現したら良いのだろう? スポーツに近いね、スポーツに。下手なテニスで思いっきり打ち返して、初めて「柵越え」せずに、偶然ドライブがかかり、相手コートに突き刺さった時の快感、とでも言おうか・・。

 オールドタイムはブルーグラスの先祖? とんでもない。これはむしろファンクの先祖だと言ってもええのとちゃうか。20世紀のアメリカ黒人音楽の隆盛は、従来、アフリカ起源の黒人性のみでもって語られ続けて来たが、こちらの、アイルランド、スコットランド移民の民族性からの影響は皆無だったのだろうか? そんな疑問を大まじめに考えてしまうくらいのビート!ビート!ビート!

 2曲がせいいっぱいだった。突然の予想もしない刺激に脱水症状を起こしかけていた私は、しかし、とても高揚してしまっていて、顔を真っ赤にしながら、モルスキーおじさんに握手を求め、どうやって弾いてるんだ?!と突っ込みを入れていた。

 「穴に落ちて行くような感じだ」
と、モルスキおじさんは答えた。

 落ちるんや・・・・。
疾走感なんて水平に動いているようじゃ甘いんや・・・。

 落ちるんか・・・。

<すざき・かずひこ:Irish pub field のおやじ・結局、ワシがメロディー楽器を修得せんことには君らは分かってくれんという事やな!?  え!?> 

                 *****

 

 

2008年3月

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■ field どたばたセッションの現場から

■ 中級者セッション病
■                          field 洲崎一彦
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 前回、話の流れの中で何の気ナシに書いた「初心者セッション 病」(このタイトルは原稿を書き終わってから付けたのだった)について割といろいろ反響をいただいたので、今回は調子に乗って「中級者セッション病」と いうテーマでいろいろ考えてみる。

 ここでの中級者の定義も一応しておかねばならないが、これも多 分に自覚的なものである。つまり、セッションなどに意欲的に参加して、
 「自分はもうそろそろ初心者ではない」
と自分で思い始めている人であるとしておく。

 さて、こういう彼は定番チューンはだいたい演奏できるので、 時々誰かが出す知らないチューンに出くわすとちょっと悔しい思いをする。そこで彼のエネルギーは自分の知らない新しいチューンをなるべくたくさんせっせと覚える方向に向かうことになる。そのために、つい、市販の楽譜を使ってしまう。

 楽譜は、その楽譜の質にもよるが、多くはアイリッシュの曲を正 確に表現しているものではない。クラシック音楽の約束事から見たおおよその見当しか書き表されていないと考えて良い。笛の人は息継ぎに迷うし、フィドルの人は弓使いに迷う。でも、おおよそのメロディは書き表されているから頼るべしは休符感や装飾音がはぎ取られたベタベタのメロディのみになる。

 しかし、ベタベタのメロディであってもある程度の人数が集うセッションでは何の問題もなく楽しめる。さらに、時には、
 「ここはこうやったらいいよ」
などとアイリッシュ・チューン特有の装飾音を教えてくれたりする先輩もいる。そこで彼はこの装飾音でメロディを修正する。つまり、装飾音をメロディに組み込んでしまう。

 装飾音をメロディとしてしっかり演奏しようと努力するとどうなるか。大事な所で小節の頭の音のタイミングが遅れる。本来はアイリッシュ・ チューン独特のビート感を演出するための装飾音がまったく逆の作用を果たしてしまう。そんな装飾音は、本来の目的に即して、多くの場合そのチューンの大事な音の直前に入ることが多いので、結果的に一番大事な音を逃してしまうということになる。

 そこで、彼は思う。これは指が早く回らないからアカンのデアル。鬼の特訓をすればヨイのデアルと。

 例えば、フィドルなどの場合、クラシック・バイオリンの基礎をみっちりやった経験のある人などはこの辺の指回し技術で問題をあっさりクリアしてしまう場合がある。しかし、クリアされるのは細かい装飾音をメロディに組み込んだやたら技巧的なメロディをキレイに弾きこなしてしまうという
事のみである。メロディがさらさらと流れてしまえば一見何の問題もなくなるが、アイリッシュの装飾音が持っていた本来の目的は完全に意味を失いビート感が消滅する。しかし、セッションに加わっている分にはこれには誰も気が付かない。

