2002年12月号

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■ fieldどたばたセッションの現場から 16

■ダーヴィッシュ襲来

■ field 洲崎一彦

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 今月のテーマは、「今年の、これだけは書いておきたいアイリッシュ・ ミュージック体験」という事なのだが、私個人的には先日12月10日にダー ヴィッシュ京都公演の打ち上げ会場として彼らを迎えたパブのおやじとして の体験が、これまさに「今年の、これだけは書いておきたいアイリッシュ・ ミュージック体験」そのものだし、前回の「ライブとセッションの微妙な関 係」〜「ライブとセッションは別 物?」の続編という側面も加味して12月号 を締めくくろうと思う。    

 ダーヴィッシュは、何を隠そう98年の暮れに私が初めてブズーキという楽 器を手にした時に、必死のパッチで(古いか?)でコピーしたバンドなのだっ た! 

 そのCDは《ライブ・イン・パルマ》だったが、初めて触る楽器だった ことに加え、何よりも彼らのチューニングが半音高いことに気がつかず「な んじゃ!この楽器は!?」と、チンプンカンプンなのを楽器のせいにして危 うくサジを投げかけた。  

 さすがにヴァイオリニストは絶対音感を持っている! 彼らの録音が半音 高い事を教えてくれたのは相棒のクヌギ君だった。というか、彼はダーヴィッ シュのサウンドに魅せられて、私よりも半年以上早くブズーキを入手してい たので、私の初めてのブズーキの先生は、認めたくないがこのクヌギ奴なの だ。というわけで、京都公演の会場だった磔磔ではクヌギ野郎はブズーキの マイケルの真ん前の最前列で腰振って踊り狂っていやがった!  

 とまあ、内輪話はこれぐらいにして、本題である。ダーヴィッシュのステー ジはライブCDやビデオから想像していたものとは少し様相が違っていた。非 常に緻密なアレンジを職人技でキッチリ演奏するメカニカルな技量 もさることながら、ヴォーカル&バウロンのキャシーのまるで指揮者のような身体の 動き!! 

 あの大きな横揺れはなんじゃ!! アイリッシュ・リールって縦 ノリちゃうのん?え? クヌギ君がブズーキのマイケル・ホルムズをさして  

 「あの、ぶっといリフの応酬はまるでマイケル・シェンカーやんけ!」

 と叫んだ如く、また、ギターのシェイマスは何かよく分からなかったが変則 的組み合わせの弦を張ったギターで超低音を支え、ブライアンのマンドラが もはや16ビート・カッティングか!と息を飲むほどの離れ業を見せる。方や マイケル・シェンカーなら、こちらはナイル・ロジャースと言えば大笑いか な。  

 そうなのです。前回の私の原稿を読んでいただいた方は記憶しておられる かもしれませんが、field のハロウィン・パーティーで私が組んだユニット。 若いギター野郎の問題発言を誘発し、リズムを合わせるだけでも四苦八苦し たあのユニットはギター、ブズーキ、マンドリンだった。ほぼ同じ3本リズ ム・セクションでこ奴らは縦ノリ横ノリを自由自在に操っておるではないか!  

 そして、視覚的にその中心に居るのはキャシーという紅一点の指揮者! 

 また、その指揮者は時折想像以上に倍音の多い、音程の良いユーミンのよう な歌声で場内の空気を完全に支配した。音楽会というより、ショウとして完 璧に完結している。アイリッシュ・ミュージックであることを忘れてしまう ほどだ。  

 ライブ終了後、そんな彼らがわが field にやってきた! アルタンを迎 えた時とも、ドーナル&アンディを迎えた時とも明らかに違ったのは、席に ついて飲み物もそろっていない内に、皆もう自分の楽器を楽器ケースから取 り出し始めたこと。ツアー最終日のステージがやっと終わった直後になんで スッとこういう動きになれるのだろう? ここで、私の脳裏をかすめたのは 先月から持ち越しているお題、「ライブとセッションの微妙な関係」〜「ラ イブとセッションは別物?」という問題だった。  

 ダーヴィッシュの field 訪問の詳細レポートは、field アイ研のホーム ページに譲るとして、ここでは彼らのセッションの楽しみ方を観察する。  

 とにかくいきなり彼らはセッションを始めた!! やはりチューニングは 半音高い!!  「うわ!ホンマに半音高いで!」 と感涙しながら自分のブズーキの糸巻きをキリキリ上げる。

 しばらくして、 楽器持ってる人はみんな一緒にセッションしようということになり、いつも のアイ研セッションメンバーが集まってくる。しか〜し、チューニングを変 えることができないフルートや微妙な調子の楽器を持っているフィドラーは 半音違いのチューニングに戸惑うばかり。

 そんな時、マンドラのブライアン が  「チューン・ダウンしよう!」 って言う。これにはちょっと驚いた。チューン・ダウンしたら、今度は彼ら のフルートとアコーディオンが演奏できなくなるじゃないか! 

 なんと言う サービス精神。いや、もしかしたらこれはサービス精神なんかじゃないぞ、 ととっさに思った。そこまでして、なるべく多くの人が参加できるような配 慮。これがそもそもセッションというものなのかもしれないではないか!  

 ダーヴィッシュとのセッションはそのまま約2時間近く続いたが、あの職 人技の応酬のような完璧な音楽エンターテイメントを見せつけられた直後の このセッションという時間。それは確かに音楽であって音楽でない。この音 楽は人と人とのコミュニケーションの潤滑剤。つまり、セッションというの は音楽演奏の場ではなく、人と人とのコミュニケーションの場なのではない か? 

 これこそがセッションの目的なのだ。きっとそうだ!  

 もちろん彼らに確かめたわけではない。確かめたわけではないけれど、す でに、そんなことを尋ねたら「あたりまえじゃないか」という答えが返って きそうな空気に満ちていた。少なくともこの夜の field には‥‥。

*ダーヴィッシュのチューニングがなぜ半音高いのか? どなたか教えてく ださい。

<洲崎一彦:大事なことを直接きくの忘れた大ボケのパブおやじ http://web.kyoto-inet.or.jp/people/minpochi/>

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2002年11月

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■ fieldどたばたセッションの現場から 15

■セッションとライヴの間

■ field 洲崎一彦

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 しばらく、field のセッション話題から脱線し続けていたので、ここいら で本来の話題に軌道修正します。この10月から11月にかけては、海外からの ゲストを交えてセッションする機会が2度もあったわけで、その様子も少し スケッチしながら「field セッションとはなんぞや?」というテーマに戻ろ うと思う。  

 自然発生的セッションの理想を求めて完全なオープン・セッションである が故に様々な矛盾をかかえながら存在する field セッション。そして、こ れらの矛盾は最近では「セッションそのものの無意味性」という先鋭な議論 まで誘発してしまったのだ。

 これを言い出したのは、とある若いギターの男。 彼は以前から時折 field セッションにやってきていたものの、アイリッシュ だけにのめりこむのでもなく、東欧ジプシー音楽や、その他の音楽に広く興 味のすそ野を拡大している奴。  

 先日のハロウィン仮装ライブパーティーの機会に、彼を誘って、ギター、 ブズーキ、マンドリンの撥音楽器3本だけのアイリッシュ・ユニットを作っ た時の事。数回リハーサルをしたのだが、アイリッシュといえばセッション しか経験のないギターの彼は、あらかじめチューンのセットを決めて、構成 やアレンジを考えてアンサンブルを作るという作業をアイリッシュ音楽で行 うことに当初かなりの戸惑いを示した。ただでも撥音楽器3本となると、リ ズムを合わせるのがとてもシビア。そして彼は言った。

「セッションでは誤魔化されてしまうことが、ここでは誤魔化しがきかない!  これは相当練習しなきゃいけませんよ!」  

 次のリハで、また彼は言った。

「どうしてもうまく行かない! セッション慣れし過ぎているせいかもしれ ない!」

 最後のリハでも彼はさらに言った。

「セッションって音楽的には非常に害があるのもじゃないですか? field のように初心者もどんどんセッションばかりしていたら、彼らは音楽的に終 わってしまいますよ。俺は今それに気が付いてギリギリ助かった気がします」  

 結局、彼が言うのはこういうことだ。セッションはある程度のその場の約 束事さえ察知すれば、なんとなく合わせてなんとなく終わってしまう。自分 の音がことさら聞かれている感じもしないし、自分も近くにいる人の音か、 大きな音を出す人の音をなんとなく聞いて合わせているだけだ。そして今ま でアイリッシュ音楽というのがこういうもんなんだと完全に誤解していた。 今回のユニットで、アイリッシュ音楽もまともに演奏する為にはやはり大変 な音楽なのだと初めて自覚した。  

 つまり、セッションは、音楽演奏が本来的に持つある種の厳しさを意識せ ずとも、状況によってはいとも簡単に音楽が成立してしまうという側面 を持っ ているのではないか?ということなのだ。特に楽器をやりはじめて間もない 初心者の人が、そういうセッションばかりに参加する事は明らかにマズイの ではないか?という問題提議である。もしこの仮説が正しければ、field の 完全オープン・セッションの意義は完膚無きまでに叩きのめされる。これは、 それほどまでに大きな問題提議ではないか!

