2000年9月21日木曜日

fieldにドーナル・ラニー&アンディ・アーバインがやってきた来た!(その1)

 それは1本の電話から始まった。その時ワシは仕事をさぼって川端ニックへ行く途中だった。携帯を鳴らしたのはソウルフラワーの伊丹さんだった。「今、関空に2人が着いてね。でもちょっとトラブルがあって・・、でもとにかくfieldに直行するから!」「え?」と言う間もなく電話は切れた。2人ってまさか今週の土曜日に磔磔で京都初ライブをやるドーナル・ラニーとアンディ・アーバイン(彼は初来日)か???うっそお〜!とボーっとしながらニック店内をウロウロ歩き回り、店に帰った。・・・・んんん、とりあえず、イクシマぶちょーに電話しておこう・・・店ではfieldライブを来週にひかえてギャラリールームでカアニーズが練習をしている。・・・なあ、アッシイ、今からドーナル・ラニーが来るみたいや・・。ん?カアニーズのい面々ピクリとも反応せず淡々と練習している。しかし、カアニーズの3人はその瞬間瞳孔が開ききっていたのだった。

 この日の店はヒマだったが、既にぶちょーがあっちこっちへ電話していて、いつものセッションに集まる奴らが三々五々集まってきた。そして気が付くともうセッションが始まっている・・・・というようなfieldへ、伊丹さん、中川さんと共に初老の紳士風と髭もじゃ大男の西洋人がやって来た。あ、、、、来てしもたで、来てしもたで、どないしょう、どないしょう。極度の有名人コンプレックスのワシはただただビビるばかりなのだ。とりあえず席について彼らを囲む。ちょっとお疲れのご様子。聞くとトラブルというのは2人の楽器だけが空港に到着してなかったという事らしく、これは大事件!こういう場合、どこかの空港に積み替えミスで残っていたりするものらしいが、土曜日から始まるライブに間に合わなければ一大事やんけ。伊丹さんは、万が一の時には左用のブズーキ何とかできる?と聞いてくる。そーかー!ドーナルは左利きなのだったあ。する!する!ワシ何でもやりまっせ!

 ぶちょーはアイリッシュ・ミュージックにはまったきっかけが「ボシー・バンド」だと普段から豪語しているだけに、あの伝説の「ボシー・バンド」を創った男、ドーナル・ラニーを目の前にしてさすがに緊張ぎみ。ワシはワシで「ボシー」大好きやしドーナルが目の前に居る事自体クラクラする事実だったが、実は10年程前にアイリッシュ・ミュージックをやり始めた頃にコピーしていた「パトリック・ストリート」の歌を全部歌っていたのがアンディ・アーバインであることを実は最近知ったのだった。あの頃はその歌をワシは苦労して歌った。で、そのご本人が目の前に居るわけだから、これはもう大変なの事なのだ。一般にこの2人が揃うとかつて2人が在籍した「プランクシティ」に言及することが多いと思うが、この場ではぶちょーがドーナルに「ボシー・バンド」の話題を、ワシがアンディに「パトリックストリート」の話題を個別にぶつけているという感じだった。・・・・と、いうか、伝説によると、ギリシャの民族楽器であるブズーキをアイリッシュ音楽に最初に持ち込んだのがアンディで、それをさらに改良して使用しアイリッシュ音楽に定着させたのがドーナルだと言われているのだから、ワシなどアイリッシュ・ブズーキを演奏するものにとってこの方々は神様達意外の何者でもござらんのじゃ!

 あいかわらず、みんなのセッションは続いていたが、楽器が届いていないという事もあるだろうし、到着してすぐで疲れていることもあるだろう、ドーナル&アンディはセッションにはあまり興味を示していないようだった。お疲れを察しつつもワシらミーハー部隊は彼らをサイン攻めにしてしまう。バウロン、ブズーキ、CD・・・。さすがに少しウンザリした顔をされたが、お陰でワシのブズーキの裏面には5月のアルタンのキーラン・クランに続いてドーナル・ラニー、アンディ・アーバインのサインで埋め尽くされた。至宝のブズーキじゃい!

 ふと、誰かが胸に付けていたfieldアイ研の部員バッジに目を止めてドーナルが「あれは、何や?」という。説明すると、「ワシらのは無いのか?」というので、じゃあ、アルタンのマレードさんは「名誉顧問バッジ」を受け取ってくれたから、名誉顧問になってくれるか?と聞くと大げさにおどけて「マレードが名誉顧問ならワシらはヒラ部員じゃ、わっはっはっは!」と言う。おお、なんという大阪のおとっつあんのようなエエノリのおっちゃんらや!

 と、いう具合に突然降ってわいたような、アイリッシュ・ミュージック界の巨人と称されているおっさん達はわれわれを煙に巻いて豪快に去って行ったのだった。

 

 
  アンディ    す     ドーナル  
こんなになってしまいました

 

 

 

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