 このような彼はセッション仲間から見ると、
 「最近、指がガンガンに回ってるねー」
というふうに思われていたりするので、晴れて念願のユニットやバンドに誘われることになるのだ。

 ここは「初心者病」の時と同じメカニズムである。セッションではそこそこ楽しんでいたのに、バンドアンサンブルになった瞬間、
 「え?」
ということになる。
 ギターなどの伴奏楽器が一緒だとよけいに
 「あれ?」
ということになる。

 「初心者病」患者は、ギターなどが入ってくれると、元々「追いかけクセ」があるから、これは返ってやりやすいということになるのだが、彼 の場合ここに来るまで血の出るような「メロディー」との格闘を続けて来た歴史というものがアルからして、
 「この流れるようなフレーズの所で、なんでギターはそんなにブツブツと音を切って来るのか!」
とか、
 「このBメロの盛り上がりの前で何でタメないのか!」
とか、フツフツとストレスが湧いて来るのだ。

 で、どうなるかというと、
 「ええい! お前らより先に行くからついて来い!」
という方向に行ってしまうのが人情というものなのだ。

 そして、晴れて本番! ぱちぱちぱち!

 なんか、このバンド、ひとりひとりはけっこう上手いのに、どの曲もどんどん速くなってハシってイクのは何故??? あ。突然終わった!? 拍手や、拍手・・・。ぱちぱちぱち・・・。

<すざき・かずひこ:Irish pub field のおやじ・対象が中級者となると書きながらハラハラドキドキですな。あくまで一般論です。誰か特定の 個人のことを書いているのではありません。念のため。>

                 *****

 

2008年2月

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■ field どたばたセッションの現場から

■ 初心者セッション病
■                          field 洲崎一彦
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 前回、前々回と、一種の興奮話が続いたので、地味な話に戻すの は少々気が引けるのだが、話題は今年もまた我等がアイ研練習会の地味なお話
である。

 アイ研練習会の面々は昨年ホイッスルを始めた初心者から10年選手までが参加していて、なかなか幅広い。そのメンバー達が一堂に会してどん
な練習をするのかという疑問は当然だが、それぞれの楽器経験年数にかかわらず「ビート」感に関しては時に初心者が経験者を凌駕してしまう事態も起こり得る。また、それぞれの楽器の操作法に関しては個人練習しているものとして進めるから、ここでは楽器の操作方法の練習は一切しない。

 これらの理由で、この練習会はこれまで多くの脱落者を出して来た。普段の個人練習を怠っている初心者は当然練習曲もろくに演奏できないま
ま時間だけが過ぎて面白く無くなる。また、昨日今日楽器を触り始めた初心者 が突然とんでもないビートを出すのを目の当たりにして経験者もまた面白く無くなっていつしか去って行く。

 また、特に初心者の多くは学生諸君である率が高いが、学生諸君はだいたい秋から年末にかけて学園祭やサークルのイベントが集中し、年が明
けると試験があったりするから、多くの学生諸君は新年と共に音楽意欲が力尽きている。そこへ試験が来て長い春休みとなると、帰省する人、旅行する人、 いろいろと音楽活動どころではなくなるので、気が付くと春を迎え、アイ研に もちらほらと新人が入って来て雰囲気ががらっと変わってしまっては少々戻りづらくなるというパターンが多い。

 スジの良かった初心者の学生諸君もこうやって消えていく。

 つまり、例年、今の時期(2月)は特にイベントも無く、アイ研 が1年で最も盛り下がる時期なのだ。練習会の出席者もドンと減ってしまい、
昨年は誰も来なくて中止した日もあった。

 それを考えると、今年はまだこの時期に年末からのメンバーを保っているというのは上出来だと言える。

 ただ、この上出来のメンバー達は初心者率が高い。何をもって初心者と呼ぶかは微妙だが、ここでは特に、「必要以上に自信が無い人」という
定義をしても良い。

 実は、アイ研練習会は昨年の夏頃から、初心者と言えどもガンガン人前で演奏してもらう機会を設ける方針でやって来た。ユニットを組んでも
らって、ちょっとしたイベントやパーティー等で演奏してもらうのだが、これらの初心者諸君は一様にセッションの経験はあってもバンドやユニットの経験が乏しいのである。