 この頃、エニスのフィドラーであるパット・オコナー氏が field でライ ブを行い、ライブ後はそのままセッションになった。オコナー氏のフィドル はライブで聴く限り、そのリズムに独特のなまりを持っていて、即席共演者 のバウロン奏者とフルート奏者は結局最後までオコナー氏のフィドルのノリ に共に乗り切ることができないままだった。

 またこのオコナー氏のリズムの なまりは非常にイイ雰囲気を出していて、一緒に足を踏んでいると、独特の ドライブ感が身体の中にわき上がってくるような質のものなのだ。だから、 ライブが終わって、場がセッションになだれ込んだ時は、私は非常に興味津々 でブズーキを抱えてなるべく彼の近く、彼のななめ背後に陣取った。  

 が‥‥、いざ、セッションが始まってみると、彼のフィドルからは期待し ていた「なまり」が消え失せていたのだった。そこで彼のフィドルから出て きた音は、まわりの音に身を寄せて、軽やかに流れる非常にリラックスした ものだった。この人にとって、ライブとセッションでは明らかに演奏態度が 異なっているのだ。もっと、言うと、楽しみ方を明確に分けている。本人に 確かめたわけでは無いが、音からの判断で私はこのように確信した。  

 11月に入って、今度はカナディアン・ケルト音楽の3人組がカナダからやっ て来た。この時も、ライブ、そしてセッション。カナディアン・ケルト音楽 は、私はあまり馴染みがなく、非常に興味深いライブとなった。ダンス・ チューンのリズムの取り方が明らかに普通のアイリッシュとは違っている。 視覚的、象徴的に言うと、たとえばリール。アイリッシュならば、片足で床 を蹴るか、足裏全体でドスンドスンと床に打ち下ろすように足踏みしながら 演奏する。これが、カナディアン流では、足のつま先とかかとを交互に床に ヒットさせてより細かくリズムを刻む。メロディー展開も少し明るめなので、 全体ではまったく雰囲気の違ったものになるのだ。これは本当に興味深かっ た。カナダから出現したアシュレイ・マックアイザックが「踊るフィドラー」 だったのも自然にうなずけるというものだ。  

 セッションになると、みんなの知っているのはポピュラーなアイリッシュ・ チューンなので当然なのかもしれないが、フィドルのデイビッド・パパジア ンもアコのシルビアン・ロンドウもライブで見せたようなノリを全く出さな い。それよりも、セッション参加者の出す音を注意深く聴いて、むしろ、自 らをそれに溶け込ませようとしているかのようだ。これは決して「ただ合わ せてあげてます」という感じではなくて、ライブとは全く別の楽器演奏の楽 しみ方をしているとしか思えない変化なのだ。  

 アイ研まわりのとあるギターの若い衆。エニスの頑固そうなフィドラー。 カナダの素朴で明るいミュージシャン達。時を違えず、彼らが field にも たらした刺激は非常に面白いポイントにスコッとはまる出来事だった。

 つま り「セッションはセッション、ライブはライブ」という整理整頓をどうする か?という新しいテーマが、field に投げかけられたと言えるからだ。‥‥

  ‥また、いろいろ考えなきゃいけませんね。

<洲崎一彦:京都のIrish PUB field のおやじ http://web.kyoto-inet.or.jp/people/minpochi/>

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2002年10月

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■ fieldどたばたセッションの現場から 15

■  「今この場に居合わせない奴は可哀相だ」

■ field 洲崎一彦

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 ヤン・フォンシュ・ケメネさん来日! ケメネールさんという表記が本当 らしいのですが、私らもっぱら「ケメネさん、ケメネさん」と勝手に呼んで ましたのでケメネさんで行きます。  

 誰やそれ?という方も多いと思います。私も実はそのクチでした。西フラ ンス、ケルト圏ブルターニュの古い言語と音楽の研究者にして偉大なシンガー で、今回は日本ケルト学者会議のために来日されました。そしてこの日は京 都・立命館大学での学会を前に field で交流会が開かれる事になったのです。

 私が認識していたのはこれだけだったので、まずはとりあえず field のセッ ション席側のエリアを全部予約席にして、一応マイクを2本セッティングし て待つことにしました。どんなお客様が何人ぐらいでおいでになるか皆目見 当もつかない少し不安な気分でした。  

 平日で、まだヒマな時間帯の午後7時半ごろ、ひょっこっとスキンヘッド の割には地味で小柄な外国人がやってきました。あ、ケメネさんだ! ここ はニコニコ握手、握手。

 彼は背中からリュックを降ろすとすぐにマイクの前 に座り、何やらしきりに指示を出してきます。自分の足下を指さして、どう やらもう1本のマイクで靴音を録れという注文だったようで、すぐさまその ようにマイクをセッティングしました。そして、PAの電源を入れるか入れな いかの内にもうマイクに向かって声を出しているのです。いきなりのPAチェッ クに戸惑いつつも、トーンの具合やエコーを調節し、床に向けた靴音マイク がハウリングしないようにギリギリの調整を冷や汗垂らしてやってると、調 整はOKだからちょっと歌ってみるとの事です。  

 瞬間!  店内にいた数名のお客さんと field のスタッフは全員ケメネさんに釘付 け状態。息をするのも忘れるほどの圧倒。日本で歌うのはこれが初めてだ、 と言う彼の声がまさに初めて日本の空気を震わせた瞬間です。この空気は field の床を、壁を、天井を震わせてそこに居合わせた人間の心の奥の方を ダイレクトに直撃しました。  

 交流会の予定時刻を過ぎてもあまりたくさんの人が集まってきません。関 係ない普通 の飲み客がだんだん中央の席を埋めて行く中で、じゃあそろそろ やりましょうか!と、突然ケメネさんソロ・ステージの本番が始まりました。

 私はようやく「これはライブだと考えていいんだな」と判断し、夏の Irish Disco Party 時に仕込んだ色照明をONにし、モニターシステムで店内2箇所 のTVにステージの光景を映し出すことにしました。  

 赤と青の照明に浮かび上がった彼の上半身は両肩が波のようにうねり、床 を打つ靴のステップ音と深い歌声が店内に響き渡ります。決してPAのボリュー ムはそんなに上げていないのに、つまり、単に音が大きいというのではなく、 店内が彼の声とステップに共鳴するのです。飲み騒ぐ体勢だった一般 のお客 さん達の私語が少しづつ小さくなり、1曲終わった所で店中からどわっと拍 手がわき起こります。  

 私は自分の店でのライブでこんな光景に初めて接しました。これは、もう、 この音楽が好きだ嫌いだの次元ではありません。ジャンルがどうのケメネさ んがどんな経歴の人間なのか等まったく関係ありません。このケメネさんと いうひとりのオッサンが全身から発するモノがとにかく圧倒的なのです。こ のように、2〜3曲やって休憩歓談というペースでゆっくり時間は過ぎて行 きました。  

 ここに、field セッション常連の若いフルート吹きとホイッスル吹きがやっ てきました。フルート吹きの方は常々ブルターニュの音楽に興味を持ってい る男です。もともとケメネさんの歌う歌は2人の掛け合いで歌うスタイルら しく、1フレーズの語尾を重ねて次の人が歌うのが普通なのでひとりでは息 が続かない、ということで、彼はその場でこのフルート吹きとホイッスル吹 きに口伝えでメロディーを教え始めました。

 奴らがヨタヨタながらも一応の メロディーを覚えた所でもう1本マイクを立ててステージ。突然、歌と笛の 掛け合いが始まります。すべてが彼の魔法にかかったように進んで行くので す。  

 夜も更けて、店内も飲み客でほぼ満席に埋め尽くされてからは、彼は恐ら く紳士的抑制でもってもうマイクの前には立たず、ステージ前の席でウイス キーを片手にくつろぎながら、取り巻く私たちの質問に丁寧に答え、踊りの 話題になれば、自ら立ち上がってステップを踏んで見せてくれる。そして、 さらにまだ色々な歌を歌ってくれます。

 アイリッシュ・ソングまで披露して くれました。私たち1人1人の目を順番にじっと見据えながら歌われるこの 濃密な空気。本当に息ができなくなるような震えが心の奥に飛び込んで来ま す。実際に涙を流してしまった人もいました。

 最後の方では笛男2名が誘わ れ、猛烈な掛け合いのうねるようなリズムに私ももう我慢出来なくなって勝 手にブズーキに手を伸ばして参加してしまいました。通訳の方と外国人のお 客さんが3人で肩を組んで踊り始めます。  

 こ・こ・これこそがセッションだあ?!  

 残念なのは、普段 field セッションに出入りしている連中がこの日あま り顔を見せなかった事ですね。せっかく field に縁があるのに、この瞬間 に居合わせないなんて!何ともったいない事か! 

 それとは逆に、偶然居合 わせた飲み客の方々は、あれはいったい誰だったんだろう?と長くウワサに する事だと思います。  

 なんだか、しばし、忘れかけていた「本当に感動する」という感覚を呼び 起こされたような夜でした。今思い出しても夢の話を語っているような気分 で現実感が希薄です。  

 このような機会を与えていただいた永井道子さん、大城洋子さん、そして 何よりもヤン・フォンシュ・ケメネさんに深く感謝します。

<洲崎一彦:京都のIrish PUB field のおやじ http://web.kyoto-inet.or.jp/people/minpochi/>

 

 

2002年9月

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■ fieldどたばたセッションの現場から 14

■アルタンに会えなかったの記

■ field 洲崎一彦

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 アルタン来日!!! 東京のアルタン祭りはおろか、大阪公演にも行けな かったのだ!2年ぶりのアルタンだったのに! 実はここだけの話マレード さんはわがfieldアイルランド音楽研究会の名誉顧問の先生なのだよん。ご 本人はそんなこととっくに忘れてらっしゃると思うけど、彼らが初めて fieldに立ち寄ってくれてから約1ヶ月後に、fieldアイ研の名物ぶちょー氏 が意を決して単身ドニゴールに乗り込んでいってマレードさんを探しまわっ て遂に遭遇! アイ研の会員バッジを彼女に手渡して来たのだった(このレ ポートはアイ研のHPに詳しいです)。  

 と、いうことで、本当はせめて大阪公演には何を置いても駆けつけなくて はならなかったのだ。名誉顧問の先生が2年ぷりに来日してコンサートをし ているというのに!! この不届きもの!(私の事ですが)  

 アルタンの大阪公演が行われた河内長野市というのは大阪のほぼ南端に位置していて、行けない距離ではないのだが、京都からはちょっと遠い。何の 言い訳にもならないけれど、この微妙な距離感に負けてしまった。

 おまけに 前日は滋賀県の北に位置するキャンプ場で恒例の「アイリッシュ・キャンプ」 が行われていて、そこでわいわい遊んでいたというのもある。私はキャンプ では泊まらずに深夜に京都まで戻り土曜の夜は朝5時まで営業している field の仕事に戻ったわけだ。そう、ただ体力不足というだけの事ですね。 情けない限りです。  

 で、アルタンは観ることができなかったので、私のこのコーナーのお題が 一応「セッション」ということだから、その前日の「アイリッシュ・キャン プ」でのセッションについて少しだけレポートしようと思います。  

 まず! ここで声を大にして皆様ご報告しておかねばならない事がある。 fieldのセッションも時々聴きに来てくださるんですが、とんがりやまさん! あなたですよあなた! マンドリンを抱えてキャンプのセッションの隅の方 に居るの、とんがりやまさんじゃあありませんか! マンドリンできるんじゃ ないですか! fieldのセッションにも楽器持って来て参加してください よ!! 「これ内緒にしてね」なんて言ったって・・・・・私が黙ってるわ けないのだ(笑)。  

 てな、感じで、キャンプのセッションはキャンプ場の屋根付き壁ナシの広 い談話場のような所で行われたのですが、何せ人数も多いし、ひとつのセッ ションとはならず、コーナーコーナーで別の曲をやっているような状況なん ですね。あちらこちらで楽器の教え合いをしている人がいたり、黙々とひと りでチューンを練習する人がいたり、入れるグループ(知ってるチューンを やっている集団)を求めてウロウロしている人がいたり、そんな空間なので す。

 一昨年、私が初めて参加した時はこういう雰囲気も知らず、一緒に引き 連れて行ったアイ研の若い衆とともに、勝手にガンガン弾きまくっては周囲 のひんしゅくを買っていたわけですが、今年は私たちも少しは大人になって (というよりも、アイ研からの参加者が少なかったというだけですが)、ま わりの雰囲気をよく見極めた上でセッション参加してきましたよ(ちょっと 怪しいけど)。

 一昨年と比べると心なしか全体の参加人数が少なくなったよ うにも思われましたし、若い人たちが多かったような気もしましたね。私や クヌギ君はもはや完全におっさん部隊なわけでして、あんまりいつものよう にシッチャカメッチャカ高速チューン大会なんてやるのも格好悪いという雰 囲気でした。

 「何が本当のセッションか?」というのは、このコーナーのひとつのテー マでもあるわけですが、「その時」「そこに集まる人間」によってどんな風 にでもなり、どんな風にでも楽しめるのがセッションなんでしょうね。久し ぶりに店を離れてやるセッションでしみじみそんな事を感じた次第でありま す。  

 後日、なんと!東京のアルタン祭りの打ち上げセッションに交じって来た クヌギ君(何やらうまいことしたんでしょうな)から聞いた所によると、

 「確かに彼らは凄かった! でも、みんなとんでもない酔っぱらいだった!」

 ということですから、大御所たちにしてみてもセッションって大いなる遊び なんでしょうね。あ〜あ、それにしてもクヌギの奴うまいことやったよ な・・・(ただのやっかみですが)。

<洲崎一彦:京都のIrish PUB field のおやじ http://web.kyoto-inet.or.jp/people/minpochi/>

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2002年8月

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■ fieldどたばたセッションの現場から 13

■掲示板論争

■ field 洲崎一彦

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 時は7月13日土曜日でありました。京都の7月といえば祇園祭というわけ で、field のある四条烏丸界隈は山鉾の立ち並ぶ町並みのちょうど東の端あ たりにあって、有名な長刀鉾(なぎなたぼこ)が建っているまさに真裏に、 field は位置しているのであります。山鉾巡行が17日、その大前夜祭で辺り 一面 夜間ホコ天となる宵山が16日ということで、13日はこの宵山を控えた土 曜日にあたったわけです。鉾や山はそこらここらにもう建っているし、観光 客の姿もめだつそんな土曜の夜でした。  

 また、この日は、field のセッションによく出入りしているHクンのアイ リッシュ・バンドが洛東の名刹法然院で自主コンサートを開いておりました。 まあ、いつもセッションにやってくる連中のほとんどがこれに駆けつけてい るだろうなという予想はあったものの、2〜3人は来るだろうとタカをくくっ ていた我が field の土曜日セッション。開始予定時間を30分以上オーバーし ているのに、誰もセッションしに来ない! 

 しょうがないなあ。法然院のコ ンサートが終わればたぶんそこから何人かが流れて来るだろうと勝手な期待 をして、私はやりかけの雑務をやっつけるために事務所に引っ込んでいたの ですが、10時をとっくに過ぎて事務所のドアをノックしたのはわがアイ研ぶ ちょーのイクシマ氏でした。  

「法然院が終わったからこっちへ来たけど、誰も来てないの〜?」 という声。

 こちらもちょっと時間を忘れていたので  

「ああ、もう10時を過ぎてるのか?しょうがないなあ」

 と、2人でフロアに出て行って客席を見回すがそれらしき人は全く来てない。 11 時までのセッション時間も残す所数十分しかないし、ぶちょーのギター と私のブズーキでデュオをしてもなあ〜

 ・・・別にムリしてやることはない か? と、この日のセッションは正式に中止されたのでありました。思えば、 ミュージシャンが来なくてセッションを中止したのは初めてのこと。初めてのことをこんなに簡単に決めるモノではありませんね。その後、私は field のこの完全フリーセッションというものの恐ろしさを痛感することになるの です。  

 2〜3日後の field アイ研掲示板にひとつの苦情が書き込まれました。

<13日にセッションを楽しみにして隣県の友人を誘って field に来てみたら、 待てど暮らせどセッションは始まらず、店員にたずねても「いつ始まるのか 分からない」と言われ、隣県の友人の最終電車の都合でそのまま帰らざるを 得なかった!!>  

 私は、愕然としました。あの時のお客さんの中にそんな思いでセッション を待ってた方が現実に居たのだ! そして、彼はそれに憤りを感じ大きく失 望してお帰りになった! 