 必要以上に自信が無い人の合奏には一定のパターンがある。個人練習ではどんなにつるつる指が動く人でも合奏になると他の人の出す音をひた
すら追いかける。追いかけるということは時間軸にして微妙に遅れるというこ となのだ。

 例えば、3人のユニットがあったとして、この3人が全員他の人の音を追いかけたらどうなるか? アンサンブルはどんどん遅くなってモタっ
て来る。ひどくなると止まる。こんな中にひとり自信満々な人が入っていると 皆この人を追いかけるからまあまだ音楽にはなる。音楽にはなるけれど、これではアンサンブルの意味もないし面白い音楽には絶対ならない。

 彼らが、たまたまそういう機会があってユニット(バンド)を組む。まず、よく質問されるのはバンド練習のやり方だ。バンド練習の方法が分
からないというこの時点で、バンドを組む意味もその楽しさもまったく分かっていないということを露呈している。つまり、バンド演奏する意味を失っている。バンドの意味が初めから無いバンドにバンド練習の方法を指導しても実質的にそれがバンド演奏にはなることは永遠に無い。

 また、こういう人はセッションを好む。常に誰かを追いかけることが出来るからだ。追いかけることに楽しさを覚えてしまうと、「追いかけな
い」というイメージを持つこと自体が困難になってしまう。これがいわゆる 「初心者セッション病」だ。

 この患者はセッションに参加している限りは本人も充分に楽しいし、まわりも別に邪魔になる音を出すわけではないから何の問題もない。故
に、この患者の未発見率及び潜伏率は非常に高いと思う。

 ただ、それがひとたびユニット(バンド)に参加した瞬間、彼らは患者となる。本人もワケが分からないままどんどん楽しくなくなるし、まわ
りもワケがわからないまま何となく楽しくなくなる。

 こうやって、バンドがまたひとつ消え、誰かが音楽現場から姿を消すことになる。ほんのちょっとした病に気が付かないばっかりに可能性を秘
めた人材が消える。これは、非常に口惜しい風景だ。これは病であって、才能がある無いなどの話ではない。たまたま、楽器を始めた環境や音楽仲間の有無、その質によってよほど幸運な人だけが感染しない病気なのだから、それなりの治療をすれば治るのだ。

 この病を治すには同じ病気の人同士でユニットを組むのが良い。ひとりでも自信満々の人を入れてはいけない。全員が同じ病気の者同士で合奏
をすると音楽が壊れるということを身をもって体験してもらうしかないのだ。

 そして、まず2人を組にして「追いかける人」と「逃げる人」に別れて演奏してもらう。追いかけるのがクセになっている人も、いざ「追いか
けろ」と言うと意識してしまう。さらに「決して追い越すな」と言うともっと意識してしまう。クセになっていた人は無意識にそうなっていたのだから意識すると今度はうまく追いかけられなくなったりする。

 次に「逃げる」人には「決して追いつかれるな」と言う。多くの場合、これで演奏してもらうと、どんどんテンポが早くなって加速して来る
が、これは人の音と自分の音を同時に聴く事と加速慣れを体験することになる。 これを色々な人の組み合わせでやったり、中にもう1人はさんで、「Aさんを 追いかけて決してこれを追い越してはならず、Bさんに追いつかれてはいけない」などの指示を出す。

 こういう練習をゲームのように続けると、いわゆる「追いかけグセ」の根底にある、ヒトよりちょっと後に音を出して安全圏に逃げ込んでしま
おう、という臆病心をすこしづつ克服していくことができる。

 実はこういう練習に、ほとんどオール・ユニゾンのアイリッシュ音楽は非常に適しているのだ。どの楽器の人も同じ土俵で音が出せるわけだ。
ギターなどの伴奏楽器もアイリッシュでは基本的には単純なコードを使いコード・チェンジも少ないから容易に同じ練習に参加できる。アイリッシュ音楽ほ どビート概念の把握に適した音楽はないのではないかと日頃から訴えている所以はここあるのだ。