<HPでセッション日を公表している以上、やってない、というのは無責任で はないか!>  

 まさに、そのとおり。反論の余地はない。私は同じ掲示板上でやんわりと お詫びのメッセージを書き込んだ。でも、事はこれでは終わらなかった。こ の話題がきっかけとなり、わがHPの掲示板は色々な方々がくんずほぐれつの 大論争の場と化してしまった。記名もあれば匿名もありで、中にはまったく 不毛な書き込みもなくはなかったが、誹謗中傷ととれなくもないモノも含め てHP管理者としての私は一切の書き込みを削除しなかった。こと、field の 完全フリーセッションに対して、こんなにも様々な意見があるのだという事 実を非常に面白いと思ったからだ。

 けっきょく、このフリーセッションとい うものが一般に判りやすいものではないという証拠じゃないか、そう思った。 内部矛盾をいっぱい抱えながらも走り続けて来たこのセッションが、文字通り矛盾に満ちた存在であることが証明されたようなものである。  

 一方、少しの間、話題にしなかったが、例の「T君達のセッション」であ る。

 「T君達のセッション」は地道に固定ファンを獲得し、最近では確実に 独立した雰囲気を作り出す事に成功している。正直言ってちょっと悔しくも あるが、これは事実だ。

 この時の掲示板バトルに、T君の相棒が書き込みを していて「私達の木曜日のセッションでは決してそんな思いをさせません」 などと豪語されてしまった。

 ああ、field 完全フリーセッション風前の灯火 か!  

 さて、結局戻ってくるこの矛盾点。  

「お客さんのためのセッションか?」  「自分のためのセッションか?」 という問題。

 いかに「自分のためのセッション」だったとしても、期待して 来た人であれ知らずに来た人であれ、私達の演奏は否応なしにこれらのお客 さんの耳に突き刺さる。

 いい演奏の時もある、悪い演奏の時もある、ドタバ タで大騒ぎの時もある、そして誰も来ない時もある。これを、お客さんの立 場で見れば、偶然面白い音楽が聴けた時もある、とんでもない騒音を聴かさ れた時もある、ただ楽器を持って騒いでいる連中が居た雑然とした店だった、 ウワサを聞いてセッションを聴きに来たが何もやってなかった、という事に なるのだ。  

 品質が保てない、という面ではこれは商品としては大失格。パブの経営者 としては即刻改善策を講じなければならない。

 音を発する側の立場としても、 一歩間違えば暴力をまき散らす危険性のあるシステムなのだから、これも問 題だらけ。

 では?  field の完全フリーセッションの意義はどこにあるのか? 

 と、それ以来、 私はまた悶々と悩める日々を送っているのであります。  本当に色々と考えさせられる具体的なきっかけとなる出来事だった。

 ペン ネーム「ア太郎」さんには、この場を借りて深く感謝します。

<洲崎一彦:京都のIrish PUB field のおやじ>

 

 

2002年7月

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■ fieldどたばたセッションの現場から 12

■ワールド・カップ襲来!

■ field 洲崎一彦

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 最近、ずっとセッションの話題から脱線し、何かしら大げさな話題が続い ていたので、今回はちょっと休憩という感じで、本来のセッション話です。 というか、「ワールドカップとセッション」というようなテーマになります か。  

 さて、告白すると、私はパブのおやじながら、普段からサッカーはあんま り詳しくないし、ワールドカップというものを全くといっていいほどちゃん と認識していなかった!  

「日本での開幕戦がアイルランド戦? ふーん」  

 てなもんだった。

 よそのパブでは、整理券まで出して「さあ!みんなでア イルランドを応援しよう!」イベントをやってるなんてことも知らず、3時 半キックオフのアイルランド戦の存在は知りつつも、いつものように5時に 店を開けた。ん?なぜかいつもより外国人、それも観光客風が多いなあ・・。 とか何とか言いつつ店内TVでは一応ワールドカップを流した。ご丁寧に音声 は消して、BGMはいつも通 りのアイリッシュ・ミュージック。  

 そうやって何日か過ぎた頃、とある日曜日の日本戦にあわせて、営業して いるか?という問い合わせ電話がバンバン鳴りだしたのだった。え、世間は そんな具合になってるの?って初めてあわててワールドカップ体制に頭を切 り換えたのだった。細長い店内に1台だったTVを一挙に4台に増やして、TV が見えない席がないようにした。外国人客の多い時はスカパーの音声設定を 英語放送にした。

 にわかに勉強して対戦表を貼り出したり、午後のキックオ フがある時は3時開店にして、定休日の日曜日も開けた。開幕から2週目ぐ らいで、やっと、わがパブも世間に追いついたかのような観があった。  

 で、問題のセッションである。最近fieldはセッションは週に3回もあり、 これが午後9時からだから、ワールドカップの夜の試合8時半キックオフと まともにぷつかるのだ。いつものセッション席には 臨時TVを設置したので 常に誰かが観戦してる。また、セッションしに来る人々は往々にしてあまり サッカーに興味がない。おまけに、はじめからワールドカップじゃなくて、 セッション目当てのお客さんも少数だがおいでになる。その場になって「今 日はセッション中止」とも言えない空気なのだ。それで、集まったセッショ ン・メンバーには、まずは、奥のギャラリールームに待機してもらって(こ の部屋にもTVが設置されたのだが)他のお客さんのようすを見ながら音を出 しましょう、ということにした。

 というのは、ある夜のこと、奥の部屋から 聞こえてくる楽器の音を、音楽と間違えて、カウンターでイングランド戦を 観戦していた外国人のお客さんが「あの、音楽を消してくれ」とクレームを つけて来たりしたこともあったからだ。  

 そして、あれは、韓国vsイタリア戦の夜だった。TV観戦のお客さんもそれ ほど多くなく、奥の部屋にはセッション陣しかいなかったので、時間通 りに セッションを開始した。時々、TVを指さして「あ!トッティ!」と声を上げ る奴もいれば、「誰それ?」という奴もいる。演奏しながらも横目でTVをに らんでいる奴もいれば、目をつぷって演奏に没頭している奴もいるという何 とも雰囲気の定まらないセッションなのだった。  

 一方、この 韓国vsイタリア戦は0-1のまま緊張感のある試合を繰り広げて いたが、後半終了間近に韓国が1点入れて同点に追いついた! 

 気がつくと、 この時はみんな楽器を持つ手を止めて、TVに釘付け状態。そして、試合は後 半戦が終わり1-1の同点のまま延長戦が行われるというではないか。

 よっ しゃ、11時にはちょっと早いけど、この間にラストチューンをしよう!とい うことになって、バタバタとチューンを回す。いつもより早いセッション終 了で、正真正銘サッカーにまるで興味のない2〜3人を残して、あとは、思 い思いのTVの見やすい席へと散って行ってしまったのだった。  さて、このお話をみなさんどのように見るだろうか?  

 「そこまでして、セッションしなくてもいいんじゃない?」  という意見もあれば、  

「一応セッションを聴きに来たお客さんも居たのなら、もっとまじめにし なきゃ」  という意見もあるだろう。

また、「店側の方針をもっとキチンとすべきだ」  というような意見もあるかもしれない。

 ただ、そういう厳しいご意見に対 する言い訳になるのかもしれないのだが、このワールドカップ期間中の一連 のドタバタ・セッションで私が強く感じたのは、実は、われわれのセッショ ンのいい加減さがかもし出すえも言えぬ 心地よさだったのだ。ワールドカッ プという空気の非日常感が対比となって、われわれにとってセッションがな んと当たり前に日常的なものであったかを思い知らされたのだ。  

 もちろん、セッションで演奏される音楽の質や、セッションが中心となっ たパブ全体の空気を支配する盛り上がりというのは重要な問題だ。だが、こ ういう場が、日常あたりまえの場になっている現実も、数年前の自分自身や 店の環境を思うにつれ、これはもの凄い事実ではないかと思うわけなのだっ た。  

 すんません。今回はちょっと自賛風にまとまってしまいました。

<洲崎一彦:京都のIrish PUB field のおやじ

 

 

2002年6月

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■ fieldどたばたセッションの現場から 11

■オヤジ、表現を実践する。

■ field 洲崎一彦

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 前回、「音を発する行為。これで自己表現をするという音楽演奏という行為。 結局、音楽とは何ぞや?」という何やら大きな問題提起だけしてオチも何もな く終わってしまったわけで、非常に中途半端なモノを書いてしまいましたが、 さっそく「あんなこと書かなければよかった・・」という事態に遭遇する羽目 になったのでありました。  

 5月23日木曜日の事であります。ダブリンから、デジンベというパーカッシ ョンを多用したアイリッシュ・バンドの中心メンバーである、ブライアン・フ レミング(バウロン、ジャンベ)とポーリック・ラヴィン(パイプス)が京都 にやってきたのです。なんでも、韓国でのワールドカップ関連イベント「世界 パーカッション・フェスティバル」にブライアンが呼ばれていたので、ついで に日本でデジンベのプロモーション代わりにライブでもやろうぜ!というノリ だったかどうか? まあ、そんな感じでしょう。  

 で、京都のライブ会場は例の磔磔だった。なぜ、例の、だというと、これま で京都にやってきたアイリッシュ・ミュージシャンのほとんどが、(といって も私の記憶ではクラン、アルタン、ドーナル&アンディぐらいだけれど)この 老舗ライブハウス磔磔でライブをおこなっているのだ。だが、デジンベと言っ ても日本では全く無名と言ってもいいし、磔磔側のアドバイスもあったりして、 fieldアイ研で前座のバンドを出すことになった。

 そして、これが、なんと、 まあ、日程の関係とか色々事情が重なって、私がフィドルのクヌギ君とやって いるデュオに白羽の矢が立ってしまった。  

 もっとも、本場のアイリッシュ・ミュージシャンの前座でアイリッシュ・ミ ュージックの演奏が出来るなんて! 素人の私にはもちろん初めての経験だし、 こんな光栄なことはない。それも、過去に客席から声援を送ったクランやアル タンやドーナル&アンディ、彼らの立っていた同じ舞台でアイリッシュを演奏 できるわけだから私など本当にビビってしまう。相棒のクヌギ君は、まあ、彼 はプロみたいなもんで、アイリッシュに限らず場数を踏んでいる奴だから、少 しも動ぜず、という感じなのだが、私などは、当日が近づくにつれ緊張でまさ に胃が痛くなる思いだった。  

 そんな時、このクランコラにあんな事を書いてしまっていた事を思い出して しまったわけです。  

 何やとお! 

「自分の表現を外へ発するって行為というのは、もう少し必死 というか何というか、真摯な緊張感を伴って当然ではないか!」

「音を発する という行為は <中略> 一歩閑違えれば暴力なのだ」(『クラン・コラ』前 号の私の拙文より)・・・・・。

 誰や! こんな無責任な事を言うたのは!  あかんあかん! これは、いけませんよ。光栄だとか緊張だとかの話じゃご ざいません。私しゃ、どの面下げて磔磔の舞台に上がれましょうや! 

 おまけ に、この、クヌギ君とのデュオでは、一応私がMCをして1曲か2曲歌まで歌うの が通常のプログラムという事になっている。これはエライことですよ。急病に なるか事故に遭うぐらいのことがなければ助かる道がありませんがな!  

 とか何とかのたうち回って、全く覚悟も決まらないまま、当日がやってまい りました。はい。3時リハ入り。ブズーキかついで自転車で到着。ブライアン とポーリックには初めましてナイストゥーミーチュー。ブライアンは陽気な小 男でこわばっていたであろう私の表情を察してリラックスさせようとしてくれ る。ポーリックはたぶん普段はナイーブでシャイな奴なんやろうが、結構ムリ して話しかけて来てくれたりしているのが分かる。

「あ〜、こいつらエエ奴な んや」と思うとよけいダメダメ、クラクラ〜となってしまう。  

 彼らのリハを見学する。こりゃあパーカション&パイプスという事でイメー ジしていたサウンドではないぞ! 

 どちらかというと荒々しいノリノリの音だ と思っていたのだが、2人とも非常に丁寧に正確に音を紡いで行くといったタ イプだ。こんなに確実な輪郭を出すイーリアン・パイプのサウンドをワシャ聴 いたことない。楽器の特性上ちょっと荒れ玉 も飛んで来るよ、というのがこの 楽器の魅力だと思っていたのに・・・絶句。サウンドは締まっているが、思っ ていたより派手じゃない。どちらかというと私たちのデュオは荒っぽいからキ ャラはかぶらないが、彼らの前座に適しているかどうかがはなはだ不安になっ てくる。

 そのうち、私はボーっと虚脱したような状態になってしまい、そのま ま今度は私たちのリハ。何をやったか、さっぱり覚えていない。そうして、こ の虚脱状態のまま本番を迎えることになったのでした。  

 ほぼ席の埋まった客席を前に、私の最初のMC第一声、

「ボクたちは、ブライアン&ポーリックではありません・・・・・・」  

 何言うてんねんワシは?! 客席にもわずかな失笑。ちゃんと笑ってくれた らまだ助かるのに・・・  

 演奏を進めて行き、何曲目だったか? ふと気がつくと客席の一部がざわつ いている。グループでおしゃべりに興じている人たちがいる。ぜんぜん舞台の 方を見ていない。一瞬、気が散ったが、ああ、この人たち全員がワシらのこと を聴いてるわけやないんや・・。と思うと、す〜っと気が楽になってきたので す。  

 そう。もはやお気づきの方もおられましょうが、前号で私が批判した若者の 発言

「ストリートの方が気楽でいいですよ」というあれ。

 これって、とっても 似てません?  理屈では拒否していた彼の肌感覚のようなものをなんと私が体験してしまっ ていたということになりそうですね。非常に複雑な心境でアリマス。  

 そんな前座舞台をやっとこさ終わって下りてきた私に、fieldアイ研の若い 衆が声をかけてきた。 「スザキさん、何かめちゃめちゃヤル気なさそうでしたよ!」・・・って。  

 ああ、誰も分かっちゃくれねえだ・・・。  (今月もセッション話題からはずれてしまいました。ごめんなさい)

<洲崎一彦:京都のIrish PUB field のおやじ

 

 

 

2002年5月

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■ fieldどたばたセッションの現場から 10

■若者よ、表現せよ!

■ field 洲崎一彦

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 さて、その後、「T君達のセッション」は毎週木曜日に滞りなく実施され、 4月のfieldは、火、木、土(27日はライブだったが)とほぼ週3回のセッ ションが定着した。予想通 りセッション参加者は分散し、ひとつひとつのセッ ション人数は心持ち少なくなったのは確かだが、それぞれのセッションの色 合いが少しずつ出始めているのではないかという期待感もふくらんでいる。

  従来のレギュラーセッションの核であった火曜日の少々ダラけたおちゃらけ た雰囲気は木曜日には見られないし、土曜日は土曜日で参加者が分散した代 わりに新しい人が入れ替わりやってくるといった所だ。まだ、それぞれに、 確固とした独自の特色を持って安定する域にまでは達していないが、その可 能性は充分にあり得ると見た。  

 フリーなオープン・セッションの形式を取る以上、その時々の参加者のキャ ラクターや演奏力にセッション全体の雰囲気が支配される部分はどうしよう もないわけだが、比較的固定メンバーが決まっていない土曜日などは、まだ まだセッション全体がその日その日のあらゆる偶然性に左右されることが多 いし、「T君達のセッション」はこの先なんとなくメンバーが固定化してい く雰囲気もあるので、もう少し様子を見てみようと思う。

 また、今年から、 月の初めの第一火曜日には、初心者対象の「セッション練習会」というもの も実施しているので、実際にはfieldは月に4種類のセッションの場を用意 しているわけだし、ユニットやバンドのライブ希望には「投げ銭制ライブ」 という言わば「自己責任による徹底的に自由」なライブの場を提供している。

 つまり、理屈では、あらゆる演奏欲求を持った人々に対して門戸を開放して いるという状態が実現しているはずなのだ。・・・そのはずなのだが・・・。  

 一般的なライブハウスのようにチケットノルマを課するわけでもなく、自 らお客さんを集めなくても普通 の飲み客が居るからガラーンとした会場で演 奏せねばいけないということもなく、必要最低限のPA装置や照明もあるし、 その上良い演奏には投げ銭が集まり、ライブ後にはお客さんも交えてセッショ ンだってしていい。

 どうよ?! こんなイイ所滅多にあるもんじゃないです よ。ライブやらせてくれ〜!という若い人達が殺到すると覚悟してたのに。 ああ、それなのに、それなのに。まわりの、特に若い人達は興味を示さない どころか、

 「これなら、ストリートで投げ銭もらってる方が気楽でイイッスよ」 なんて言うじゃありませんか!  