 一般に、ビート音楽というと黒人音楽を思い浮かべがちだし、確かに黒人音楽は突出してビートを強調するので聴く分には非常に分かりやすい
のだが、演奏する立場ではそれぞれの楽器にかなり合理的な分業の概念が成立しているから、各楽器が一斉にせえの!で同じ練習をすることはなかなか難しい。

 合奏の肝は「シンクロ」である。お互いの時間を「シンクロ」させたり「シンクロ」させなかったりする妙が無ければ合奏という表現形態の意
味は色あせる。そして、この「シンクロ」を支えるのが「ビート」感である。

 時に、テクニシャンばかりが集まったセッションがまったくバラバラのとんでもない音を出すことがある。ひとりひとりがテクニシャンでも
「ビート」感を共有する事ナシに「シンクロ」の妙は産まれない。

 この際、あらゆるジャンルの演奏家はアイリッシュ音楽を練習するべきであると本気で思う。

<すざき・かずひこ:Irish pub field のおやじ・アイ研練習会は副作用はいたずらにジャズに興味を持たせてしまうことか・・・・>

                 *****

 

2008年1月

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■ field どたばたセッションの現場から

■ バンソーズの実現
■                          field 洲崎一彦
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 今回は、年初め恒例の「昨年の音楽ベスト体験」だ。

 昨年は年末に多くの音楽的刺激が集中した。デイル・ラスの3週連続ワークショップはフィドラーではない私が見学していても目からウロコの連続だった。続くTREADのセッションは前号に書いたとおりの大収穫だった。しかし、もうひとつ、その後に個人的にとんでもない刺激的体験が待っていたのだった。

 前々号の編集後記で私は「今年は自分の音楽活動がほとんど出来なかった」とボヤいていたのだが、この体験でそんなボヤきも一気に吹き飛んでしまった。それはクリスマス・イヴの夜に、とあるパブでのアイリッシュ・ライブに私が飛び入り参加した事件である。

 まずもって、field という自分のパブが出来て以来、なんとなく周りにも気を遣わせてしまっていたのだろう、私はよそのお店のライブやセッションに参加させていただく機会が全くと言っていいほど無かった。故に、故に、今回はそういう新鮮さもひとつの補助線ではある。が、なんと言っても事件は赤澤淳
氏との初共演だった。

 赤澤淳氏。もはや説明は不用だろうが、日本におけるアイリッシュ・ミュージック演奏家の草分け的存在であり、そのブズーキとフィドルの腕前は間違いなく日本一、いや世界のトップレベルだと言い切っても恐らく誰も異議を唱えないだろう。特にブズーキは奏者自体の絶対数がそんなに多くはないという事も手伝って、ブズーキと言えば kyoto の Akazawa というのはアイルランドでも普通にウワサされているらしい。そんな人が京都にいた現実。

 幸か不幸か、同じ京都で私もブズーキを演奏するが、赤澤氏にはいつも打ちのめされている。氏の演奏を聴く度に自分でわざわざブズーキを演奏するのがバカらしくなったものだ。

 そんな大きな存在である赤澤氏から昨年初頭に何とも魅力的なお声をかけていただいたのだった。それは、氏が新しくマンドーラ(マンドリンがバイオリンだとすればビオラにあたる楽器、つまりアイリッシュ・ブズーキと同じ構造で2まわりほど小型の楽器)を手に入れたのでブズーキとマンドーラで複弦8弦楽器2台の伴奏アンサンブルをやってみませんか、というものだった。

 これはすごいことになった! 私は雲にも登る気持ちでふたつ返事で賛同したものの、私もその頃は少々忙しく、赤澤氏も次から次へと新しい演奏のプロジェクトが折り重なって、いつしか時折顔を会わせる毎に、ああ、あの話はまだ生きてますよね? とか、まあ、ゆっくりじっくり行きましょう、とか何というか、お決まり挨拶状態になってしまっていたのだった。