 「気楽?」何じゃ?そりゃあ?!・・・

「fieldライブも投げ銭だけれど、みんなじーっとこっちを見てじーっと聴 かれているから、キンチョーして構えてしまうんスよ」 「ストリートなら、みんな通り過ぎて行くだけだし、足を止めてくれるのは 本当に興味を持ってくれた人だけだから安心して演奏できるんスよ」 「fieldではセッションの方が気楽でイイッス」。  

 え〜、クランコラの読者の皆様。音楽を演奏する立場の人間ってこんなん でエエんですか?この若者の発言が理解できないワタクシはもう年寄りなの でしょうか? 何にしても、自分の表現を外へ発するって行為というのは、 もう少し必死というか何というか、真摯な緊張感を伴って当然ではないか!  なんて言うともう年寄りなんスか?  こいつら、いったい何のために楽器を演奏してるのか?

 そもそも音楽表 現とは何ぞや? ワタクシは自らも楽器を演奏する者として、悶々として考 え込まざるを得ないのです。楽器を演奏すること。それをヒトに聴いてもら うこと。  

 今の住宅事情の中で家で楽器の練習してるとすぐに隣近所から苦情が来る。 その時どんなに良い演奏をしていても隣近所の人達にはそれは騒音なのだ。 音を発するという行為はその音の質に関係なく時と場合によっては騒音に過 ぎない。一方的な力の働きかけという部分を強調すれば、これは一歩間違え れば暴力なのだ。選挙運動の街頭演説と右翼の街宣車。物理的にやってるこ とはまったく同じ。しかし、右翼の街宣車に対してはほとんどの人が一種の 暴力と感じている。ある意味でこれは非常に理不尽ではないのか?私が右翼 ならまずこの点に憤りを感じるね。  

 話が少しそれてしまった。とにかく、音を発する行為。これで自己表現を するという音楽演奏という行為。結局「音楽とは何ぞや?」という深淵なる 迷路に踏み込まざるを得ない今日この頃なのであります。悶々。  

 すんません。今回はセッションの話題から少しはずれて、ライブの愚痴に なってしまいました。オチも何もありませんでした。お許しあれ。 (以下次号)

<洲崎一彦:京都のIrish PUB field のおやじ

 

 

2002年4月

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■ fieldどたばたセッションの現場から 9

■ field 洲崎一彦

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 さて、今月も、「T君達のセッション」その後、を報告しようと思う。

 あれ から、彼らとも色々話し合う機会を持った。2月は通常セッションをおこなっ ていなかった曜日と、通常もセッションをおこなっている土曜日に振り分けて、 この新しい企画のセッションをセットしたが、彼らの要望では、「やはり曜日 を決めた方が定着すると思う」というものだった。それで、3月は隔週土曜日 にこのセッションをセッティングした。そして、結果はどうだったか?  

 私としてはまずまず良い感触だった。従来、ミュージシャンの集まりが不安 定になる傾向のあった土曜日セッションが久しぶりに活況を呈したし、演奏面でもあまりダラけず、締まったものになったように思ったからだ。でも、当の 彼らの感想は少し違った趣だった。

「やはり、通常のセッションをおこなっている曜日にやると、通常セッション の雰囲気を引きずった形になって、やりにくい」  

 これが、彼らの意見だった。んんんん・・・?。

 私としては、ますます彼ら の思い描いている新しいセッションのビジョンがわからなくなったのだが、そ れだけに、「いったい、何を目指しているのか?」と、非常に興味深いものを 感じてしまったのだった。そして、さらに協議の結果 、これまでセッションを やっていなかった平日の木曜日に毎週このセッションをセッティングしてしま おう、という結論を出した。  

 実は、現状のfieldパブ経営上、セッションは諸刃の剣に似た側面がある。 というのは、セッションという存在が、お客さんの利用状況によって、魅力要 素にもなれば、敬遠要素にもなるという、相互に矛盾した客層を抱えてしまっ ているからだ。それだけに、現状の毎週火曜日と土曜日というレギュラーセッ ション以外の曜日に、さらに毎週レギュラーのセッションを設定することがい かがなものか?という意見は店の内外から起こった。

 ミュージシャン側からも、 「これだけセッションが増えれば、集まるミュージシャンがバラけてしまって、 それぞれのセッションが充実しなくなるのではないか?」という危惧も出た。

 私も大いに悩んだが、ここは、このパブの原点に戻ろうと開き直ることにした。 このパブは元々セッションをやるために作った場所なのだ。ギネスと共に「音 楽」が売り物でなければならない。これは、2000年に店をアイリッシュ・パブ に変身させて丸2年、あの時の興奮も日常のパブ経営に流されながら少しずつ 色あせて来ていたのではないかという自己反省も含めての、ひとつの決意に似 た開き直りだ。決意は形で表明しなければならない。

 ちょうど、トラックに引 っかけられて壊れていた店の路上看板を修理しなければいけないという事情が あったので、この機に、従来は「field」という店名を入れていた看板面を 「Irish Music PUB」に変更した。あえて、路上看板から店名を排除した。  

 それに、fieldは「fieldアイルランド音楽研究会」なる、あまりにストレー トな名称故に「いかにも怪しい」サークルを作っていて、大した活動もせず非 常にだらけた雰囲気をかもし出しているが、これには、興味を持ち始めた若者 から見ると過度にマニアックに映るであろうこの世界の雰囲気の敷居をできる だけ低くしたいという思惑があったのだ。

 そして、実はfieldアイ研はホイッ スル教室やフィドル教室を主宰し、最近では、フルート教室を新設して、楽器 初心者を対象に「セッション練習会」なるものも始めた。これは何のためか?  

 カッコ良く言ってしまえば「後進の育成」ということにもなろうが、私自身 が初心者なのに、そんな大それた事を吠えるつもりは毛頭ない。  

 私たちがアイルランド音楽の演奏の真似事を始めたあの頃(1990年頃)の事 を思い出すにつれ、誰にも見向きもされなかった音楽が今は多くの人々の関心 を引いている、この現在の状況がとてつもなくありがたい事に思えるのだ。

 が、 これは、単に一過性のブームのお陰かもしれない。気がつくと、結局は私たち も年老いて、私たちのセッションも、顔ぶれが限られた老人達が集まって、誰 にも関心を持ってもらえない音楽をチマチマ演奏してはお決まりの猥談で笑っ ているような寂しく閉ざされた老人倶楽部になってしまうのではないか? 

 こ んな危機感を常に抱くわけである。こんな事態を迎えないためには、まだ人々 に少しでも関心を持たれているこの時期に、ひとりでも多くの若者を演奏者と して引っ張り込んでしまわなければならない。そうなのだ。Irish PUB field もfieldアイルランド音楽研究会も、告白してしまえば、そういう私のごく個 人的な孤独感回避のために生まれたものなのだ。  

 こうなったら何も迷う事はない。新しいセッションを主宰したいという若者 がいる、この事実を大きく受け止めるべきなのだ。セッションの回数が増えて、 それだけ人々がアイルランド音楽に接する機会が増える事に躊躇する理由など どこにもないではないか!   

 というわけで、この4月から、話題の「T君達のセッション」は毎週木曜日 の夜に行われることになった。そして、その初日、4/4木曜日。参加者約1名、 合計3名というナイスな滑り出しだったのだけれど・・・、彼らのヤル気は少 しも衰えない。

 こちらも「よっしゃ、来週も頑張ろう!」と、つい心の中でエ ールを送ってしまうのでありました。  (以下次号)

<洲崎一彦:京都のIrish PUB field のおやじ>

 

 

2002年3月

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■ fieldどたばたセッションの現場から 8

■ field 洲崎一彦

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 さて、今月は、先月ここで書かせてもらった「T君のセッション」があれ からどうなったか?を書かねば話の収まりがつかない所ですね。  実際には先月の原稿を書いてから「T君のセッション」は2回行われた。 試験的に、ということで、従来セッションをしていなかった曜日に1回。従 来も、ライブの無い日はセッションをしていた土曜日に1回。私もこの両方 のセッションに参加した。  

 さて、この2回のセッションは、いつものセッションと何が違っていたか? うーん。実は、私は参加していながら、ちょっとよくわからなかったのだ。 若干、参加者の顔ぶれが違ったかな?と思う程度。で、果 たして言い出しっ ぺの彼らの感想はどうだったか? 実は彼らも「何かちょっと思っていたの とイメージが違う」という感じだったらしいのだ。つまり、彼らも思い通り の事ができなかったというわけだ。彼らのイメージというものがどういうも のか、私にはわからない。わからないから興味を抱いて「よし、君らの言う セッションを見せてくれ」という気持ちがあった。でも、彼らは彼らで、た だ単に「自分たちが仕切りたい」という単純な欲求からではなく、やはり追 い求める何らかのビジョンがあるに違いないのだ。

 結論を先に言えば、今こ の段階では、彼らの新しいセッションに対してまだ何とも言えないという所。 もう少し彼らにつき合って見ようという気持ちなのである。  

 さて、特に土曜日に行われた彼らのセッションは、私個人的には非常に面白い部分があった。この彼らのセッションに関しては、通 常、fieldアイ研 のHP上で公開している「セッション日記」の方も彼らに任せていて、私自身 の発言の場がないので、ちょっとだけ、この日の私の観察をここに報告して おこうと思う。  

 土曜日は従来から、ライブやイベントが入らない日は「セッション日」で あった。だから、この日セッションにやって来た人は、この日が新しい企画 のセッションであることを知っている人と知らない人が入り混じっていた。 これが実際の空気にどういう影響を及ぼすか、という部分が、見ていて吹き 出しそうになるぐらい面白かった。  

 知っている人は皆一様になんとなく緊張しているのだ。何も知らずに来て いる人のまったく普通 の空気をよそに、それぞれが勝手に勝手な緊張感を持っ て臨んでいる。

 特に愉快だったのは、例のぶちょー氏。彼は通常はどちらか というとセッションを仕切る立場に居る(?)。その彼が、いささか緊張の面 もちで静かにギターを抱えて座っている。セッションの場でこんなにもまわ りに気配りを見せるぶちょーの姿は、それだけでもう妙な世界の出現でもあ るわけだ。そんなぶちょーの姿に触発されて更に緊張感を増した人も居たか もしれない。そうか、看板を変えるだけで、あの豪快なぶちょーでもここま で影響を受けるのか、と私はちょっとおかしくなった。

 また、何も知らずにやってきた人が、え? 今日は何か違うの? という 空気を感じ取る様も面 白かったし。最後まで何も気が付かない人の存在もま た面白かった。

 つまり、これは、普段のfieldのセッションが、いかに何も 約束事が無かったかという事を如実に表しているのではないか。そりゃあ、 無秩序にもなるし、だらけても来る。

 また 一方では、前にもここで書かせ てもらったように、fieldのセッションでは時としてミュージシャンの着席 順ひとつで空気が変わってしまう事もある。そういうデリケートな集まりで もある。そこへ、突如何らかの看板を掲げたのだから、それはもう大事件だ ろう。  

 結局、セッション、セッションと言っても何ら特別な事をしているわけで はないのではないか? いわば複数の人間が定期的に集まって遊んでいると いうことだ。時によって顔ぶれは違うけれど、これは、単純に人間関係の問 題なんじゃないか? 複数の人間がどうやって遊ぶか?という、ただそうい う人間関係の問題。

 私は、この土曜日のセッションで、ちょっと雰囲気の違 うまわりの空気を観察して、吹き出しそうになりながら、こんな風に考えて しまったのだ。  

 アイルランド人が集まって遊ぶのと、日本人が集まって遊ぶのと。その中 でどのように人間関係を結んでどのように楽しみどのように遊ぶのか。これっ て、そっくりそのまま、かの国と日本とで、全く同じというわけには行かな い問題なんじゃないか。確かに音楽には国境はない。ただ、セッションをす るという状況は、音楽をするというよりは、複数の人間が一同に会して遊ぶ、 という要素をより際立たせるのではないか。とまあ、この様に感じたのだっ た。  

 そういう意味でも、アイルランドでのセッションを色濃く体験してきた若 い2人が、何らかのビジョンを求めて新しいセッションを創りたいと考えて いる、この事自体が、fieldのドタバタセッションにとっては大きな刺激で もあるし、結果 がどうなろうと、非常に興味深い事態に思えるのだ。  

 さて、何と、セッションに国境があるのか無いのか? だって? これは なかなか大変なな問題になってきましたね。 (以下次号)

<洲崎一彦:京都のIrish PUB field のおやじ

 

 

 

2002年2月

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■ fieldどたばたセッションの現場から 7

■ field 洲崎一彦

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 さて、先月は特集記事だったので、fieldのドタバタセッション現場報告も 少し間が空いてしまったが、今年から少し新企画も導入することになり、ドタ バタはドタバタなりにfieldセッションはまだまだ頑張っております。  

 この私たちのセッションに最近新しくやってきた若者がいる。1年間ゴール ウェイに住み着いてパブセッションに通 ったりバスキングしたりして昨年末に 帰国したバウロン奏者のT君だ。彼は、私の中にセッションに対する様々な迷 いがあるのを察したのか、ゴールウェイでのパブセッションの体験を色々と話 してくれるのだ。  

 以前、私はここで『私はミュージシャンでもありパブの大将でもある。パブ 側という視点に立てば、セッションを「パブの商品」の1つとして認識しなけ ればならない面 を否定できない』と書いたが、彼の話を色々聞いていると、ま さにこの「パブの商品としてのセッション」という部分について思わず考え込 んでしまった。

 彼によれば、ゴールウェイのパブにおけるセッションは完全に パブの商品そのものである。もっとベタに言ってしまえば「良いセッションが パブの客寄せになる」。そして、彼はあくまでパブセッションを「そういうも の」として理解しているし、その視点のまま私たちのfieldセッションに飛び 込んで来たのだった。  

 一方、この連載の最初の方でも紹介したが、fieldセッションの始まりを思 い出してみる。fieldはもともとアイリッシュ・パブではなくてふつうのカフ ェギャラリーだった。そこである日突然アイリッシュ・ミュージックのセッシ ョンを始めた。まわりでおしゃべりしていたお客さんは「やかましい」と言っ て帰ってしまった。自分の店で自然にセッションをするにはどうすれば良いか ? 

 その答えのひとつが「店をアイリッシュ・パブに変えてしまう」という事 だったわけだ。ここでの「セッション」は客寄せどころかむしろ営業妨害とい うスタートラインである。fieldのセッションとゴールウェイのパブセッショ ンはまさに正反対の立場から出発していた!  

 おかげさまで、fieldをアイリッシュ・パブに模様替えしてからこの1月で 丸2周年を迎えた。私自身も、もうそろそろ「パブのおやじ」になりきって堂 々としていなければならないのだが、まだどこかあたふたとしている部分があ って、「パブの商品としてのセッション」という概念は理屈ではもちろん自然 に理解していたのだが、「それがあたりまえ」「それ以外のセッションなんて あるの?」というT君に接して、基本的な部分で「セッションが商品である」 と「ギネスが商品である」のは実感としてイコールで発想できていない自分に 気が付くのである。  

 そりゃゴールウェイという所は音楽がひとつの観光資源というような街だし、 今やアイリッシュ・ミュージックそのものがアイルランドという国の大きな観 光資源であることは間違いない。アイルランドでの都会のパブセッションの存 在自体がアイルランドの音楽産業を支える重要なファクターとして、恐らく音 楽産業そのものに組み込まれているのだろう。この日本とは社会環境が違うな んてことは百も承知だ。

 でも、「そんなもの純粋なセッションじゃない! 三 々五々ミュージシャンが集まって来て自然発生的に繰り広げられる酒場のセッ ション! これこそセッションの醍醐味じゃないか!」と、居直る元気も今の 私にはわき上がって来ないのだ。私が居直る場所は「自分がセッションをした い」。ただそれだけなのである。  

 T君の話はさらに続く。彼はつくづく勘の鋭い若者だ。私の居直り場所も察 知されてしまったのか? こんな事を言いだした。  「ゴールウェイで経験したパブセッションはだいたい、何曜日は誰々のセッ ション、何曜日は誰々のセッションというふうに、一定のミュージシャンの名 の下にセッションが存在するんですよ。そういうセッションのリーダーはセッ ションのすべてを取り仕切っているんです。固い所では、リーダー以外の人間 がチューンを始めてはならないとか、リーダーが了承しなければどんなに上手 いミュージシャンでも参加できないとか、そういう暗黙の約束を無視して割り 込んでくる無粋なミュージシャンはリーダーの判断ですぐに排除されてしまう こともあります。つまり、そのセッションの色はリーダーの色で100%決まっ てしまうのです。ところで、fieldセッションのリーダーはスザキさんなんで すか? ぶちょーさんなんですか?」  

 しかし、私が「セッションをしたい」と居直っているのは、別にこんな風な セッションのリーダーになろうとしているわけではないし、現にこんなセッシ ョンは考えてもみなかった。逆に、T君にしてみれば、パブにセッションがあ る以上、そこに店主自ら参加していたり、「ぶちょー」と呼ばれる人間が居た りすれば、「どっちかがリーダーなんだ」と思うのだろう。  

 そうなのだ。彼から聞こえてくるゴールウェイのパブセッションは、経済需 要に支えられたしっかりとした社会性を持ち、ミュージシャンの責任において 極めて合目的的にシステマティックに存在していた! 