 クリスマスのとあるパブのライブを担当するそのグループは、赤澤淳:ブズーキ、吉田文夫:ボタンアコというベテラン組に、熊本明夫:フルート、斎藤とも子:フィドルの若手を加えた適度に遊び心も通じるメンバーだったこともあり、ここに私がブズーキで参加して赤澤氏がマンドーラを抱える! アレをやっちゃおう!という風な「突然現実!」プランが持ち上がる。以前からこのダブル複弦伴奏隊構想に多大なる興味を抱いていただいていた吉田文夫氏も大いに盛り上がって、若いお2人にはあまりに突然降ってわいた雰囲気に戸惑を感じさせてしまったかもしれないのだが、オッサン達は一気に興奮状態に上り詰めて本番当日を迎えることになったのだった。

 こんな風だから、本当はお店での音響リハのみの予定だったのを、急遽、音響リハ3時間前に field STUDIO に集合!なんてことになって特別リハーサルが始まった。

 吉田氏と赤澤氏は伝説のアイリッシュ・バンド(今も続いているが)シ・フォークのメンバーであり、このお2人が組んだ時に出現するビート感は他では味わうことのできない格別のものなのだ。各々もすごいが2人が組むとそのプラスアルファ分がまたすごい。field でのリハーサルではこのサウンドに自分が乗れることに私は大興奮してしまった。

 共演者から確かなビートが出ている時のあの独特の感じ。絡み合うビートの隙間を狙う。はじかれる。入り込む。浮く。潜る・・・。

 「これだ!」

 自分が求めていたのはこの感じだ。気がつくと知らぬ間に顔がニヤけてしまっている。

 そして、ライブ本番。ステージが独特のレイアウトになっていて横幅が狭いため、後ろ3名前2名の縦に2段並ぶ雛壇方式、そして何とまあ、その最前列が私と赤澤氏。普通、フロントのメロディー楽器が最前列だろうと思うのだが何故かワタシら複弦楽器伴奏隊が最前列。

 本番が始まってさらに驚愕! 真横の赤澤氏のマンドーラはリハの時の100倍もの圧力で突き上げて来る。うしろからは吉田氏のボタンアコがその圧力にひねりを加えて跳ね返して来る。こちらは、もうまともに受けとめたら潰されそうになるのに耐えつつ、あっちから来たのをこっちに跳ね返しこっちから来たのをあっちに跳ね返し、スキを見て間隙に斬り込んでは素早く引く! まるで格闘技である。

 確かに、ワタシらおじさん3人組はヒイヒイ言いながら大いに楽しんでいるわけだが、聴いていただいていたお客さん、あるいは共演陣の若い2人はどうだったのか?

 これははっきり言って分からない。ライブとしてはとてもダメダメだったかもしれない。

 しかし、そんな一抹の不安も吹き飛ぶぐらい、赤澤、吉田両氏は1ステージ終わった後の楽屋ではまるで子供のような表情ではしゃいでいた。きっと私も同じようにはしゃいでたのだろうと思う。

 2ステージ目、突然、吉田氏はMCでこの名前もついていなかったグループのバンド名を告げた。

 「バンソーズ(伴奏)です!」

 吉田氏は普段はMCでこんな冗談を言う人ではないので驚いた。明らかに、ワタシラは悪ノリのオッサン3人組である。店内いたすべての人々の中でワタシラは完全に浮き上がっていたと思う。

 というわけで、私は2007年も押し詰まったクリスマスイヴにこんな体験をしたのだった。演奏することがこんなに楽しいことだったなんて! 随分長い間忘れていた(?)感覚をくっきりと思い出した最高の体験だった。

 赤澤氏、吉田氏、熊本君、とも子ちゃん、お店のオーナー白坂さんご夫妻、そして、あの場に居合わせたお客様のすべてに最大限の感謝をしたい。
 
<すざき・かずひこ:Irish pub field のおやじ・演奏者が楽しいこととそれを受け取る側のリスナーが楽しいことは果たして一致するのだろうか。あるいはそれが一致した稀な場合にのみ音楽が「商品」になるのかもしれないが。>

                 *****

 

 

 

 

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