 私が一種の夢と理想論 に居直ることができないのはこの臭いを嗅ぎ取ったためである。一方の堅固な 存在感に対して、われわれのセッションの吹けば飛ぶような脆弱さは何だ!  

 誤解のないように付け加えるが、T君はただ「そこを体験」してきただけで、 彼なりの夢と理想に燃える純粋な若者である。そして、彼は言った。  

「僕と僕の友人の2人で、ゴールウェイのようなリーダーシップを取るセッ ションをここでやらせてもらえませんか?」  

 この時、私の頭にとっさに浮かんだのは

「ゴールウェイと京都では、パブセ ッションの社会性と音楽環境があまりにも違うだろう?」というセリフだった。

 が、いや、このさいそんな事はどうでもいい。彼には彼の理想とビジョンがあ るのだ。じゃあ、一度君の言う所のセッションを見せてもらおうじゃないか! という気持ちが沸々と湧いてきた。  

 というわけで、従来のレギュラー・セッションとは別の日に、彼らのセッシ ョンをfieldでセッティングすることにしたのだ。

 この2月から、とりあえず は月に2回。  彼らが何を見せてくれるのか? ちょっと楽しみができましたね。 (以下次号)

<洲崎一彦:京都のIrish PUB field のおやじ

 

 

2002年1月

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■ 「2001年、個人的に印象深かったアイルランド音楽関係の事柄」

■ field 洲崎一彦

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 今回は新年号の特集で、「2001年、私のアイルランド音楽体験ベスト10」 という事なのだが、うううう。新譜もあまり聴いてないし、ライブにも通 っ てないし、これは困ったぞ。私のこれまでの連載の流れからいくと「2001年 私の体験したセッション、ベスト10」というセンで書けたらキレイなんやろ うが、これもなかなか難しい。去年はほぼfieldでのセッションしか参加し てないし、「fieldセッションのベスト」なんて言ってもきっと話が内輪ネ タのチマチマしたもんになってしまうのがオチ。  

 ということで、この際このお題を少し広義に解釈させていただいて、「2001年、個人的に印象深かったアイルランド音楽関係の事柄」というのでお許 しを。似たようなもんやないか、って?いえいえ、「個人的に」が重要なん ですよ。そう、ごく「個人的に」。  

 まず第1位!!もうこれは「個人的」には絶対コレしかない!年末に発売 された音楽之友社の『アイリッシュ・ミュージック・ディスク・ガイド』。 実際に本になったのを手にして実はヒヤヒヤ冷や汗もんの日々なのですが、 こういうきちんとした出版物に原稿を書いたのはワタシ生まれて初めて。

 プロの編集の方とこんなあんな打ち合わせっぽい事しただけでオシッコちびり そう。という所から始まって、いざ何を書く?自慢じゃございませんがワタ クシ、このクランコラ執筆チーム中、情報量 の無さでは最低最悪、不勉強極 まりない輩。自動的に有名ミュージシャンぐらいしか知らないわけでして、 他にお歴々の先生方が執筆されるのも知らず無鉄砲な挙に出てしまいました。 特にアルタンなんかAで始まるわけやから、章の一番最初に出て来るんです ね。身の程知らずとはこのことです。

 でも個人的には非常にエキサイティン グな経験でした。今まで、客観的にCDを聴いたり評価したりという経験があ まり無かったので、すごく意味深い作業だったし、自分がアイルランド音楽 をどういう風に聴いていたのか?という自問自答には新鮮な発見がいくつも ありました。それというのも元はと言えば、このクランコラにお誘い頂いた のがきっかけですから、こっちの方が第1位 かな?いやほんまですわ。クラ ンコラ参加こそが2001年の私的大事件だったかもしれません。  

 というわけで、もう順位をつけるのはやめにしますわ(いつのまにやら口 調も「関西弁ですます」調になってますね)。

 そして、この時の自問自答は 後もずっと尾を引く事になるのです。自分がアイルランド音楽をどのように 聴いていたのか?  

 例えば、アルタンなどの長年愛聴しているバンドでも、いざ何か書いてみ ようと思えば、あらためてそれなりに調べもののひとつもしなきゃいかんわ けで・・・、元来、たとえ日本盤でもライナーノートもロクに読まないたち なので、今さらながらに「あ、そうなのか!」というような事実を知ったり とか。  

 そんなこんなで、CDから聞き覚えのメロディーをいいかげんな記憶で弾き ちらかしたり、ゲール語の歌詞をカタカナで聞き取って強引に歌ったりして いる演奏者としての自分が「こんなんでエエんやろか?」と思えて来まし て・・・。

「アイルランド音楽ってもっと深くて大変なもんなんとちゃう の?」とか、何かもやもやした感覚にだんだんと襲われて行くのでした。  

 まさにそんな時期に接したライブが、シェイマス・クレイ!! 

 実はそれ まで一度も聴いたことなかったのですが、実際に生で接したその演奏たるや、 もう何と申しましょうか、「生!」というか、「血!」というか、楽器の音 としてはいつも聴き慣れているフィドルでしょ? いわゆるバイオリンで しょ??? それがですね、何か初めて耳にする民族楽器か何かのように耳 に飛び込んで来たのです。圧倒されました。「民謡」としての「深み」みた いなそういうものに。鑑賞者としての感動も、裏返せば当然「演奏者」とし ての私は激スランプ。  

 次に私を襲ったのは、アメリカ西海岸からやってきたセタンタの面々。自 分の店でのライブだし、PAを操作するという「仕事」をしながらの鑑賞でし たが・・。これまた打ちのめされてしまうのです。懐の深さというか余裕と いうか、この3人は抜群の演奏技術に一切寄りかかることなく徹底的にエン ターテイメントだったのだ!! 芸人という意味ではなくて、自ら楽しみな がら観客を引き込んでしまう!  

 「そこで落ち込んでるfieldのオヤジ!今度はアメリカのやり方を見せてや るぜ!」 と言われているような圧倒的な空気。

 おまけに彼らは予定になかった3ステー ジ目までおっ始めて、終演は午前0時を完全にまわってしまったというもの 凄い勢い。

「ワシもう人前で演奏するの辞めよ・・」この夜、私はもうこん な風に口走ってましたよ。  

 そして、年末のドーナル&アンディ!! 

 ここまで来ると、「さあ、この おっさんらはどんな風にワシを叩きのめしてくれるのかな?」というマゾっ 気すら抱いて臨んだライブ会場。楽器編成としても滅多にお目にかかれない ブズーキ・デュオ! 私も一応ブズーキ弾きの端くれとしては、アイルラン ド音楽に初めてブズーキを持ち込んだとされるこの2人のおっさん達は一種 教祖様でもあるわけですが、これがですね「あんたら、去年は手抜いてたや ろ?」と突っ込みたくなるような演奏なのだ。

 例えば往年のギターの神様ク ラプトンなんかでも今はもうギンギンのギターソロなんてやらないじゃない ですか。それがこのアイルランドの大御所たちは演奏意欲丸出し!! 

「弦 2本でどこまで出来るか!? 悪いけどワシらもちょっと本気出したからね!」と言わんばかりの小僧のようなおっさん2人。

 そこには、「アイルラ ンド音楽はこうだ!」とか「ワシらアイルランドの大御所やしね!」とか、 そんな雰囲気全くなくて、「でや! 音楽ってオモロイやろ?(ニヤリ)」

 てな感じ。ほとんど冗談で昨年fieldアイ研の部員になってくれたこの2人 のおっさんが、ステージの上から  

「おいそこのfieldのオヤジ! アイルランド音楽いうても音楽や! 難しい事考えずに自分が面 白いと思う音を出せばええんや! ほら、ワシらも ただそうしてるだけやろ?」

 と語りかけてくれている(勝手にそんな気がしただけですが)。いやもうこ れは私にとって、観音様のお慈悲か阿弥陀様の本願か!!てなもんですわ。 思わず手を合わせてしまいました。  

 こんな一連の流れだった2001年。なにかもうごく個人的な事ばかり書いて しまって・・・、「ベスト10情報」を期待していた読者の皆さんごめんなさ い。  

 さあ、今年は、いつまでも楽器の愚痴ばかり言ってないで、新しいブズー キを手に入れる計画でも練ろうかな?

<洲崎一彦:京都のIrish PUB field のおやじ

 

 

 

 

 

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